真実

「ミレイ、ふたりが起きちゃうでしょ。静かにしなさい」

「しー!」


 叱られた少女は自分に言い聞かせるように人差し指を口元に添えた、と思う。それっぽい動きはあったけれど、直接見てはいないから分からない。


 それにしてもミレイだって? ミレイはもっと小さかったはず…………そうか、もう三年も経ったのか。メルテだって大きくなったものな。だとするとハルを抱いているのはマリア。


 もう一度横顔を確認する。あどけなさはなくなり、すっかり大人になっているが、なるほどたしかに面影はある。あれから三年だから、今は十八歳か。色々聞きたいことや言いたいことはあるけれど、今はよそう。

 安心したらまた疲れがどっと押し寄せてきて、僕は瞼が落ちると同時に気を失うように眠りに落ちた。




 瞼を赤く透かす日差しと身体を包み込むような柔らかい陽気のなか、ゆっくりと目を覚ました僕は、それはもう深く息を吐いた。そして見知った天井に今の心境をひとりごちる。


「お腹空いた……」


 すると隣から、


「もう少し待ってね。今、ミレイがスープを作っているのよ」


 と、予期せぬ返事が返ってきた。僕は跳ね上がるように身体を起こす。


「それとも、出来ている分だけでも食べる?」


 ベッドの横に腰掛けたマリアは、僕の顔を見てにこりと微笑んだ。僕はその笑顔に相応しくない問いかけをした。


「どうしてまだここに?」


 どうしても問わなければならなかった。三年前の別れ際、僕は早いうちに村を出ろと言っのに、どうしてまだこの村に留まっているのか。


「あの時、イルベルイーは助けてくれたのに、私酷いことしてしまって、ずっとそれを謝りたかったの」

「そんなことで……」


 マリアは首を振って僕の言葉を否定する。


「いいえ、大切なことだわ」


 妹の命よりも? とは聞けなかった。


「それで、ご飯はどうするの? ハルヤートちゃんを待つ?」

「ハル!」

「ハル?」

「一緒にいた竜人ぞ……角の生えた男の子はどうなった!?」

「男の子? え、一緒に倒れていた子なら、もう目覚めて、今は裏で躰を拭いているわ」


 ハルが目覚めてる!


 その言葉だけでは、ひと安心とはいけなくて、僕は慌ててベッドから飛び降り、


「ちょっとま――!」


 マリアの制止を振り切って家の玄関を出た。見覚えのある庭先。右か左か一瞬迷ったけれど、たいして広くない家なんだからどっちでも一緒だ。右周りに家を半周。すると三年前には無かった衝立が設えられていた。水を絞る音がする。この裏だ!



「ハル!」


 この世に、こんなにも神々しいものがあっただろうか。僕は瞠目した。


 金色の日の光がハル白い肌を浮き立たせる。傷はすっかり癒え、つるりとした質感と、点在する鱗の硬質な表面が不揃いなのに、なぜか完全なものに見えた。空色の短髪は光によって透明度を増し、吸い込まれるような瞳と相まってハルを幻想世界の住人たらしめる。なのにハル自身は頬を赤らめて咄嗟に身を屈めたものだからいやに現実的だ。


 男同士で何を恥ずかしがっているのやら。そんなにハルのナニはアレなのかと、僕の視線は自然と下がった。ハルは屈んで躰を隠しているが、太ももの隙間から奥が覗いている。


 なんだ、別にコンプレックスを抱くほどのモノでもないじゃないか………………あれ、モノは?



『ハルヤートさまといえば竜人族の御宗家の末妹でしたか』



 いつかのユローの言葉が脳内にフラッシュバックする。


 顔を真っ赤にしたハルは目をぎゅっととじて、肩を震わせている。僕は思わず太ももの隙間を二度見した。やっぱり見間違いじゃなかった。ハルにはナニが無かった。


「み、ない……で………………!」


 絞り出すように弱々しく僕を拒絶するハル。


「ごっ、ごめん!」


 僕は慌てて背を向けたけど、どうして背を向けたのかすぐには理解できなかった。いやだって、さっきまで男だった……最初から女だった?!

