Ⅵ 嘘つき少年と森の魔女

 こういう話がある。

 とある村に、退屈を紛らわすためというだけの理由で「オオカミが出た」と嘘をつき、騒ぎを起こすという風変りな羊飼いの少年がいた。

 少年が騒ぎ立てる度に、大人たちは騙されオオカミの撃退に駆りだされるのだが、もちろん徒労に終わる。「本当にオオカミがいたのか?」と聞くと、「本当にいた」と少年は返すので、最初の頃は大人たちもしぶしぶ武器をぶら下げ家に帰っていた。

 しかし、あまりに同じようなことが繰り返されたため、そのうち大人たちは少年が嘘をついているのだということに気付き始めた。

 そんなある日、いつものように「オオカミが出たぞ」と喚く少年の前に、大人たちは村の近くの黒き森に住む魔女を連れて来たのだった。

 魔女は言う。

『私は魔法で人の心が読める。あらゆる嘘をたちどころに明かして見せよう』

 大人たちは言う。

『もしお前が嘘を吐いていたのなら、この村からすぐに出て行って貰うからな』

 少年は、もともと村の嫌われ者。

 大人たちは厄介者を放り出す理由をずっと以前から欲しがっていたのだ。 家族がいないというだけで、どうしていつまでも皆が養ってやらなければならないのだと。

 そのことに初めて気が付いた少年は涙を流す。


 ごめんなさい。僕は、皆に構って欲しかっただけなんだ。


 だが、少年の思いは言葉となることはなかった。大人たちの誰もが少年が罪を認めたのだと思った。この魔女の前では、いかなる者ものだと、そう思い込んでいたから。

 その光景を黙って見つめる魔女。

 ――そして、とうとう少年は告白するのだった。


 ♦ ♦ ♦


 アメジストの居城、その敷地内の一室で、今まさに一人の少年がアメジストの魔法に抗おうとしていた。


「……今、何と……?」


 突然発せられた圭介の一言にオリガが訊ねる。


「……トトです。その子の名前はトト。昨夜森で会ったとき俺にそう言ってました。確かそうだったよな、トト。あれ、違ってたっけ?」


 そんな白々しい口調でオリガたちの視線をかわしてみたものの、いきなり話を振られたエメラルドは明らかに戸惑った様子で圭介の顔を見つめ返してくる。

 もっとも、二人で示し合わせていたわけでもなければ、エメラルドもその名に覚えがあるはずもなく。『トト』とは、圭介がふと目にしたをそのまま口にしただけの言葉であり、この場で圭介が嘘をついてることは明白なのだから動揺するのも無理はない。

 それに、ここで口裏を合わせて簡単に頷くようであればとっくに偽名を名乗っていてもおかしくはないのだ。エメラルドがそうしなかったのは、単に嘘をつくことに抵抗を感じたのもあるかもしれないが、それ以上にオリガの持つ指輪を前にしてその無意味さを悟っていたからだろう。

 アメジストの魔法石。

 他人の思考を読み取る『読心』にかかれば、あらゆる虚偽や隠蔽もたちまち暴かれてしまう。まさに一切の嘘が通用しない、圭介たちにとってはなんとも厄介な魔法だった。

 それでも圭介は続ける。

 すでに腹は括っているのだ。ここで怖気づくなどもはやあり得ない。

 エメラルドを救うには、どうしても嘘をつく必要があるのだから。


「ちなみに。その緑のネックレスは魔法石なんかじゃありませんよ。だってそれ、俺がこの子にあげたものなんですから」

「……。……はい?」


 わずかに反応が遅れたのは、さすがに理解が追いつかなかったせいかもしれない。ただ一言、目を丸くしたオリガが短くそう答えた。


「あ、あげたもの? オズ殿が、ですか?」

「はい。つっても、大した理由じゃありません。俺がこの世界に来た経緯についてはさっき説明した通り、女王様もご存知のはずですよね?」

「え? ええ……」

「実はあの時、ちょうどその時間、トトは湖で水浴びをしていました。そして彼女が言うには、なんでも着替えを干してあった場所に戻ると、どういう訳か突然家が建っていたと。……まぁ、その点については俺自身が一番訳を知りたいところなんですが、とにかく彼女の衣服の一切合財を俺の家が下敷きにしてしまったみたいなんです」

