彼女のものということ

 橘家の庭は、青々とした芝生が敷き詰められ、周りは木で囲まれている。風が吹けば、木の葉の揺れる音に耳を癒やされ、雨の日は動物たちの宿となり、実りの季節には恵みをもたらしてくれる。


「ほんとこの家の庭は良いよねぇ。いつの季節でも何かしらの花が咲いてるし、鳥のさえずりは聞こえるし」


 千晃は庭の中央に立ち、優雅に風を感じる。


「あー気持ちいいなぁ。最高のワイン日和だ。そろそろあけていいかな? グラスは?」

「まだダメですよ。準備はじめて5分も経ってないんだから」


 一花は腰に手を当て、出来の悪い生徒を叱るように言う。


「千晃さんもちょっとは手伝ってください。働かざる者食うべからずですよ」

「うんうん、そうだよね。僕は働き者が大好きだよ」

「働き者を好きになるんじゃなくて、自分が働き者になってください」

「特に女の子がちょこまか働いてるのはいいよね。見てて癒やされる」

「発言がエロおやじそのものだな」


 冬陽は呆れて言った。倉庫から運んできたチェアを並べていると、その一脚に千晃はちゃっかり座る。


「それは当然! 僕はエロだからね! おやじだからね!」

「もう呑んでんのか?」

「台所に缶ビールが転がってたからチョット」

「蛍さんに怒られますよ」

「えー。こんな気持ちのいい日に、怒られるのはやだな」


 いくら言っても動かない千晃を放って、一花と冬陽は準備を再開した。台所では蛍が調理を、倉庫前では葉介が装飾品を雑巾で拭いている。パーティーの会場となる庭のセッティングは一花たちの仕事だった。これが進まなくては、食器を運ぶことも出来ない。


「よいしょっと」


 一花は木製のテーブルを運ぶ。そこそこ大きいため、時々休憩を挟みながら庭に向かっていると、冬陽に見つかった。


「お前なぁ。何でこんな重いもん持ってくるんだ」


 冬陽は一花からテーブルを奪うと、軽々と持ち上げた。


「こういうのは男に任せろ」

「あ、ありがとうございます」


 こういうことをされると敵わない、と大きな背中を見ながら一花は思う。

 ぞんざいな物言い。すぐ怒鳴るし、頭をわしゃわしゃとされたり、はたかれたりもする。(もちろん軽くだけれど)

 けれど、一花が何か困っていると必ず助けてくれる。それもごく自然に。当然のように。気負いなく人に優しく出来るのは、稀有なことだと一花は思う。そういう人になりたいと、密かに願うほどに。

 その様子を――冬陽がテーブルを奪い、その背中を一花が見つめるところまで――見ていた千晃は、一花のそばまでやってきた。


「あ、千晃さん。ようやく働く気になりました? ……わっ!」


 千晃は一花を腰から抱き上げ、チェアに戻った。


「ち、千晃さん!?」


 千晃がチェアに座れば、おのずと一花は彼の膝の上に座る格好になってしまう。小さな子供ならまだしも、この年になってこれは恥ずかしい。バタバタと動いて抵抗するが、長い腕からは逃れられない。


「一花ちゃんも少しは休んだら? 君に力仕事は似合わないよ」

「そんなこと言って、1人でサボるのが嫌なだけでしょう」

「違うよ~。君がハル君とイチャイチャしてるのが腹立つんだよ」

「……!」


 一花は顔を赤らめる。そして小さな声で「イチャイチャなんてしてません……」と反論した。可愛らしい反応、けれど余計嫉妬心を煽られる。


「一花ちゃんはハル君のこと好きだよねぇ」

「…………」


 一花は察する。千晃が面倒くさいモードに入った、と。

 前にもこういう絡み方をされた。あの時は「ケイ君のこと好きだよね」と、そのまま東京にさらわれる羽目はめになった。気分屋な分、対処を間違うと困ったことになる。


「こないだはハル君と2人きりでデートしたよね」

「ゴールデンウィークの時のことですか? あれは千晃さんがお仕事だったから2人で行っただけで、ちゃんと合流しましたよね」

「サッカーも行ってた」

「葉介さんも一緒に3人で、です」

「ホームセンター」

「それは最初の頃じゃないですか、というか千晃さんもいたし。そもそもデートというなら、前に2人で表参道に行ったでしょう?」

「へぇ?」


 千晃は嬉しそうに聞き返す。


「一花ちゃん、あれをデートだと認めてくれてるわけだ? ただの買い物、僕の憂さ晴らしに付き合っただけって顔してたのに」

「そ、それは……」

「あれをカウントしていいなら、嬉しいね。もちろん2度目の到来も待っているだけど。いつにする? 来週?」

「ううっ」


 デート。そう改めて言われると気恥ずかしいものがある。けれどそれ以上に、膝に抱えられているこの体勢が恥ずかしくてたまらない。冬陽に助けを求めようと周囲を見渡して、異変に気付く。


