第9話

 リリーはオレの気配にこれっぽっちも気がつくことなくサロンに入っていった。その扉が閉まる寸前、オレは身体を滑り込ませる。誰もいないサロンは、暖炉の火が入っていてもどこか寒々しかった。リリーはその前にあった一人掛けのソファに座り込むと、らしくもないため息をついた。

 「ずいぶん浮かねぇ顔してんな。」

 近づきながらそう話しかけると、あいつは至極驚いた表情でこちらを振り返った。俺の姿を認めたリリーは、どうしてかとてもつらそうな顔をした。オレはそんな表情には気づかぬフリで、空いていた手近なソファの上に飛び乗った。

 「オレの気配にすら気がつかねぇんじゃ、こりゃあいつもと立場が逆だな。」

 いつもはオレがこいつの気配のなさに驚かされっぱなしなのにな。

 そう言うと、リリーはいっそう肩を落として俯いて、両手を膝の上で握りしめた。随分と思い詰めているようだった。

 「……マオ……ごめんなさい。姉さんが、あなたに魔法なんかかけてしまって。」

 やっとやっと絞り出したような声に、オレは何と言ったら良いのかしばらく考えた後、今思っている一番素直な答えを口にした。

 「あー、そいつはもういい。なっちまったもんは仕方ねぇし。第一、お前が謝ることじゃないだろ。」

 リリーは明らかに納得していない様子だった。こいつはクソがつくほど真面目だから、自分のせいでと一度感じてしまうと長い。そこらへんがわからないほど、伊達に短くはない付き合いはしていないつもりだ。

 案の定、でも、と続きそうだったので、オレはやや突っ込んで先を続けた。

 「代わりに、ひとつ訊いてもいいか?……お前とあの魔女は、家族か何かか?」

 何を訊かれるのかは予想がついていたらしいリリーは、存外落ち着いた様子でしばらくの間黙りこんだ。何をどこから話そうか、思案しているようだった。

 そうして、たっぷり間を置いた後、リリーは身の上話を始めた。

 「……元々私は、グラン=カナリアの弟子だったの。姉さんは……カメリアは、私の指導役の先輩魔女。」

 しかし、姉とは言いながらも血のつながりはないのだという。魔女は各地で見込みのある者がなるものだから、とリリーは淡々と語った。魔女の素質を見出されなければ、貧しい村の片隅で一生を終えるはずだった、とも。

 それはまるで、どこかの野良猫だった野郎を思い出すようで、オレは少しだけむず痒くなった。

 一方、リリーは少しだけ眉根を寄せると自分の手のひらに視線を落として俯いた。

 「……でも、私は途中で逃げ出した。強くなる見込みもない私にとっては、ずっと修行するより外に出たいと思ってた。」

 鮮やかな後悔の滲む声だった。オレは、ただ黙って話を聞いていた。ここで気安い言葉はかけたくなかった。

 「当然、姉さんとは喧嘩になった。それで、家出同然で魔女の世界を飛び出して、右も左もわからないこの世界に来た。そこで拾ってくれたのが支配人だったの。」

 リリーは、そこでいつも身につけていた髪飾りを外して手に取った。それは、魔女として一族に迎えられたとき、あのカメリアとかいう魔女から祝いの品として貰ったものなのだという。あのケバい魔女にしちゃ品のあるセンスだとは思ったが、そこは何も言わないでおく。

 無口で無表情な魔女は、髪飾りをそっと両手で握ると、それを額に押し当てて続けた。その声は、微かに震えていた。

 「ほんとは、……ほんとは、姉さんに一言謝りたかっただけなの。私は私の我が侭を押し通した。ただそれを、謝りたかった。」

 それは、あいつの心からの言葉に思えた。ずっと何を考えているのかわからない奴だと思っていたが、オレはようやくリリーの鉄仮面に隠された一面を見ることができた気がした。

 得てして魔女には激情家が多い。それは、それだけ己自身が強く激しく燃えていないと、身の内に宿す魔力に呑まれて狂ってしまうからだと言われている。こいつは表情の乏しいやつだから、一般的な魔女に比べて感情の起伏も少ないのかと思っていた。だが、それはオレの勝手な思い違いだったらしい。

 リリーだって立派な魔女だ。それも、オレが知るヒステリックな魔女ではなく、人一倍の優しさがある魔女だ。きっと、こいつが荒れ狂う海ではなく凪いだ湖のような性格だからこそ、同じ種族でありながらあの魔女連中とは袂を分かつことになったのだろう。

 それが幸か不幸かはオレにはよくわからないが……少なくとも、リリーが優しい魔女でなければ、こいつがここに来ることはなかったし、きっと出会ったとしてもオレはただの小うるさい魔女程度にしか思わなかったはずだ。現にオレはカメリアとは果てしなく馬が合わないわけで。

 そうならなかったのは……たぶん、良いことだったと思っている。

 改めて言うのも何だか気恥ずかしくて、どう言ってやろうかと言いあぐねていると、ふとオレの視界の隅に鮮やかな紅が映った。そちらに何気なく顔を向けたオレは、そこにひっそりと立っていた人物に目を見張る。それから、思わずため息が漏れた。リリーは背中を向けているから気がついていないようだったが……やれやれ、魔女ってのはほんとに世話が焼ける。

 「……おいそこに居たんなら初めから出てこいよ、面倒くせぇな。」

 「……え……?」

 リリーはオレの視線の先をたどって振り返ると、弾かれたように椅子から立ち上がった。

 「………姉さん……?」

 そこには、至極居心地が悪そうに置物と化していた魔女───カメリアの姿があった。

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