Ⅱ キミは誰?

「――っ、う、ウチになにか、用ですか?」


 平時であればそこは圭介の家の敷地内だ。咄嗟に振り絞って出した台詞ではあったが、なんとか平静を保ち圭介は尋ねた。声は若干うわずっていたかもしれない。

 だが、そう問うやいなや、相手は壁の向こうに引っ込んでしまった。

 そしてしばらくの沈黙の後、再びひょこっと顔を出す。

 ……怖いんだけど。

 圭介は心の中で呟いた。

 他人の家の陰に隠れながら家人の様子をうかがうその姿はどう考えたって不審者のそれだ。いや、不審者ならまだ良い。圭介は最初、壁から顔だけを覗かせこちらを見つめる存在を、一瞬この世にあらざる者ではないかと想像してしまった。

 誰しも苦手なモノは一つや二つある。ましてや相手は、その手の想像では定番の――どうやら女の子のようなのだ。

 月明かりの下に照らし出される顔はここから確認できるだけでも恐ろしく整っていて、暗闇に映える青白い肌とともに血の通っていない人形の造りを連想させる。さらには長い髪がつややかに、まるで月の光に濡れているかのように肌に張り付いていて、それがより一層生なき者の演出を際立たせている。と、昔見たホラー映画のワンシーンそのものだった。

 これで不気味な笑みでも浮かべられていたら、恐らく失禁していた自信がある。今でも冷や汗が、脂汗へと変わり全身を覆っているのだ。

 ゴクリ、と喉が鳴る。

 んな馬鹿な。幽霊なんているわけがない――。

 それでも圭介は家の中に逃げ込みたくなる衝動をぐっと抑え、おののく様子を微塵も感じさせないまま強く相手を見据えた。


「ここ、俺ん家なんですけど! なにか用ですか!?」


 幼少期のトラウマはともかく、目の前の相手は歳の近そうな女の子だ。しかも家にまとわりつく不審者の疑いがあるのならば、ここで気圧されるわけにはいかない。

 ただ、そんな圭介の勢いとは裏腹に、少女は何も答えずまた壁の奥に隠れてしまう。そしてしばらく間を置いた後、再び顔を半分覗かせるのも先ほどと全く同じであった。

 なんなんだ、この子。

 気味の悪さ、得体の知れなさ以前に彼女のとる行動の意味が分からない。それも不可解なことに、圭介と同じ表情を何故だか彼女まで浮かべているようなのだ。

 つまりは相手を不審に思う怪訝な顔。

 どうも彼女は彼女で圭介を警戒しているらしく、片目だけの眼差しを向ける彼女の瞳がどことなく不安な色を湛えているかのように思えた。

 そう考えると、壁に隠れてこちらを伺う様も、さながら近所の野良猫が距離をとりつつ人間を観察する姿と少し重なる。

 もっとも、圭介としては不審に思われるいわれはないのだが。

 一体何が目的なのか、そもそも誰なのか、と改めて疑念を抱いたその時。

 圭介はハッと気付く。そして雷に打たれたかのようにもう一度辺りをくまなく見渡した。

 目の前の少女は――

 そう、一体どこから現れたんだろう。

 ここから見渡す限り、圭介の家以外に建物の存在は皆無だ。びっしりと生い茂る木々の間からも、等しく続く草木の様子が確認できる。どう考えても人の住む家が他にあるとは思えなかった。

 もしかしたら変わってしまったのはこの場所だけで、遠い向こう側では圭介の知る町の景色が広がっているのかもしれない。もしそうであるならば、尚更彼女が何処から来たのかという疑問は圭介にとって非常に重要な意味を持つことになる。

 思い至り、圭介はこれまでの疑惑の目を一転、途端に彼女へ色々と興味を抱き始めるのであった。


「ね、ねえ。ちょっといいかな?」


 ニコッと爽やかな笑みを作り、圭介なりに精一杯親しみを込めてそう話しかけた。……つもりだったのだが、またも少女は顔を視界から消してしまった。

 しかも今回に限り、何故か「わわ」と、慌てるような声が聞こえた。


「あのさ、色々と君に聞きたいことがあるんだけど」

「……」


 圭介の言葉を受け、少女が恐る恐るといった感じで顔を見せる。

 明らかに警戒の色を強めたその表情に何か腑に落ちないものを感じながら、それでも圭介は気にせず続けた。


「聞きたいことがあるんだ。そのままでもいいけど……出来ればそこに隠れてないで出てきて欲しいかなぁ。なーんて」


 もはや先ほどまで何に怯えていたのかわからないくらいにニコニコと笑顔を絶やさず少女に問いかける。圭介としては人に懐かぬ猫の警戒心をなんとか解こうと必死にアピールしているつもりだ。もっとも、