「あ、あれ?」


 チェア5脚。丸型と長方形のテーブルが並び、日よけのパラソルもすでに組み立てられている。ガーデンパーティーに必要な家具は全て揃っていた。

 一花は恐る恐る冬陽に尋ねる。


「い、いつの間にここまで……」

「お前らがイチャコラしてる間に」

「イチャコラなんてしてません!」

「え、何で僕の時だけそんな全力で否定するの? ハル君の時は恥ずかしそうにしてたのに」

「ゴチャゴャ言ってねぇで、テーブルとか拭くの手伝え。もうすぐ料理も完成だっつってたぞ」


 ようやく千晃から解放され、一花は冬陽とともに家具を拭く。


「前から思ってたんですけど、冬陽さんってすごく手際がいいですよね。何をするにもスムーズで、早くて……」

「ハル君は根っからのパシリだから」

「誰がパシリだ! 長男だからガキの頃から色々やらされてたんだよ」


 長男。そういえば弟妹がいるんだったと一花は思い出す。詳しい家族構成は聞いていない。どこまで踏み込んでいいか、分からないからだ。


咲馬さくまとソーちゃんには一花ちゃんを会わせてないの?」

「ああ。まだな」

「ええっと……?」

「ハル君の弟たちだよ」


 一花は好奇心を抑えきれず問う。


「お名前は? 何才ですか? 何をしてる人なんですか? どこに住んでらっしゃるんですか?」

「質問が多いな。名前は咲馬とそら。年……咲馬は、28か、9? 空は25くらいじゃねぇの。忘れた」

「あのちっこかったソーちゃんが25! 初めて会ったときは幼稚園児だったのにねぇ」

「院に通ってるから、まだ学生だけどな。咲馬はリーマン。どっちも都内にいる」

「へぇ……冬陽さんと似てるんですか?」

「似てないよ! 性格からして全然違う」


 千晃は得意げに断言する。


「咲馬は口が上手くてコミュ力高いイケメンというハル君と真逆のタイプだし、ソーちゃんは大人しくて可愛くて良い子という、これまたハル君と真逆」

「真逆ってそんないくつもあるもんなのか? まぁ否定はしねぇけど。つか兄弟ならお前にもいるだろ」

「え!? それは初耳です。どんな人なんですか?」

「どんな人だろうねぇ? 僕も今初めて知ったよ」


 冗談っぽくおどけて見せて、ややうんざりした表情で続ける。


「僕の方は兄だよ。頭固いクソマジメ。やることなすこと全部文句つけてくる。実の兄とは思えないほどそりが合わない」

「顔はうり二つなのにな」

「ええ、止めてよ。僕の方が断然男前だから」


 付き合いが長いだけあって、お互いの家族のこともよく知っているらしい。初めて会った時は悪口の応酬おうしゅうだったので、とても親友とは思えなかった。けれど一緒に過ごすほどに、2人の関係性がよく見えてくる。


「……家に帰りたいって思わないんですか?」


 一花は、しずくがこぼれるように、小さく尋ねる。


「皆、家族がいて、自分の家があるのに、ずっとここにいて……いいのかなって」

「俺らにとっては、もうここが自分の家だ」


 冬陽は即答した。茶化すことも間を置くこともなく。


「特に千晃なんか、今が一番楽しいと思ってるぞ」

「!!」

「そうなんですか?」

「高校の時から見てる俺が言うんだ。間違いねぇよ」

「そ、ハル君、何でそういうこと。ああ、もう」


 都合の悪い話を断ち切ろうと、千晃は勢いよく立ち上がる。


「こっちの作業が終わったなら、ケイ君たち手伝いに行こう! ダラダラしてちゃ日が暮れるよ!」

「俺らが台所行っても何も出来ねぇだろ。つか今の今までダラけてたヤツにどうこう言われたくねぇ」

「食器だけでも運んでおきましょうか。グラスとか取り皿とか」


 3人は一旦家に戻る。一花は先に必要なものがあると言って、家の裏手の方に向かった。

 台所から漂う良い匂いに鼻をひくつかせながら、冬陽と千晃は両手にワインとグラスを持つ。


「……さっきの話だけどさ」


 おもむろに千晃は話しかける。その声には慎重さが混じっていた。


「僕ってそんなに楽しそう? 一番とか言っちゃうくらい?」

「ああ、あれか? 適当に言った」

「そうなの!? もー、真顔でウソつくの止めてくれない?」

「でも確信した。やっぱ今が一番楽しいんだろ?」


 冬陽は見透かすような目を向けた。千晃はぐっと声を詰まらせる。


「お前嫌いだもんな、喜怒哀楽をまんま人に見せるの。全部ウソってわけじゃねぇけど、嬉しいことも嬉しそうなふり、怒ってても怒ってるふりに見えるよう、仮面かぶってるみてぇに一線引いてる」

「…………」

「一番楽しそうって、図星突かれたと思ったのか? だからわざわざ確認してきたんだろ?」

「……僕はハル君がこの世で一番嫌いだ」

「そういうの、もういらないと思うんだけどな」


 千晃の悪態を気にも留めず、冬陽は続ける。


「別に楽しくたっていいだろ。誰も責めやしねぇし、笑いもしねぇよ」




 テーブルの前まで来て、グラスを置こうとする冬陽を千晃は止める。


「待って待って。テーブル、何か敷いた方が良くない? ところどころ傷が入ってて、木片が危ないかも」

「新聞紙か」

「新聞紙の上で高級ワインは呑みたくないよ」

「テーブルクロス持ってきました!」


 振り返ると、こちらに向かって一花が走って来るのが見えた。

 風にはためく、純白の布。布はレフ板のように日光を反射して、彼女の美しさに拍車をかける。

 まだまだあどけない、可愛らしい少女。けれど時々、はっと思い知らされることがある。どんなに普段優位に立とうとも、大人を気取っていようとも、分厚い仮面をかぶっていても。

 この少女に掴まれた心は、もうどこにも行きようがない。

 ここが、自分の家。それは言い換えれば、つまり――。


「一花ちゃんはドレスかな?」

「はい?」

「黒髪ロングだから、白無垢いいなーとも思うけど」

「俺もドレスに一票」

「あ、だよねぇ? マリアヴェールつけてほしい」

「マリ……? 何の話ですか? 何に一票を投じたんですか?」

「妄想の話だ、ほっとけ」

「ええ……」




* * * * * *


14話扉絵

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