Ⅳ オリガの指輪

 覚えている範囲の中、この世界に辿りついた経緯を説明し終えた圭介の全身は汗でびっしょり覆われていた。

 やはり自分で話していてもにわかには信じがたい出来事。

 他人に事情を説明するのはこれで三度目になるが、これを女王は一体どう捉えるのだろう。

 ただ、圭介の考えが正しければ恐らく今の話が事実であることをオリガは完全に理解してくれているはずだ。その上で、何を感じているのか。先ほどから目を瞑ったままでいるオリガの顔を、圭介は固唾を飲んで見つめていた。


「……なるほど。確かにオズ殿の仰っていることは全て事実のようです」

「信じて貰えましたか!」


 ガタッ、と思わず椅子の音が立つくらいに身を乗り出す。


「ええ。お話の内容と思考に齟齬はなく、よって嘘偽りはまったく見受けられませんでした。もっとも、お考えになられていることさえ伝わればそれで十分でしたので」


 そう言って、目を開いたオリガの表情は元の柔和な顔つきに戻っていた。

 それを見た圭介も安堵の溜息をつく。

 エメラルドもそうだが、早々に自分の境遇について理解者を得られるのは大きな前進だ。それも大国の女王に認められたとくれば、わざわざ城に出向いた甲斐があったというもの。

 どうやら、オリガの指元で輝く指輪には「そういう効果」があるらしい。


 今のは、やっぱり俺の心を――。


 未だ強い輝きを放つ紫石に目を細めながら圭介は胸中で呟いたのだったが、それにすら当然のように言葉が返ってくる。


「はい。仰るとおり、『読心』の魔法を使わせていただきました」

「…………独身?」

「心を読む。『読心』です」


 ぴしゃりと言い放つオリガの眉は何故かひそめられていた。


「あ、ああ……ですよね」


 そっちの意味か――。


 訂正されるまでもなく、圭介自身もすぐに言葉違いであったことには気付いたのだが。


「……そっちの意味か、とは?」


 今度は空気が凍るのを感じた。


「!? え、いや違うんです! なんか俺、変な勘違いしちゃっただけで――」 「変な……勘違い……?」


 圭介の気のせいではない。間違いなくオリガの声は怒気をはらんでいた。


 え、ウソ? まさかこの人――!


 その瞬間、オリガの顔が紅潮するのを見て、圭介は触れてはいけない地雷を踏んでしまったことを察する。

 と、先に耐えられなくなったのは他ならぬオリガのほうだった。

 突如として、指輪から輝きが失われたのだ。

 それまで部屋を覆っていた強い光が消え、次に圭介がオリガを見たときにはすでに落ちいた表情を取り戻していた。

 もっとも、いまや両者の間に遮るモノが何もないため、まだ若干頬に朱が差しているのがわかる。

 当然、その後に訪れたのは気まずい雰囲気。


「は、はは……」


 謝るのも何か違うな、と思った。

 こうなってしまっては、圭介に出来ることといえば愛想笑いをして場を取り繕うくらいだった。

 だが、そんな圭介の態度にオリガも咳払い一つで答える。


「……『心を読む』魔法なのです」

「な、なるほど!」


 さすがは女王様。大人の対応だなと圭介は思った。

 ついでに、この人を怒らせたら次はなさそうだ――とも。


「……魔法に関しましてはオズ殿も多少の知識はお持ちのようですが、その前提となる魔法石についてはなにかご存知ですか?」


 オリガがそう訊ねたのは、圭介の話があくまでこの異世界に来くるまでの流れに留まっていたからだろう。それから先のこと――圭介に魔法や魔法石の存在を教えたエメラルドとの出会いなどには一切触れなかったのだ。

 圭介が直後に警備隊と鉢合わせしたと考えているのか、オリガのほうも特に話題を振ることもなかった。むしろ、しきりに気にしていたのは例のネックレスについてである。


「え、と……魔法を使うにはまず魔法石が必要で、さらにその魔法石も……確か、錬成でしたっけ? みたいな作業をしないと魔法が使えないって話を昨夜警備隊の人から少し」

「その通りです。では、魔法石の特性についてはいかがでしょう?」

「い、いえ。全く」


 それは圭介も初耳だ。

 そういえば、エメラルドやジェイルと交わした会話にそんな単語が混じっていた気がしないでもない。


「この大陸に存在する魔法石には、石の産地によって異なる特性があるのです」


 言いながら、オリガは机の上に置かれた圭介のネックレスを神妙な面持ちで見つめ始めた。


「通常、魔法石を錬成する際には個別に具体的な魔力、すなわち使用したときに現れる魔法の効果を設定することが必要となります。ですが、その内容は錬成者――魔女と呼ばれる者たちの無限の裁量によって行われるわけではありません。それぞれの魔法石、各特性に従った内容の魔力を込めなければ錬成は成功しないといわれています」

