21 私だけのものでいて3

     3


 オレは今華から出禁を食らってる。スマホは散々頼み込んで持ってもらうようになったから連絡はくれると言っていたけど、今日で一週間。会えなくて辛い。

 高校を卒業してから華は絵の勉強をする為に有名な芸大へ入り、もうすぐ卒業する。オレは専門に二年通ってから華パパの紹介でとあるメイクアップアーティストのアシスタントをさせてもらってるんだ。まだまだ駆け出しだから給料はそんなにもらえないけど、仕事はすげぇ楽しい。でも華に会える時間が減ってるから一週間会えないなんて華不足で死にそうだ。卒業制作とかで忙しいって言ってたし、邪魔しちゃダメだよなって我慢。我慢してる。

 仕事が終わり、今日も会えないのかなって溜息吐きつつスマホを見つめる。電車から降りてとぼとぼ歩いてる所でスマホが震えた。華だ!

〈来ていいよ〉

 短い言葉で出禁解除のお知らせ。オレはすぐ行くって返信して、華のマンションへ向かって駆け出した。

 焦って震える手で鍵を出し、自動ドアを開錠してエレベーターへ乗り込む。七階までが永遠に思えそうな気持ちで上がったオレは、玄関開けて飛び込んだ。

「秋」

 ドアを開けた先では、華がちょこんと座って待っていた。

「華、華華華華っ会いたかった! こんなに会えないなんてオレ死んじゃうっ」

 オレは華の前で膝を付き、華奢な体を掻き抱く。肩に顔を埋めたオレの頭を華が優しく撫でてくれた。久しぶりの華の匂いと温もりに、涙が出そうだ。

「秋。見て欲しい物がある」

 華の声に促されてオレは体を離した。そのまま手を引かれて絵の部屋まで連れて行かれる。

 部屋に入って真っ先に視界へ飛び込んだのは、華が描いた絵だ。ディーゼルに立て掛けられているでっかいその絵にオレの目は釘付けになった。――オレの絵だ。華が絵を描く時の定位置で毛布に包まって眠る、オレがいる。

 使われた色が優しいこの絵には、華の気持ちが溢れてる。華が、オレを大好きだって気持ち。愛してるってたくさん言われてるような気分になって、真っ赤になった顔を手の甲で隠した。

「秋なら、描けた」

 ずっと独りで、他人に興味なくて、人を描くのは難しいと言った華。そんな華が初めての人物画でオレを描いてくれた。言葉で言い表せないくらいそれってすっげぇ事で、オレにとって……なんて幸せな事なんだろう。

「秋、タイトル見て」

 涙ぐんで放心状態のオレに、華が言った。言われるまま絵の裏へ回って屈み込む。いつも華がタイトルを書き込む場所に書かれていたのは――私だけのものでいて。最っ高の殺し文句。オレは華に駆け寄って、力一杯抱き締めた。

「オレはもうずっと、華だけのものだよ」

 キスの雨を降らせ始めたオレに華が向けたのは不満顔だ。どうしたんだろって首を傾げたら、華は唇を尖らせる。

「そうだけど、違う。秋、結婚しよう」

「え?」

「秋、わたしの旦那さんになって下さい」

 華の言葉は脳みそまで届いてる。だけど理解が追いつくまで、時間が掛かった。

「お……オレだって華と結婚したいよ! だけどオレはまだ駆け出しで、華を養えない。子供が出来ても今の給料じゃ……学校行かせたり、出来ない」

 尻すぼみになる言葉は自分の情けなさに落ち込んできたから。本当はもっと早く結婚出来るように、普通の会社に入れるようにしようと思ってたんだ。だけど、母親の言葉で考え直した。

『あのね、秋。人生っていくらでもやり直せるとは言うけど、確かに、頑張ればやり直せたりするもんではあるんだけど……だけどね、今選ぶ道っていうのは人生においてかなり重要なものだと、私は思うの。夢を掴める時期には限りがある。その時期が遅くに来る人、さっさと通り過ぎて手遅れになる人、人それぞれの時期がある。たとえばあんたが今華ちゃんを理由に夢を諦めたら、今後何かがあった時、あんたが華ちゃんの所為にしちゃう事も起こるかもしれない。どんなに意志を強く持っても、頑張ったって、人生に絶対なんてものは存在しないのよ。だからね、そうなる可能性があってそうなっちゃうぐらいなら、あんたは人の何十倍も努力して全部を手に入れなさい』