「……」

「当然彼女は困りました。けど、俺たちの力じゃ家を動かすことはできない。だからその代わりとなる服と、迷惑をかけたお詫びとしてそこにあるネックレス……緑の宝石を彼女にあげた、とまぁこういうわけなんです」


 そして圭介はエメラルドのほうへと視線を促す。


「ほら、彼女が着ている服。どう見たって俺の着てるやつと同じ感じの服でしょ?」


 明らかにこの世界においては異質と思える圭介のパーカー。

 オリガの表情を見れば、何を感じたのか一目瞭然だ。


「へ、陛下。実は我々もそうではないかと思い、その確認のため娘をここに連れて来た次第なのです」


 と、そこでジェイルが圭介の言葉を後押しするかのようにこの部屋にやって来た理由を述べた。

 するとオリガは、しばらく何かを黙考した様子の後、ポツリと呟く。


「つまりオズ殿は……警備隊と出会う以前にこの子と面識があった、ということになりますが」

「ええ、そうです」

「我々が現場に着いたときにはすでにその場を離れていたようですが、森での会話を聞く限りではそういう口ぶりでした。確か、彼の名前も呼んでいたはず」


 そんな二人の返答に、オリガは深いため息を吐いたのだった。


「……なるほど。お話の筋は通っていますし、特に不自然な点も見当たりません。ですが何故このことを……トト、貴女は取調べの際に説明しなかったのですか?」 「そ、それは……」


 問われてエメラルドは答えに詰まった。

 もっとも、話の半分以上が圭介の並べたデタラメなので返答に窮するのも無理はない。

 だから予めオリガの問いを予測していた圭介は、代わりに助け舟を出してやったのだ。


「無理に決まってるじゃないですか。この後自分がどうなるのか考えたら、普通怖くて何も話せないでしょ」

「……どういう意味です?」

「だって、殺されちゃうんですよね、魔女は。だから怯えてるんですよ」

「……?」


 オリガの眉が急にひそめられた。

 その怪訝な空気は、瞬時にこの部屋を濁らせ始める。


「言ってましたよ、彼女。“自分は魔女だー”って」

「「は?」」


 もしこの部屋にあと数十人いたって、それぞれが一様に同じ顔をしただろう。

 目を丸くして固まるオリガたち。

 そして一番衝撃を受けたのは、恐らくエメラルドに違いない。

 それでもあえて圭介は構わず、さらにこう言ってのけた。


「いや、でもこれって女王様ならすぐわかることなんですよね? だったらこれ以上隠しても意味ないぞ、トト」


 ぐらっと、エメラルドが後ろによろめく様が見て取れた。その身体を支える形となった隊士たちが慌てて肩を掴み叫ぶ。


「お、おい! 彼の言ったことは本当かっ!?」

「あ……あ……」


 しかし、エメラルドは身体を震わしながらその問い答えることもなく――。

 その瞳には、今しがたまで自分の味方でいてくれると信じていた異世界の少年の姿を映し出していた。

 だが、周囲はその一時でさえ許しを与えない。


「ど、どうなのです?」

「どうなんだ!」

「……」


 二人の強い詰問よりも、圭介が平然と佇んでいたことがこたえたらしい。

 エメラルドがわずかにうなずく。

 哀れな魔女は、とうとう自ら処刑という審判にその身を委ねることになったのだった。


「ね、言った通りでしょ。自分が魔女だってバレそうなときに、他人から貰った石の説明をしてる場合じゃないですって」


 そんな言葉で締めくくる圭介のあまりの非情な台詞に、ついにエメラルドはそれまで押しとどめていた感情の堰を切って泣き始めた。

 その悲痛な叫びは、後ろに控えていた隊士たちでさえにも何かを感じさせたのだろう。


「へ、陛下の御前だ、泣くのを止めろ!」


 ただ、隊士の制止も意味を成さない。


「や、だ……私……なにも、してない……悪いことなんて……して、ない……っ」


 この部屋にいる誰もが、ただただエメラルドの雫が床に零れ落ちるのを見届けるしかなかったのだ。


「う……こ、これは……」


 流石のオリガもこの展開は予想していなかったのだろう。エメラルドがどうだというよりも、まさか圭介の口から魔女告白の台詞が飛び出すとは思いもよらなかったに違いない。

 この状況は、誰がどう見たって一人の男が魔女を売り渡した構図に他ならないのだ。どの道同じ結果を辿るとはいえ、異世界の人間である圭介がエメラルドを女王に差し出すというあまりにも残酷な構図。