「ふむ」

「例えば、我がアメジスト領内でのみ採れますこの紫の魔法石」


 圭介の目にオリガの指輪がさりげなく映される。


「その特性は<伝達>――。魔法の効果といたしましては主に遠く離れた場所での会話、風景、その他様々な出来事の伝達を可能にさせることが挙げられます。これら<伝達>の魔法によって収集された大陸中のあらゆる情報、すなわち知識を武器としてこの国は大国と呼ばれるようにまで成長を遂げることができました」

「……なるほど」


 情報が武器になるというのは圭介の世界においても言われていることだ。


「先ほどオズ殿に使用させていただきました『心を読む』魔法ですが、これも正確にはオズ殿の思考の<伝達>を受けたに過ぎないのです」

「いや……十分すぎるのでは」


 というより、凶悪すぎるだろう。

 少し前のやり取りを思い出すだけでもぞっとするのだ。

 そんな圭介の率直な感想に、オリガも相好を崩して頷く。


「ふふっ、ですわね。私が把握している限りでも、人の思考にまで影響を及ぼす<伝達>は未だ他に聞いたことがありません。我が国の中でも最上級に指定される魔法石……これを錬成した者の卓越した技術、独自性のある発想を窺い知ることができます」


 と、そこでオリガの賛辞を交えた言葉に圭介は違和感を覚えた。


「え、でも、これを錬成した人って……」

「?」

「その人も魔女なんですよね?」

「……そうですが、それが何か?」

「い、いえ。ただ、そんなすごい魔法石を錬成することができる人たちを、どうして捕まえたりしてるのかなぁ、って。……命を奪うとも、聞きました」


 恐らくは国家単位で行われているであろう魔女狩りについて、その理由を直接女王にたずねるのにはいささか腰が引ける。

 だが、圭介はずっとそれが不思議でならなかったし、この後のことを考えると是非にでも聞いておかねばならない質問だった。

 無論、圭介が城に来た目的の一つでもある。

 それにオリガの人となりを見る限り、その可憐で細い腕から恐ろしい魔女殺害の命が飛ばされているなどどうしても想像できなかった。

 なにか深い意味があるはず。

 いや、なければ納得などできるはずがない。そう思ったからこそ、だ。


「この大陸ではそう決まっているから。……いえ、“私たち”が法によってそう定めたからです」

「……っ、だから、どうしてですか!」


 それまで押し黙っていたオリガが重々しく口を開いた瞬間、思わず圭介は声を荒げてしまった。

 だが、椅子から身を乗り出した圭介の剣幕にもオリガは表情一つ変えることなく、代わりに深い溜息をつく。そして席を立ち、そのまま窓のほうへと歩きだすのだった。


 圭介に背を向けたまま、オリガが語り始める。


「魔女の存在が『ブリリアント』に混乱をもたらすから……とでも申しておきましょうか。もっと言えば彼女たちが錬成する魔法石――魔法の存在が、です」 「……?」

「怪訝な顔をされるのも無理はありません。確かに魔法の存在は長きに渡りこの大陸に住む人々に多大な恩恵を与えてきました。事実、この国も魔法による助力なくしてここまで成長することは叶わなかったでしょう」


 それは先ほどオリガ自身がはっきりと圭介に伝えた台詞だ。


「ですが、一方でその魔法が人を魅了し、異常なまでの独占欲、支配欲を駆り立てる……。 それが原因となり、一部の人間による凄惨な魔法石の奪い合いが繰り広げられてきたこともまた事実なのです。歴史上、そういった争いがそのまま国家間を巻き込む争いにまで激化した事例も少なくはありません」

「つまり、戦争が……?」


 圭介の問いに、オリガが頷いたのが後ろからでもわかる。


「ですからそのような事態を未然に防ぐため、魔法石の管理を厳格に定める必要があったのです。現在、魔法石の保有・管理は各国によって一任、王室によって一元化されており、使用の際は当該産地国の王室が発行する女王捺印の入った許可状を得ることが義務付けられています。また、装飾品などの嗜好品として扱われている『未錬成の魔法石』についても同様。こちらにつきましても錬成後の魔法石か否かの判断は魔女でなければできませんので、当然所持は一括して禁止。石は発見次第、すべて没収となっております」


 そして――おわかりですか? と、圭介のほうを振り返るオリガ。


「各国の女王が自国の事情も考慮しつつ協議を重ねた結果、ようやく完成した大陸法。それをたった一人の魔女が新たに魔法石を錬成することによって全て台無しになるのです」


 その紫の瞳に、何か強い意思を感じた圭介はわずかに気圧されてしまった。


「だ、だからって、なにも殺さなくても……。他に色々なかったんですか? ほら、“魔法石を錬成したら罰せられる”みたいな法にするとか、そういうのはダメなんですか」

「……無理です」


 オリガはふるふると首を振って答える。


「彼女たちは古来よりそれで生計を立てていましたから、今さら魔法石を錬成するなと言われても大人しくそれに従うとは思えません。錬成された魔法石があればどのような重い刑罰を科したとしても手にしようとする者が必ず現れます。その逆もまた然り。需要さえあれば、彼女たちもきっと……」


