第二話 誕生

 日本列島は南から徐々に梅雨入りを迎え、松永家が住む地域にもそれが迫っていた。連日空は曇りがちで今日も天気予報は午後から雨となっている。正親はリビングのテレビに映る日本列島を憂鬱そうに見た。


 正親は母に持たされた折り畳み傘をリュックサックに押し込むと玄関の扉を開ける。午後から雨が降るなんて嘘としか思えないくらい空は晴れ渡っていた。折り畳み傘を置いて行きたくなる。それでも天気予報を信じてリュックサックを背負う。

「行ってきます」

 まだ上がりきらないテンションのまま家の外へ足を踏み出す。


「行ってきまーす!」

 後ろから現れた菜々花は朝日を全身に浴びて元気良く玄関から飛び出す。しかし、すぐに足の動きを止めるとしゃがみ込んで何かを拾い上げた。

 その後、菜々花は両方の掌に乗った物を正親に見せる。彼女は今日の空のように晴れ晴れとした表情を浮かべている。菜々花の手に収まっていた物は白に茶色の斑点が付いた小さな卵の殻だ。殻の中身は見当たらない。


「お兄ちゃん、肩車して!」

 菜々花が正親の肩に乗ろうと何度もジャンプをするので彼は渋々しゃがんで彼女を肩に乗せた。

「お兄ちゃん、雛が生まれてる!」

 はしゃいでいる菜々花の声が玄関ポーチに落ちてくる。


 彼は菜々花と同じ所へ視線を向ける。泥と枯れ草で固められた巣からは雛の姿は全く見えない。ただ一羽の親鳥の姿が見えるだけだ。親鳥は肝が据わっているのか菜々花には少しも驚かない。

 すると菜々花の心配そうな声が横から聞こえてくる。

「よく見たら一羽生まれてないね」

 卵も違う日に生まれたのだから孵化するのも同じ日になるとは限らないかもしれない。燕に対する知識が無いので分からないがそんな気がした。

「そうなのか。そのうち生まれてくるだろ」

 するともう一羽の親鳥が翼を羽ばたかせながら巣に戻って来る。どちらが雄でどちらが雌か正親には判別が付かない。親鳥は短くさえずると雛の口の中に獲物を入れていく。

 それが終わるとまた燕は忙しそうに外へ飛び出していく。獲物を与え終えると燕はまた水田の方へ飛んで行く。その姿を正親は目で追う。


「ごめん。俺、バスに乗らないといけないから」

 正親は菜々花を下ろす。

「えー、嫌だ。もっと見たい!」

 彼女は燕のように口を尖らせる。

「姉ちゃんにでも肩車してもらえ!」

 そう言うと正親は風のように走り去って行く。


 二日後の日曜日。正親はアルバイトを終え、帰宅するために乗っていたバスから降りる。まだ太陽は沈みそうになく、空は昼間の装いをしている。そんな空を見て日も随分長くなったと正親は思った。


 家の前まで来ると菜々花と凛が玄関ポーチに一人で立っていた。顔は上の方を向いている。正親の足音に気が付いた彼女は手招きをしている。

「ねえ、お兄ちゃん。もう一羽生まれた!」

 菜々花ははしゃぎながら上を指差す。

 正親は菜々花の隣に立ち、燕の巣を見上げた。やはり雛の姿は見えない。


「私達みたいだね!」

 正親は菜々花の言っている事の意味が分からない。

「どういう事?」

「松永家と同じ五人家族って事」

 凛の低い声が正親の耳に届く。彼女の視線も燕の巣の方を向いている。父と母、そして子供が三羽。松永家と同じ家族構成だ。

「じゃあ、今日産まれた子は菜々花だな」

 末っ子が生まれるのが遅いのも松永家とそっくりだ。

「本当だ!」

 菜々花は目を輝かせながら他の子に比べて少し小さい雛を見詰める。


 その日から正親は燕の家族に僅かに親近感を覚え始めた。家に出入りする度に燕の巣を見上げてしまう。


「母さん、何やってるの?」

 夕方、正親が大学から帰って来ると玄関に何故か母の姿があった。燕の巣を見上げて鳥の鳴き声のような声を発している。

「あ、お帰り。燕に話し掛けていたのよ」

 正親の声が聞こえてくると母は慌てて声のした方を向く。

 彼は梁を下から見上げる。昨日辺りから雛の姿が見えるようになった。母がどんなに気を引こうとしても燕達は人間には無関心だ。


 灰色の産毛が生えた雛はまだ親鳥と似ても似つかない。そのうち羽が生えてきて親鳥とそっくりになるだろうと正親は思った。

「鳴き声出したって燕と勘違いしないでしょ」

 正親は思わず笑い声を上げる。

「やっぱり?」

 母も一緒になって笑う。燕達は松永家のペットのような存在になっていた。

 この時は何事も無く雛達が巣立っていくと誰も疑わなかった。




 第二話まで読んで頂き、ありがとうございました。

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