 むしろ見る者によってはこれを手柄の好機と捉えた圭介が先んじてエメラルドを差し出したという下卑た想像を巡らすこともあるだろう。

 とりわけ昨夜のやり取りからすでに圭介の心情を見抜いているはずのジェイルなどは、だからこそ理解できないといった面持ちでその場に立ち尽くしていたのだが、エメラルドの様子をもう一度確認した後、どこか非難めいた眼差しを圭介のほうに向けてくるのだった。


 そんな中、圭介は一人超然とした態度でそれぞれの反応に注視していた。

 そして、手ごたえを感じる。なぜならこの部屋に満ちる戸惑いこそが圭介の望んだ空気だからだ。

 エメラルドの悲痛な涙でさえ、当然その身に突き刺さることを覚悟の上で真実を口にしたのは、紛れもなく意図があってのこと。

 幸い、その狙いに気付く者は誰もいなかった。


 先手を打つ、というのとは少し意味合いが違うかもしれない。

 むしろその意味でいえば最初にエメラルドの名前を誤魔化したのがそれに当たる。

 なぜならエメラルドの素性――いや、それまでの空気を考えれば明らかに「魔女」を曝すつもりでいたはずのオリガたちにとって、これ以上に得る成果が果たしてあるのだろうか。その通り、エメラルドは魔女だ。だったら、なにより本人がそうだと認めているのだから、これで『読心』の魔法を使う意味はなくなったはずなのだ。


 そう、圭介が真実を明かしたのはオリガの指輪を封じるため。 

 

 無論、女王による調べがこれで終わるという保障はない。しかし一時的にせよ、ここでオリガに魔法を行使する機を失わせたことがまずは重要なのだ。

 わずかの間でも良い。ここに立つ少女が大魔女エメラルドの孫ではなく、一介の魔女トトであると思い込んでくれればそれで。

 虚実織り成す深い霧が、エメラルドを包み光を遠ざける。

 全てが明るみになっていただろう。これがもし自分のいない場所であったと思うとゾッとする。そう考えると、エメラルドがこの部屋に連れて来られたことと、オリガが目の前で審判を執り行おうとしたことは圭介にとってむしろ好都合と言わざるを得なかった。