「――――れない」

「え?」

「出れない。ていうか出たくない」


 もっとも、それだけで動物の類がすぐさま心を開くかどうかは別である。それに相手は物言う人間なのだ。

 はっきりと拒絶の意を示されてしまった。


「そ、そんなに怪しまなくても大丈夫だって」


 少しばかり笑顔が苦笑いに変わってはいたが、諦めてたまるかとばかりに今度はこちらから歩み寄ろうとする。

 しかし、


「あ、あわわ……こ、こっち来ないでっ」


 少女は驚きその場から離れようと、そして圭介は足を踏み出したままその場で固まらざるを得なかった。

 衝撃、という意味ではお互い様だろう。恐怖を露にする女の子の声がこれほど胸に突き刺さるとは。それも向けらているのは他でもない、自分なのだ。圭介は今や自分のほうが変質者に近い扱いを受けていることを察する。


「ちょ、そんな逃げることないだろ!? 俺は決して怪しいヤツなんかじゃないぞ、むしろこの家の――」

「そーいうことじゃない!」


 少女の声が被さり、圭介の自己弁護はあえなく遮られてしまった。


「そ、そーいうことじゃないって、何が?」

「着てないの」

「へ?」

「だーかーらっ、着てないの! 服!」

「…………は?」


 意外過ぎる答えに圭介は言葉を失う。

 突然何を言い出すんだろう。彼女の台詞をそのままとらえれば、どうやら目の前の少女は服を着ていないらしい。それ故こちらに近づくな、ということらしいのだが。

 意味がわからなかった。

 少女が嘘をついているようにも思えなかったし、そんな突拍子もない嘘をつく理由も見当たらない。だからこそ、ますます理解できないのだ。

 どこの世界に服も着ず、外を出歩き他人の家の陰に身を潜める人間がいるのだろう。

 真夜中とはいえ、ここは本来住宅地だぞといわんばかりに圭介は不可解な面持ちで少女を見つめる。

 しかし少女は、そんな圭介の様子を意に介すことなく逆に聞き返してきた。


「キミってこの建物に住んでるの? これキミの家?」


 ぺちぺちと家の壁を叩きながらたずねる少女の腕は、なるほど確かに肩まで肌を露出させているように見える。


「そ、そうだけど。……え? それよりも何で服着てないの?」

「――――っ、だ、誰のせいで裸のままでいると思ってるのよ! このっ、変な家がっ、こいつのせいで……っ!」


 問うに当たり前の疑問を投げかけたつもりだが、突然興奮気味に、叫びながら両手で家を叩き始める少女の姿に圭介は慌てた。


「お、おい人ん家に何してんだ! ていうか家のせいで服着てないってどういうことだよ!? 意味わからんぞ!」

「私だってわけわかんないわよ!」


 圭介に言わせれば訳がわからないのはこっちの台詞だ。出逢ったばかりの女の子に、その通り訳のわからぬまま非難されているのだ。理由は未だ不明。

 が、尚もヒステリックに壁を叩く少女の挙動に少したじろいでしまう。

 それ以上にとんでもない光景が圭介の目に飛び込んできた。

 少女は――本当に何も着ていなかった。

 上も下も、だ。全身真っ裸だった。

 壁を攻撃するのに夢中で気付いていないのだろうか、身体の半分がもはや隠れていなくて丸見えだった。

 ぺちぺちと可愛らしい音がする度に、女の子特有の柔らかそうな胸の膨らみが揺れている。


「うわ、わ、見え――」


 その姿が特別扇情的というわけではなかったが、異性にそれほど免疫のない圭介にとっては少々刺激が強すぎた。慌てて目を逸らし、一巡やり場を困らせた後、圭介は何かを誤魔化すかのように声を荒げる。


「と、とりあえず叩くの止めろって! 落ち着いて、ちゃんと説明してくれよ! 君がその、裸でいる理由! 俺ん家のせいって一体何のことだ!?」


 圭介の声に、少女の動きがピタリと止まった。次いで不満げな表情を寄こしてくる。

 そして一呼吸置いた後、


「その先にある湖で水浴びしてたから」


 ぼそっと、そう呟くのであった。


「水浴びするときは服を脱ぐでしょ。だから裸なの」

「…………なるほど」

 

 やはり意味がわからなかった。

 ただ、少女の言う「その先」がどれくらいの距離を指すのかもわからなかったが、少なくとも圭介の住む町に湖と呼ばれる地形は記憶している限り存在しない。だから、さも当たり前のことだと言わんばかりの少女の態度に対し、まずは率直に思ったことをぶつけてみた。