 今の道を選んだ事に後悔はない。諦めなくて良かったって、母親に感謝してる。でも結婚は、ちゃんと家族を養えるようになってからしたいんだ。

「お金はある。秋のパトロンになるから結婚して、わたしだけのものになって?」

「でもそれって情けない。オレ男だし、オレが養いたいんだ」

「男が養わなきゃいけないなんて決まってない。たくさん愛して、側にいて?」

 首を傾げて見上げてくる華。敵わないなと感じて、オレの顔には苦笑が浮かぶ。

「華、愛してる。結婚しよう。幸せにするし、たくさんたくさん愛を注ぐって、誓う」

「秋は、わたしだけのもの?」

「オレは華だけのものだよ」

 華を抱き上げ、ベッドへ運んで倒れ込む。深く甘いキスを交わして二人溶け合うように、体を重ねた。


     *


 オレの前にはドレス姿の華。オレは華の髪を結ってメイクを施している真っ最中。

 薄桃色の生地で裾に桜の花びらが舞ったエンパイアラインのドレス。ベアトップだから、白いボレロで露出はおさえた。髪型はコテを使ってゆるふわな感じにした編み込みを右サイドへ垂らしてる。化粧は濃くしなくても華は十分綺麗だから薄め。でもちゃんと、ドレスに負けないように気を付ける。

「キスもしていい?」

 薄紅色のリップを塗る前にちょっとだけ。華がふんわり笑って頷いてくれたから、ゆっくり舌を絡めて愛情確認のキス。ノックの音が聞こえたけど誰かはわかってるし、足りないから続ける。

「秋くん。そろそろ時間です」

 呆れの溜息を吐いた田所の方へ振り向いて、オレは笑顔で返事をした。

「華、すげぇ綺麗。愛してるよ」

 唇へ色を乗せて仕上げた華を点検してからオレは、蕩けた顔して笑う。そんなオレに、華も可憐な花みたいな甘い笑顔を向けてくれる。

「わたしも。秋、愛してる」

 ダークグレーのスーツ姿のオレの腕に、華が右手を添えた。

 オレが華をエスコートして連れて行ったのは個展会場の入り口。そこでオレ達は、婚約発表をする事になっている。オレと華は婚約なしでそのまま入籍しちゃうつもりだったんだけど、婚約発表して結婚式もしてくれって華パパに頼まれたんだ。世間体とか色々な理由があるらしい。有名人って大変なんだなって、改めて実感した。

「華、とても綺麗だ」

 華パパは既に泣いている。今からそんなんじゃ、結婚式はもっと大変だろうな。

「パパ、笑って?」

 涙を零す父親を見上げ、華は微笑んだ。

 二人は時間を掛けて、再び親子へと戻れた。華は外でも笑ってくれるようになって、無自覚で他の男を誘惑しちゃうからオレは気が気じゃない。だから婚約指輪、頑張ったんだ。花の形に並べられたダイヤが付いたピンクゴールドの指輪。今も華の薬指で光ってる。

 なんとか涙をおさめた華パパに連れられて会場へ入るとフラッシュの眩しさに驚いた。笑顔を浮かべて写真を撮られながら、オレは会場にいるはずの知り合いを探す。

 会場の端の方。隅で見守るようにして、探し人は三人揃ってオレらを見ていた。

 大学を卒業した祐介のこの春からの勤め先は新聞社。今でもたまに会って二人で酒を飲んだりもする。

 母親と田所の事は、「秋くんのお父さんが良い男すぎて勝てそうにありません」なんて言って、田所は苦く笑っていた。だけど母親は、田所の前では弱音を吐いたり、泣く事もあるみたいだ。

 母親を一人残す事が心配だったオレは、華と結婚した後もあのアパートで三人一緒に暮らす提案をしたんだけど……田所に反対された。「千夏さんの事は任せて下さい」だって。どうするのかと思って見守っていたら、オレが華のマンションへ引っ越した後で田所と一緒に暮らす事にしたと、母親から報告を受けた。母親は、死んだ親父との思い出も繋がりも、きっと全部を手放せない。忘れられない。だけど田所はそれでもかまわないと言ってくれたんだって。例え自分が一番になれなくとも、唯一じゃなくたって田所は、母親に寄り添っていてくれるらしい。

 謎の存在だった、持って行く人。初遭遇した時感じた冷たい印象は完全に覆り、実は良い男は田所なんじゃないかなんて、オレは心の中で思っている。

 婚約発表は、司会の人と華パパがほとんど喋っているからオレと華は写真を撮られるのが仕事みたいだ。会場中の視線を浴びてフラッシュの只中にいるオレと華の後ろには、でっかい一枚の絵が飾られている。今回の個展のメインで、東華が初めて描いた、人物画。座った状態で壁にもたれ毛布に包まり眠る、オレの絵だ。

「華、愛してる。ずっと一緒にいよう」

 写真を撮られる事に飽きてきて、オレは華の耳元で囁いた。嬉しそうに笑って頷いた華の手を取って、婚約指輪へキスを落とす。

「オレは華だけの王子様だよ」

 余計にフラッシュが焚かれて眩しくなったけど、好きなだけ撮れば良い。カメラなんて気にせず見つめ合う。

 オレと手を繋いで柔らかな笑みを浮かべている彼女は、風景画が得意な画家の東華。だけどこれから少し先の未来では、稀に描く家族の絵が有名になるんだ。

 愛に溢れた温かい絵を描く華はオレの――最愛の人。

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