 今しかない――っ。


 いつオリガが思い直すとも限らないのだ。それに、このまま順当にいけばエメラルドを待ち受けるのは死の宣告だろう。

 だからこそ圭介は、この瞬間を逃すまいと口火を切った。


「――女王様っ!」

「は、はいっ!?」

「……お願いしたいことが」

「……? な、なんでしょう」


 未だ思考の整理がついていないといった様子のオリガに対し、圭介は強い意志を宿した視線を構わずぶつける。

 そして膝を折り、床に手をつけこう言い放ったのだった。


「率直に言います。ここにいる魔女を……トトを見逃してやって貰えないでしょうか!」

「んな……っ!?」 


 驚きの声をあげたのは、エメラルドの後ろに控える警備隊の隊士だ。オリガとジェイルも同じく口を開けているのを見ればもしかすると声は出ていたのかもしれない。

 だが、これは冗談でも何でもない。元よりそのつもりだったのだ。

 一夜かけて頭を働かせてみたものの、エメラルド救出について気の利いた妙案など思いつくはずもなく、結局はオリガに頼み込むことが一番現実的だと判断したのだ。

 それが自分に出来る唯一の方法。限界である、と。

 ただ、それだけでは終わらない。


「お願いします! もちろんタダでとは言いません!」


 昨夜の状況と明らかに違う点があるのは、圭介がこの場で見出した切り札の存在だ。

 それを使えば、一方的に頼み込むというこの極めて不利な状況をわずかに交渉の形へと運ぶことが出来る、いわば交渉道具としての役割を秘めた鍵を圭介は手にしていた。

 功を奏せば、エメラルドの助命に繋がるであろう希望への鍵――。

 握り締め、圭介は声を大にして提示する。


「もし彼女を見逃してやっていただければ、俺の持つ宝石のうち、片方を女王様に差し上げることを約束します!」

「!? な……っ、そ、それは本当ですかっ!?」


 と、圭介以上に声を張り上げたオリガが、そこでギョッとしたジェイルの反応に気付き慌てて咳払いをする。

 その様子に圭介は内心思わずほくそ笑んだ。そして、まさか本当に――と驚かざるを得ない。

 圭介の持つ鍵とはすなわちオリガの関心。その中でも、今も頭の中にこびりついている、緑の石に対するオリガの執着だった。

 馬鹿馬鹿しいと思うかもしれない。事実、この考えに思い至った時には圭介もそう感じていた。

 しかし今の反応を見ても明らかなように、なぜかオリガはこれらの石に対して尋常ならざる色目を向けていたのだ。

 あるいは稀少な石を前にすればそれが普通なのかもしれない。しかし少なくとも片方は異世界においては何の役にも立ちそうにないただの宝石だ。それはオリガも得心済みだろう。

 妙なのは、二つ目の石が現れる以前からオリガにその兆しがあったことだ。

 そもそも首飾りを宝石だと知った時点で、すぐに圭介に石を返却しなかったことに引っかかっていた。そればかりか、所有権は自らにあると言わんばかりにその身から石を離さないオリガの姿をみれば誰だって疑念を生じる。

 ひょっとして、女王はこのままネックレスを我が物にしたいと考えているのでは、と。

 仮にオリガが最初からその思惑であったとすると、圭介に魔法を使った際、大半を宝石に関する聴取に費やしていたことにも納得がいく。

 そして、例の頭の中に響いてきたオリガの声。

 あれは、本当にオリガの心情だったんじゃ――。

 なぜ急にあんな声が聞こえてきたのかはわからない。しかしいかなる理由があるのかは知らないが、オリガは間違いなく魔法石であるか否かを問わず「緑の石」を欲しているのだ。

 それも、人一人の命の対価としてちらつかせた餌に食いつくという醜態とともに。


 魔女の命はそんなに軽いのかよ――。


 エメラルドを救うためとはいえ、話を切り出したのは圭介だ。が、そんな矛盾した憤りをどうしても感じてしまった。


「へ、陛下……」


 臣下のジェイルも流石に今の反応には不安になった様子でオリガに声を掛ける。

 そしてオリガ自身も何かを感じ取ったのだろう、その視線から逃げるように圭介に尋ねるのだった。


「で、ですが、何故急に……? どうしてオズ殿が彼女の助命を……」


 知れたことだ。


「当然です。それは彼女が、俺の命の恩人だからです」

「命の……恩人?」

「はい」


 そう言って、圭介はジェイルのほうを見る。


「昨日の晩、もし彼女が助けてくれなかったら、俺はここにいる警備隊の人たちに危うく殺されるところでした」

「う」

「あの時彼女が出てきた意味。それがどんなに勇気ある行動だったか、あなたたちにわかりますか? こんな魔女狩りみてーなことが行われてる状況で、それでも彼女は自分の身を省みず俺を救ってくれたんです。……捕まったら、自分が殺されるってのに……っ」


 じっと、涙で腫らした顔でこちらを見るエメラルドの瞳がわずかに滲む。

 その姿にあてられそうで、圭介は目をこすりながら最後にオリガのほうへと向き直った。


「あなたたちにとってはただ捕まえて殺すだけの対象かもしれませんが、俺にとっては大切な命の恩人。その恩人が命を奪われそうってときに、俺だけ黙って指くわえてるわけにはいかないんですよ! 人として!」


 人として。

 最後の台詞を強調したのは、圭介がもっともオリガたちに言いたい台詞だったからだ。

 命を奪うことにさえ自分たちだけの都合を語るこの世界の人間に、お前たちだって同じだろう、と。

 魔女は圭介たちと同じ、等しく血の通った尊い人間なのだ。


「だからもう一度お願いします! その宝石と引き換えに彼女を助けてやってください! この通りです!」


 頼む――っ!