「じゃあ俺の家は関係なくない?」

「あるに決まってるでしょ! キミの家が邪魔で服着れないんだからっ!」


 少女の剣幕に思わず首をすくめる。何故そうなるのか理由を聞いているのだが、と。


「戻って来たらいつのまにかここに変な家が建ってたの! さっきまでは何もなかったはずのここに! 私の着替えとかを干してあったこの場所に!」


 そう喚くや否や、ついには壁を足蹴にし始めた。


「わ、わかったから落ち着けって! 頼むから蹴るな!」

「じゃあはやくこれどかしてよ! この下に私の服があるんだから! それに大事な魔法石だって――」


不意に、何かを思い出したかのように少女が動きを止める。

そして急に黙り込んだかと思うと、今度はそわそわと落ち着きのない視線を圭介の方に向けてきた。


「……?」


 少女が口を閉ざすと同時に、辺りを再び静寂が包む。

 まさか自分の理不尽な言動に気付いて我に返ったわけでもあるまい。後半の台詞は聞き取れなかったが、何かおかしな発言でもしたんだろうかと圭介は首をかしげた。


「な、なんでもない。とにかくこれ……はやく何とかしてよ」


 少女は目線を合わせぬままそう言い、出会ったばかりの時と同じく壁の向こうに隠れてしまう。

 ただ、そんな様子を横目に圭介は別に思う所があった。目に映るのは相も変わらず周囲を囲む黒い木々。見上げれば月が輝いている。さっきからずっと、圭介たちを照らし続けていたはずの。


「何とかしてくれ、か……」


少女はそう訴えている。

だから、それ以前の出来事を思い返してみた。

 突然襲った部屋の揺れ。変わってしまった家の外。謎の森。謎の少女。湖。

 そして――

 久し振りに眺める月の光は強く、圭介は目を細めながら、しかし感傷に浸る間もなくそれらの異様をパズルのピースのように思考に当てはめていった。

 もちろん、今眺めている通常では考えられぬ程近く、大きな、青白く輝く「それ」も同様に。

 全てを繋げていく。 


「大体の事情はわかった。けど、俺にはどうすることもできないぞ。君には悪いけど」


 視線を少女の顔へと戻し、圭介は言い放った。


「はぁ!? な、何でよ。これキミの仕業でしょ!?」

「いや、だって家とか動かせないし、無理だろ。そもそもこれは俺の仕業じゃないし」

「へ?」


 そんな驚いた風に一言答える少女は、やはり目を丸くしている。先ほどまでの圭介とまったく同じ反応だ。思わず苦笑いしてしまったが、圭介は続けた。


「俺も同じ気持だよ。家が……ていうか自分が何でここにいるのかすらわかんねーし」

 

 溜息一つ。再度夜空を仰ぎ見ながら、今度は自分に語りかける。我ながらこの状況でよく落ち着いていられるな、と。あるいはこの異常な出来事を目の当たりし、未だ現実味が感じられないだけかもしれない。

 だが、これだけは、と確信して言えることがある。

 いくら感覚が浮遊していようと、全て現実なのだ。この目に映る全てのモノ、耳で聞き、肌で感じる全てのモノが今まさに、実際に存在している。それだけは認めざるを得ない。

 だとすれば、この現実という下地にこれらの異常なピースを無理矢理にでも埋め込まなければならないのだ。


「けど、なぁ……これって本当に夢じゃないのか? こういうことって、マジであるんだ……」

「だ、大丈夫なの? キミ、さっきからなに言ってるのか……」


 これまでの戸惑いが嘘のように払拭されつつある圭介とは対照的に、少女が困惑した表情でこちらをうかがっていた。ならば答えて差し上げようと、圭介は自分なりに辿り着いた結論を披露する。


「この家は突然ぱっと現れたわけじゃないんだ。……ああ、いや、突然現れたのか? まあ、それは置いといて。もちろん俺が急いで建てたわけでもない」


 ゆっくりと、自身の考えを吟味するかのように言葉を紡ぐ。


「これは、あくまでも想像なんだけどさ……俺、もしかしてこの世界の人間じゃないんじゃないかな」

「……はぇ?」


 まさにその通りの話だ。もし少女の発言に嘘偽りがないとすれば、ここでいう異常とはこの周囲の草木ではない。圭介の家なのだ。圭介の家の存在こそ、少女にとっての異常な出来事。

 つまりは圭介こそが――そう考えたほうが辻褄が合うのだ。

 ただ、一体どれだけの人間がそれを信じることが出来るのだろう。


「というわけで君には色々聞きたいことがあるんだけど、まずは一つ教えて欲しい」


 少なくとも、この場にいる少女には信じて貰わねばならない。しかしその前に、正式に確かめておかなければいけないことがある。


「あのさ、ここって……どこなのかな? 俺、家に帰りたいんだけど」

 

 異世界――。

 どうやら今まで住んでいた場所とは違う世界へ来てしまったらしい。


「家……?」


 少女が不思議そうに問う。

 ああ、そうか。家ならすぐ側にあったな。

 そう自嘲気味に笑う圭介の目は遠く、輝く星々を映していた。

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