5. 五年後の世界へ

 本当に、大丈夫なんだろうなぁ。


 翌朝、人目を忍んでコソコソ登校したオレは、白菊とやらにいわれたとおり、まずは職員室へ向かった。

 黒いスクールバッグも、緑のラインの入った白い上履きも、全部彼が用意してくれたから、誰にも不審がられず、ここまで来ることは出来たけど、さすがにそっからの勇気が出ねぇ。

 チャイムが鳴って、生徒がいなくなるまで廊下の隅で逡巡し、それから思い切って中を覗くと、先生方が一斉にこちらを見た。


「おお、待ってたぞ。こっちだ」


 内心ヒヤヒヤしながら、声のした方を見ると、職員室の真ん中辺りで、若い男が手を振っている。

 恐る恐るそばまで行くと、彼は担任の宮前みやまえと名乗り、これからよろしく、などと何の疑いもなくいった。

 オレを転校生だと、完全に信じてるんだ。


「じゃあ、さっそく教室へ行こうか。付いてきて」

「はい」


 もうこうなったら、やるしかねぇ。

 オレは、宮前先生に続き、見慣れた廊下を歩き始めた。


 五年経ったとヤツはいってたけど、校内は何も変わってねぇように思える。

 ただ、この先生は、五年前には、いなかったよな……。

 そんなことを思っていたら、急に先生が振り返った。


「桜田さん、木村サクヤに似てるって、いわれたことないか?」


 って、いきなり恐れてた質問キターっ!


「いえ、別に」


 しらばっくれると、拍子抜けするほどあっさり納得される。


「そっかぁ、だよなぁ。オレが学生の頃は、人気グラビアアイドルだったんだが、今じゃすっかりデっ……別人のように太っちまって、若いのにオバチャンキャラが売りの女芸人みたいになっちまったもんなぁ」

「えっ?」


 そんなっ、オレの女神がっ、サクヤ姫がっ……。

 五年という歳月は、そんなに人を変えてしまうもんなのか。


「サクヤ姫がイワナガ姫になったってネットでも――と、早く行かないと」


 また前を向いた先生の後を付いて、中央階段を上る。

 どうやら教室は、最上階の四階にあるようだ。


「着いたぞ。ちょっと、ここで待っててくれ」


 そして、先生は、目の前の戸を勢いよく開けた。

 2年D組。

 それは偶然にも、頼正オレが在籍していたクラスと同じであり、教室の場所も一緒だった。

 挨拶をし、出欠を確認したあと、先生は高らかに宣言する。


「今日からうちのクラスの仲間になる、転入生を紹介するぞ。桜田さん、入ってきて」


 開けっ放しの戸口から、中へ一歩踏み出したとたん、教室内の空気がガラリと変わった。

 にわかに起こったざわめきが、水を打ったように静まり、すべての視線がオレへと集中する。

 そりゃそうだ。

 自分でいうのもなんだが、すっげぇ美少女だもんな、オレ。

 黒板に名前が書き出されるのを横目に、オレはペコリと頭を下げる。


「桜田よりです。よろしくお願いします」


 それにしても、が女になったからって、すげぇ安直だし、ちょっと古臭くねぇか。

 まあ、文句をいうべき相手は、残念ながらここにいねぇが。


「席は、窓際から二列目の一番後ろ。ルナールくんの隣だな」


 は? ルナールっ?

 なんなんだその、日本人離れした名前は。


Oui ウィ


 戸惑ってると、窓際の後ろで、手が上った。

 こっちだという意味だろう。

 このまま好奇の目にさらされていては、文字通り、化けの皮ががれちまいそうで心臓にも悪いから、とりあえず、そちらへ向かい歩き出す。


 窓の横に並んだ机の列の、前から五番目である最後さいこう

 そこで微笑む少年を見た瞬間、オレは我が目を疑った。

 光を紡いだような、明るい金色の髪。

 肌は白いが病的ではなく、こちらを見上げる瞳は透き通った琥珀色。

 がっ、外人さんだっ!

 しかも、甘い顔立ちのイケメン、いや美少年だっ!

 見慣れた制服の白いシャツが、妙にオシャレに見える。

 実はモデルだとか某国の王子様とか、いや、この際天使だといわれても、素直に信じてしまうだろう。

 何しろ、オレはすでに、男と会っているのだ。

 天使がいたって、おかしくねぇと思う。


Bonボンjour ジュール,Jeジュ m'appelleマ  ペ  ル Kikuyaキ ク ヤ Renard ル ナ ール 


 天使もとい美少年の外人さんは、早口でゴニョゴニョと何かをいった。

 って、何だ今の? 英語?

 甘く柔らかな声だという以外、何一つ聞き取れなかったぞ。

 オレの困惑などお構い無しで、彼はニコニコしながら言葉を続ける。


Appelezア プ レ-moiモ ワ Kikuya」

「えっと……アイキャンノットスピークイングリッシュ?」

Non ノ ン. 英語ではなくフランス語ですよ、Mademoiselle マ ドゥ モ ワ ゼ ル  Yoriko. 母は日本人ですが、父がフランス人なんです」


 フランス語? ハーフ?

 つーか、日本語出来るなら、普通に日本語で話せよ。

 カッコ付けやがって。

 オレは、まだ何か言いたげな彼を無視し、自分の席に付く。


「ほら、授業始まるぞ。前向け、前。もう和泉いずみ先生、廊下で待ってるから。あ、ルナールくん、教科書揃うまで桜田さんに見せてあげてくれないか」

Oui ウィ, avecアヴェックplaisirプレズィール


 ああ、またっ。

 オレの中で、彼の印象が一気にサイアクなものになった。

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