 真実に考え至っても、とてと信じられない。だって僕はハルの勇ましい姿しか知らないから。いったい何からどう反応すればいいのか判断つかなくて、口を開けては躊躇しての繰り返しだ。


「あ、の」


 するとハルのほうから応答があった。


「はいぃ!」


 相手は竜人族、ワンパンで死ねる。


「み、み……た?」


 女だったんだね、なんて言って大丈夫だろうか……。ハルだって完全に男同士として接していたのに、これで怒られるなら理不尽だと思う。まさか僕が知らなかったことが想定外だとか? 実はお転婆娘で有名だったとか? その可能性も捨てきれない。だったら今更そんなしおらしい態度とらないで!


「ご、ごめん! 僕、知らなくて……」

「いい……んだ。そ、その、俺は……」

「と、とにかくマリアに服を貰ってくる!」


 けして逃げたわけじゃない。さすがに女の子を全裸にしたまま立ち話をするのは良くないと思ったんだ。僕は言うだけ言って家に戻った。


 てっきり「バカー!」なんて言って殴られるかと思ったんだけど、あの反応は意外すぎた……という印象を抱くのは失礼だろうか。しかしそれほどまでに、僕の中のハルは、活発で勇敢で、強い存在だったのだ。


「だからちょっと待ってって言ったのに」


 マリアには僕の顔を見るなり呆れられた。


「ホントに言ってた?!」

「イルベルイーが聞く前に飛び出していったんでしょ。あと服は渡してあるわ。私のお古だけど」

「え、マリアの?」


 いや、それでいいのか…………? マリアのお古ということは女物の服だろう。マリアはハルが女の子だとわかっていたようだし。でも鎧姿のハルしかしらない僕にとってはいまいちピンとこないことだ。


「それよりイルベルイーさ」

「え?」

「倒れているイルベルイーたちを見つけたとき、ハルヤートちゃんは裸だったんだけど?」


 ハルヤート……ちゃん。


「起きたときハルヤートちゃんは、すごくショックを受けた顔をしてたわ。手当した跡があったから悪気はなかったんだでしょうけど、状況から考えて、ハルヤートちゃんの服を脱がせたのはイルベルイーね」

「……」

「知らなかったのなら仕方がないけれど、とにかく、ちゃんと謝りなさいよ?」

「う、うん」


 マリアに詰め寄られていると、部屋の扉がキィと音を立てた。ゆっくりと慣性力で開いていくような扉の向こう側から、町娘風の格好をしたハルが姿を現した。


 可愛らしい桜色のワンピースと空色の短髪は、とてもミスマッチだ。ちょこんと短いバルーン袖とそこから伸びる腕に巻き付くような鱗は、とてもミスマッチだ。だけど恥ずかしそうに俯き加減で、長い睫毛の影を上気した頬に落としたハルは、この瞬間誰よりも女の子だった。


「ハル……」

「い、良いんだ。イルは悪くない。言わなかったのは俺、だから」

「……なんで、どいうこと?」

「その、家の事情で男として育てられたんだ。うち、女兄弟しかいないから。だからイルの前でも男として振る舞っていたし、長男として家も継ぐ」


 ああなるほど、とは思えなかった。でも、今この状況で竜人族の家庭の事情に口出しをするべきではないと思った。


「ハルは男と女、どっちでいたいの?」


 ただ、僕がハルにどう接するかは別だ。ハルが本当は女の子でありたいと思っているのなら、僕くらいはそれを叶えてあげないと思う。今まで通りでいたいのならもちろん言うまでもない。


「…………わ、ワ、ワタ」

「ワタ?」


 勇者を前にしても見ることがなかったハルの緊張。すごく怖がっているのがわかる。


「ワタ、シ、ワタシはっ! ……………………………………………………………………………………女の子でいたい」

「わかった。ハルちゃん」


 茶目っ気たっぷりで笑ってみると、ボンッと音がでるくらい、一気に顔を赤く染めたハルが、目をぐるぐるさせてそのまま仰向けに倒れた。


「ハル?!」


 意地悪が過ぎたようだ。

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