 争いの原因たる魔法、魔法石。だからこそそれらを生み出す魔女はすべて排除しなければならない――。

 冷淡にも思えるオリガの落ち着いた口調が、愕然とする圭介の頭に鳴り響いた。


「そ、そんな……食ってく術を奪われた上に、保護もされず……ただ殺される?」


 それも、自分たちの錬成した魔法石の恩恵を受けていたヤツらに、だ。

 いや、恩恵でいえば現在進行形で同じことが言える。今も我が物顔で圭介に魔法を使った者が目の前にいるではないか。


「それって……あまりにも身勝手すぎや、しませんか……」


 ふつふつと怒りが湧き上がる。正直、オリガに少し失望したことにも反動があったのかもしれない。

 だが、


「身勝手……ですか」


 相変わらず落ち着いた物腰を崩さないオリガであったが、その後宙を仰いでポツリと、意外な言葉を漏らす。


「それくらいのことはわかっています」

「……は?」


 一瞬、聞き間違えたのかと思った。

 てっきり圭介の非難に対して言い訳をするか、それとも怒りだすのか――そのどちらかを予想していたのだ。

 しかし、圭介が言葉の真意を問う間もなくオリガが台詞を重ねる。


「ですが、とにかくこれは私の一存で決めたことではありません。各国了承済みの大陸法です。失礼ですが、異国からいらっしゃったオズ殿にこれ以上の異論を唱えられる筋合いはありませんので」


 言い終えるや否や、オリガが再び窓の方へ向き直ったのはもうこの話題は終わりだという意思表示だろう。

 ついでに、余所者が余計な口を挟むなと、そう警告しているのだ。わざわざ異国からというくだりを強調したことからもそれがうかがえる。

 実際、そこを突かれると異世界から来た身である圭介にとっては言葉を窮するに十分な効果があった。

 確かにこの世界の実情について何も預かり知らぬ人間が、元いた世界の倫理観や常識を持ちだしあれこれ騒いだところで、一体誰が耳を傾けるのだろう。

 鼻で笑わないだけで、オリガはまだマシな方かもしれないのだ。 

 ただ、だからといってこのまま引き下がるわけにもいかない。

 いくらオリガがこれ以上取り付く島がないといった態度を見せたとしても、圭介はこの後重大な話を振らなければならないのだ。

 すなわち今しがた話題を閉じられたばかりの魔女、エメラルドの助命について。

 圭介は考え込む。


 さて、どう切り出したものか――。


 圭介の頭に、何故か、そんな台詞が浮かび上がってきた。

 その時だ。


「それはそうと、オズ殿。お預かりしておりますこちらの『ほうせき』なのですが――」


 一体、いつの間に話しかけていたのか。オリガの声が急に圭介の耳に飛び込んできたのと同時に、部屋のドアを叩く音が聞こえてきた。


「……?」


 来訪者を告げる音であることに間違いはない。

 つまりは何者かがこの部屋に居る誰かに用事があって訪れたわけだが、この場においてその対象は一人しかいないだろう。オリガも直ぐにそれを察したのか、客の身である圭介の顔をうかがう。


「ど、どうぞお構いなく」

「……申し訳ございません」


 そう言って、オリガが入室を許した直後、失礼しますの言葉とともに部屋へ入ってきたのは圭介にも見覚えのある人物だった。


「一体どうしました。今、お客様がお見えになられているのですよ?」

「はっ! ですが至急、陛下のお耳に入れなければならないことがございます! 加えて、ぜひそちらの方にもお聞きして頂きたく、無礼を承知で参りましたことをお許し下さい!」


 深々と頭を下げながら口上を伝えたのは、警備隊の長を務めるあのジェイルだ。

 ただ、ジェイルがこの部屋を訪れた理由に自分も含まれていたことに圭介は怪訝な表情を浮かべた。


「何の話です?」


 と、どうやらオリガも同じく不思議に思ったらしい。オリガのその言葉を合図に、ジェイルがドアの外に声を掛ける。


「おい、入れ!」


 そんな荒々しい声がドアの外から聞こえてきたのは、ジェイルの他にも数名控えていたからだろう。

 はたして現れたのはジェイルに負けず劣らずの悪人顔をした兵士二名だ。

 ただ、その二人に背中を押されて部屋に入ってきたもう一人の「客」を見て、圭介は弾けるように席から立ち上がる。


 そこにはボサボサに乱れた髪を垂らしながら、両腕を後ろで縛られた状態でふらつく哀れな魔女の姿があった。 

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