第3話 中学校時代

私は神戸市立本山中学校に進学した。

世間的には良い中学校とされているようだが、私は好きになれなかった。非行や暴力も少なくなかった。黒い詰襟の制服と制帽、それに丸刈りの強制。自由とは程遠い雰囲気だ。


中学一年で私はショックを受けた。

体が小さく生意気だった私は、いじめの標的になった。

休み時間や放課後はいつも喧嘩だった。

体育用具室で石灰のかけあいになって、お互いの制服が真っ白になったこともあった。

竹刀を持って登場にする教師もいたし、サングラスをかけた体育教師もいた。その教師は学校参観の時に、不審な人物が校内にいると父兄から通報されたりもした。


同級生には、女優の浅野ゆう子がいた。本名は赤沢裕子である。彼女は体育委員をしていた。水泳の時間にビキニで登場して教師に注意されていたように記憶しているが、これは記憶違いかもしれない。背は高くスタイルは良かったが、この時は美人という印象は無かった。彼女は2学期に東京の中学に転校した。


私は美術の時間が一番好きだった。教師が美人だったからだ。モネの生物の模写は高く評価された。クラス内で人物を書くという授業があった。たいていの生徒は照れもあって、男は男を女は女を描いていた。私は、被写体への迷惑も省みず、本人の承諾も得ずにKさんを描いた。別に好きだったとか言うことではない。単に美術的な欲動に従ったまでだ。これもうまく描けた。


勉強の方では、松本塾という進学塾に入った。この塾は上から金太郎、桃太郎、浦島太郎、と3クラスに分かれており、少数精鋭のエリート養成塾だった。私は相変わらず喘息で欠席も多く、浦島太郎と桃太郎を行ったり来たりしていた。


中学一年では不登校もした。僅かな期間だったが、担任が自宅にやってきて父と話をしていた。父はその頃、大学教授になっていた。担任もやりにくかったのだろう、すごすごと帰って行った。


クラブ活動は「技術部」に入った、電気や機械や化学の研究をするのだが、実際には、それらを使って遊び道具を作っていた。例えば、鉄道模型である。担当教諭は新米で、熱心だった。SLの写真を撮りに伊賀の忍者村へ行ったり、休日にはいろいろな処に出かけていた。化学好きは毒薬の研究をしていた。


中学二年になり、非行と暴力はさらに悪化した。

その上、私は風紀委員にさせられてしまった。

だいたい私は学級委員長の選挙では5、6票入って落選する。そんな位置づけの生徒だった。

非行グループもいくつかに分かれている。

教室全員が見守る中で、一方は鉄のゴミ箱を、一方は竹のほうきを持って決闘がはじまった。風紀委員である私は、本来なら仲裁に入らないといけないのだろうが、私は静観した。

私に注意を促す者もいないほど、空気は凍りついていた。

結果は、にらみ合いで終わった。


この頃、M君、Y君と親友になった。Y君とは毎週、須磨の海岸に投げ釣りに行った。冬はかれいが釣れたし、夏はキスがつれた。夏は防波堤からさびきでアジやサバがクーラーボックスいっぱいになるまで1時間とかからなかった。

もちろん、朝は始発電車に乗る。これは鉄則だった。

ドジョウをエサにして太刀魚も釣った、これは夜である。


学校には、浣腸の名人がいた。両手のひとさし指を立てて背後から肛門めがけて突き刺すのだ。これがまた、かなりの確率で肛門に入る。私の休み時間は、この男から逃げる事が最優先だった。どこが、名門校なんだ?


中学三年になると私の成績はぐんぐん落ちた。

一学期の最初の2万人規模の模擬試験で、私のクラスは上位トップ10に3人が名前をつらねた。私は7位だった。後の二人は東大に行った。一人は鶴光太郎。通産省から今は独立行政法人の研究員をしている。(講談社から本も出している)もう一人の白水君は放射線科医だ。公立中学で1クラスから東大二人というのは珍しいのではないだろうか。私が行けば三人になったのだが。


私の成績が落ちた原因は明白である。恋に落ちたからだ。

これについては、いろいろと事情もあるので書かないようにしよう。


本山中学は学区制で、特別に優秀ならば、灘か甲陽あたりの私立、そうでなければ公立高校が上位で、神戸、御影、芦屋、といった順だった。普通、神戸から芦屋には行けないのだが、地域的な問題から、本山から芦屋には行けたのである。


主要教科はほぼオール5だった成績がみるみる4になる。

さらに、体育は見学が多かったので常に2だった。

担任から神戸高校は無理だと言われた。

ならば、御影より芦屋の方が名前がかっこ良いし通学が楽じゃないか。そんな理由で私は県立芦屋高校を選択した。

なお、念のために補足しておくが、当時は芦屋高校からでも、何人かは京都大学に入っていたし、約半分は関西学院大学と甲南大学に行くといったレベルの高校だった。今は、まるで違うようだが。


3学期。私は喘息の発作がひどくなり入院した。

私は中学3年生の3学期を一日も出席せずに中学を卒業した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る