第二章 オズとアメジストの嘘

Ⅰ あの子はどうなるの?

 ふぅ、と息をついて倒れ込む。

 脱力しきった身体を受け止めたのは、部屋に用意されていたベッドだ。

 木組みの土台に藁とシーツを敷き詰めただけの簡素な造りは、お世辞にも心地良い感触を提供しているとは言えなかったが、それでも疲れを癒すには十分だろう。おまけに他の相部屋と違い、一人でいられるというのは誰にも気兼ねせずに済むので助かる。


「あー、やっと落ち着けたぁ」


 枕にうずまる頭から、そんなくぐもった声が漏れた。しかし今の心情を表すとすればこれだ。生まれてこの方、今日ほど夜を長く感じた日はない。 

 アメジスト国警備府警備隊。その兵舎の一室で、うつぶせになりながら圭介はこれまでの出来事を思い出していた。


 ♦ ♦ ♦


 圭介をここまで連れて来たのは森で出会った兵士たちだ。その正体はアメジスト国内の治安を預かる警備隊の隊士であり、森での諍いの後、圭介の願いを聞き入れた彼らは約束通り王都まで案内してくれたのだ。

 その上、今日は時間も遅いからと兵舎の空き部屋まで探してくれたのは、彼らを束ねる隊長格――顔に傷を持つ例の男であった。名はジェイルと言うらしい。

 話によれば、ジェイルが率いるこの第一警備隊は数ある隊の中でも特に精鋭揃いと名高く、腕っ節だけでいえば別に置かれる正規の国防軍の兵士たちよりもはるかに強いと噂されているそうだ。その反面、気性の荒い連中がやたらと多く集まっているため、入隊したての新人りにとっては中々に気苦労の絶えない職場らしい。

 ここに来る途中、圭介を後ろに乗せた馬を走らせながら若い隊士の一人がそう教えてくれた。ついでに、どうやったらあの力自慢たちを投げ飛ばすことができるのだ、と。

 それについて圭介は何も答えず、隊士ともそれっきり会話はなかったが、その後取り立てて間が持たないという風には感じなかった。

 都に向かう間、目に映る様々な景色が圭介を驚かせていたからだ。

 なるほど異世界、と割り切ればそれまでだ。だが、初めて見る光景にはやはり心奪われるものがあった。

 遠くに連なる小高い山々や、どこまで続くのかというくらいに広大な畑。途中何度か目にした村らしき集落の存在は、ここが少なくとも日本ではないことを物語っていた。

 中世のヨーロッパはこんな感じだったのかもしれないな――圭介がそう思ったのは都に着いてからだ。二重に構える城壁に囲まれたアメジストの都は、さながら城塞都市といったところだろうか。入り口の巨大な門を見上げながら圭介は目を見張ったものだ。

 それに移動手段の馬にしたってそうだ。圭介は生まれて初めて馬に乗った。森を抜けてからしばらく起伏の激しい道のりを走ったせいなのか、はたまた慣れぬ内はこういうものなのか、股座の筋肉がまだ痙攣しているように感じる。こんな経験は元いた世界では恐らく味わえないだろう。

 とにかく、本当に違う世界に来たんだなと実感できた。


 ♦ ♦ ♦


 そうなると問題になるのは今後の生活のことだ。魔法がどうだと言われても、少なくとも現時点ではどう考えたって圭介が過ごしていた世界ほど利便性のある文化を有しているとは思えなかった。当然、不安にもなる。そもそも元の世界へ帰る方法が見つかるのか、とも。

 さらには家族や友人、学校のことも気になった。突然いなくなった自分に、皆どんな反応を見せているのだろう。なにせ住んでいる家までこちらに来ているのだ。今頃、近所では大騒ぎになっているかもしれない。

 こんな風に一人で落ち着いていると、どうしても色々と頭に浮かんできてしまう。

 だが――

 圭介はそのまま首だけを横に向けた。

 部屋の中をかすかに照らしていているのはテーブルの上に置かれた蝋燭だ。ゆらめく炎を見つめながら、圭介にはもう一つ、別に心配することがあった。森を離れてからずっと後ろめたさを感じていた懸念。それについて考えると胸がざわついてしまう。

 そこへ突然、扉をノックする音が聞こえてきた。


「あ……はい、どうぞ」

「失礼します」


 そう言って部屋に入ってきたのはジェイルだった。森で圭介と衝突した警備隊の長――。

 他の隊士たちと比べても頭一つ分背の高いその男は、軽く会釈をした後、ブーツの靴底音を鳴らしながら圭介のいるベッドまで近づいてきた。

 後ろに流した銀色、少し癖のありそうな短髪の下では、相変わらず獣のような鋭い目がこちらを射抜いている。これが初対面であれば間違いなく肝を潰していただろう。失礼な話だが、人相だけでいえばその筋の人間が押しかけてきたと勘違いしても不思議ではない。

 そんなジェイルが何をしに圭介の部屋を訪れたかというと、


「森では大変失礼致しました。まずは我々が働いた貴殿への数々の非礼、隊を代表してお詫び申し上げます。どうか、お許し下され」


 開口一番、ジェイルは深々と頭を下げた。


「いえ……なんとか無事だったので、大丈夫です。もう気にしてませんよ。むしろこちらこそ、寝床を用意してくれてありがとうございます」


 今となっては本当に圭介も気にはしていない。あの時は確かに焦ったし、剣に囲まれて生きた心地もしなかったが、結果として命は助かっているのだ。それにこうして謝ってくれているのを見れば、決して悪意があったわけではないこともわかる。その後の扱いを考えても明らかだろう。