 そう願うより他はなかった。もう、他に出来ることなどありはしない。

 あるいは助命が叶わなかった時は、森での不思議な力を思い出し、力づくでもエメラルドを奪い去ろうと、そんな夢物語みたいなことを床に擦り付けた頭で思い描いたりもした。

 だが、オリガから答えはない。

 訪れるのは永遠に続くのではないかとすら思える静寂。

 唯一聞こえてくるのは、再びすすりなき泣き始めたエメラルドの声だ。

 その後どれくらいの刻が流れたのかもわからない。


「貴方方は外してください」


 次に聞こえてきたのは、そんなオリガの声とともに慌てた様子で部屋を立ち去るジェイルたちの足音であった。

 そして。


「オズ殿、頭をお上げ下さい」


 オリガに促され、圭介は顔を上げる。

 そこには、いつの間にか手にしていた二つの石を机の上に置き、まるで憑き物が落ちたかのように爽やかな表情を浮かべるアメジストの賢女王の姿があった。


「……オズ殿が彼女を救おうとする理由はよくわかりました。魔女とはいえ同じ人間、一人の恩人。……なるほど、確かにそうですわね」


 そう言って、虚空を仰ぎ見ながら呟くようにオリガが続ける。


「そのお気持ち、熱意と誠実さを備えた訴えは私としても決して無下にできるものではありません。さらにトト、貴女のとった勇気ある行動。こちらも賞賛に値する、一人の人間として大変尊敬すべき行為であったといえます。よくぞオズ殿の危機を救ってくれました」


 そして急に真剣な顔つきになったかと思うと、今度はエメラルドに直接語りかける。


「その若さで錬成経験があるのかどうかはわかりませんが……今後、二度と魔法石を錬成しないことを私の前で誓えますか?」

「そ、それは……」

「――っ、トト! 約束するんだっ!」


 思わず叫んでしまった。

 ただ、圭介の声に背中を押されつつも、わずかに間を置いたのは自分で判断を下したのだろう、エメラルドは弱々しく誓いの言葉を口にした。

 その姿を見てオリガも頷く。


「……オズ殿。先ほど仰いました『ほうせき』の件、これを間違いなく私に頂けるのでしょうね?」

「トトの命を救っていただければ。ただ、一つはすでに彼女にあげたものなんで、出来ればそっちを」


 圭介の返答を受け、オリガは黙って目を閉じた。

 その様子に、まだ何か腑に落ちないことがあるのだろうかと圭介は内心焦ったのだが、それは杞憂だったようだ。

 なぜならこの状況は、すでに答えが出ているようなもの。


「わかりました、その申し出に応じましょう。この『ほうせき』と引き換えに……彼女を、魔女トトを不問といたします!」

「ほ、本当ですかっ!?」


 それでも待ち望んでいた瞬間――。


「ええ、本当です」


 刻にしてわずかな時間ではあったが、久々にオリガの笑顔を見た気分だ。

 もし運命の女神がいるとすれば、こんな優しい笑顔で祝福してくれたのかもしれない。

 弾けるように立ち上がった圭介は、急いでエメラルドのもとへと走った。

 そして叫ぶ。


「やった! やったぞ、エメ――――じゃない、トト! 助かったんだ!」


 もはや必要のなくなった縄の拘束を解きながら、圭介は喜びと興奮が入り交じった声でエメラルドを揺さぶった。

 そして――こんな結果を迎えることになろうとは想像だにしなかったのだろう、まだ状況が飲み込めていないといった様子のエメラルドも、そんな圭介の言葉で次第に瞳を涙で溢れさせていったのだった。


「あ……お、オズ……」


 口を開きかけたエメラルドを、圭介は笑顔で迎えた。


「よかったなぁ、トト。俺、ずっと言いたかったんだ」


 頬を伝う涙を拭ってやりながら感じたのは、生ある者特有の温かさ。


「あのとき、助けてくれてありがとう」

「あ、う、うぅ……わ、私……私も、ありが、と……」


 だが、こぼれ落ちる雫は直ぐに感情の濁流とともに熱を帯びる。

 それでもこの部屋に魔女を咎める者はもういない。

 魔女を責める者など、もはやどこにもいやしないのだ。

 だから、好きなだけ自由に。


「ありがと、オズ……助けて、くれて……オズ、う、う、うわああああああああああん」

「……だから、お礼を言うのは俺だって。ありがとな、」


 エメラルド――。


 この後魔女は森へと帰り、嘘つき少年は笑ってそれを見送るのかもしれない。

 しかし物語の結末を急ぐ必要はないのだ。

 今はただ、胸の中で泣きじゃくるエメラルドの髪を、いつまでもずっと、ずっと優しく撫で続けてやりたいと圭介は思ったのだった。 

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