 圭介も本音でそう返したのだが、何故かジェイルは頭を上げた後、圭介を見つめたまま黙っている。


「あの、それで……他に何か?」


 少しだけ不安になったので、圭介はたずねてみた。


「……はい。実は森での一件を城に報告したところ、やはりと言いますか、女王陛下が貴殿の話に大変興味をお持ちになられまして。緑の魔法石のことも含め、貴殿にお会いして直接話を聞きたいと申されております」

「え……」

「つきましては明朝、貴殿を城までご案内するようにと仰せつかっておりますゆえ、何卒ご理解頂きたくここに参った次第」

「ちょ、ちょっと待って下さい。女王陛下って、つまりこの国の……女王様!?」


 どうやらジェイルの目的は謝罪だけではなかったようだ。というより、むしろこちらが本題だったらしい。急に降って湧いた話に圭介は驚いた。

 そしてふと思い出す。言われてみれば、森でそれに近いことをジェイルとエメラルドがほのめかしていたな、と。


「いや、にしたって……女王様が俺なんかに?」


 女王、というくらいだから多分女性なのだろう。どんな人物かは知らないが、恐らく国の頂点に位置する存在に違いない。この国の人間でなくとも、いきなりその様な人物に会えと言われれば、さすがに尻込みしてしまう。

 そんな圭介の胸中を察してか、ジェイルが笑いながら付け加えた。


「ああ、ご心配召されるな。我が国の女王陛下は心お優しき方。それも大変聡明でいらっしゃいます。貴殿が異国から参られたという話もご承知のゆえ、帰国の件につきましても必ずやお力添えを頂けるに違いありません。ですので、どうかご安心を」


 こういう台詞には必ず気休めが紛れ込む。ここで素直に安心しきる者はいないはずだ。

 だが、圭介はそんなジェイルの言葉に幾分か不安を払拭することができた。帰国のくだりに関して、一筋の光明が差し込んだ気がしたからだ。 

 そう、よくよく考えれば、これはある意味チャンスともいえる。女王という身分の人間に謁見するのは確かに緊張するが、逆にとらえればこんな恐れ多い機会など滅多にないだろう。むしろ圭介が異世界の人間でなければ、話すら出てこなかったはずだ。

 その上でお力添えとくれば飛びつきもする。人探しにせよ、何にせよ、当てもないまま街を彷徨うよりは、まず国の一番偉い人物に身の上を聞いて貰ってからのほうがはるかに効率が良さそうに思える。

 圭介にとっては、まさに願ったりの話。だからそのまま少し考える素振りを見せた後、


「……わかりました、明日お会いします。女王様にどうかよろしくお伝えください」


 圭介はそう言って、了承したのであった。


「確かに」


 こちらも承ったと、ジェイルがニヤリと笑う。

 そして圭介の答えに満足したのか、自分の役目は終えたとばかりにジェイルが再び会釈をして後ろを向く。

 と、足早に去ろうとしたその背を、今度は圭介の声が呼び止めた。


「あ、あの、一つだけ聞いてもいいですか?」

「?」


 扉に手をかけたまま、ジェイルが振り向いた。


「その、俺と一緒に連れてこられた女の子のことなんですけど。今、どうしてるのかなって。……もしかしてヒドイ目にあわされたりとかはしてないですよね?」

「……」


 圭介がたずねたのは、ずっと気に掛かっていたエメラルドのことだった。

 胸の内に引っかかっていたもう一つの不安。

 ここへ向かう途中、圭介と同じく馬に乗せられていたエメラルドは、都に着くなりそのまま隊士たちによってどこかへ連れ去られてしまったのだ。

 おおよその理由は察しが付く。森を去る際、その場で不審者として捕らえられたエメラルドであるが、あの時間、あんな場所で女の子が一人でいれば誰しもが怪しんで当然だ。しかも相手が治安を任されている警備隊ともなれば、そのまま見過ごす真似はしないだろう。

 しかし、かと言ってエメラルドもそれ以外で何か咎められるような行為をしていたわけでもない。圭介は最初、日本の警察よろしく未成年が補導されたくらいに考えていた。住所、年齢、家族構成などを聞かれた後、エメラルドも多少の説教を喰らいはするだろうが、すぐに家に帰されるだろうとたかをくくっていたのだ。

 だが、果たしてそれだけで済むのだろうか。エメラルドには――自称ではあるものの、特異性があるのだ。

 圭介は一人になってから、エメラルドの言葉を思い出していた。


 “キミ、魔女狩りなんてしないわよね?”――


 まさかな、と、不安が渦巻いてくる。

 そんな圭介をしばらく怪訝な顔で見つめていたジェイルはゆっくりと口を開いた。


「……あの娘につきましは、この後すぐにでも取調べを行う予定ですが」


 その目は明らかに圭介に不審を抱いていた。どうしてお前がそんなことを聞くのだ、と。

 圭介もわずかにたじろいでしまったが、しかし次の瞬間、ジェイルが口にした台詞はそのまま圭介の危惧を正確に刺し貫いた。


「ヤツは魔女である可能性が高いですからな」


 その言葉に、圭介は同時に心臓まで貫かれた感覚にとらわれたのだった。

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