洞窟のウイング・タン

 ウイング・タン。

 僕の通う小学校の学区には洞窟がある。大月山の白金神社の丁度裏側だ。街からは裏側だから見えない。ウイング・タンはそこにいる。

 学区内だけどその洞窟には絶対に行ってはいけないことになっている。だけど、友達も友達のお父さんもお母さんも誰も、実際にそれを見たと言う人はいない。



「ぼっちゃま。夏休みだからってピアノのお稽古怠けちゃいけませんよ!」

 メイドのエミリーが教本で僕の頭を叩く。労働基準法違反の16歳だ。


「わかってるよ。そっちこそ高校の通信講座ちゃんとやりなよ」

 僕がやり返すと、エミリーはテヘペロして笑った。


 僕の家は大金持ちなので使用人が沢山いる。そしてなぜか全員が外国人だ。

 執事のセバスチャンもコックの李さんも庭師のウッドコックも……

 皆には水準よりも高い給料を与えエミリーのような未成年には教育も受けさせる。

 それが持てる者の勤めなのだとお父様はいつもおっしゃっている。


「じゃあ、行ってくるよ」

「いってらっしゃい」

 僕はピアノの教本とか色々カバンに詰め込んで玄関を出た。車を洗っている運転手のラッセルとハイタッチする。黒人特有のしなやかな筋肉と白い歯は、僕も将来こんな風になれたらなぁと憧れる。「イテテッ」ラッセルは僕とハイタッチする為にかがんだせいで、腰を押さえた。歳なんだから無理すんなっ! 筋肉は欲しいけど歳とるのはやだな。


 

 15分ほど庭を歩いて玄関に出ると、僕はカバンを植え込みに隠す。今日はレッスンをサボる。そして洞窟のウイング・タンを倒す。そして夏休み明けに学校のみんなに自慢してやるんだ。そしてそしてそして……


 僕には友達が一人もいない。家が金持ち過ぎるのだ。「おまえんとこの家が街の半分占領してるからみんな不便なんだ」っとか「おまえだけアイドルの握手会6時間独占ってバカにしてんの?」っとか、学校に行くと毎日責められる。


 僕のせいじゃない。


 だけどそれも運命だとあきらめている。実際に、この街の経済の99パーセントは我が家が回している。そしてお父様やお母様がなにかと手を回すのは、鬱陶しいけれど愛情表現のひとつなんだ。





 舗装された道が途切れた。そこからはうっそうとする森の中に砂利がしかれた小路が走る。僕は勇気を振り絞り、そこに一歩踏み出した。魔物退治。僕は生まれ変わるんだ。


 道はさらに険しくなってきた。砂利もなくなり、昨夜の雨で足元が沈むぬかるんだ獣道を進む。段々と心細くなってくる。だけど僕には武器がある。マンガのヒーローが使っていた無敵の武器だ。ウイング・タン用の武器だけど、イノシシだって鹿だってイチコロで倒せる。なにも恐れることはない。僕はヒーローになる。そして……


 

 洞窟の入り口にたどり着いた。ごつごつした岩に水がしたたっている。


 ウイング・タンはこの洞窟の奧に居るはずだ。噂によるとコウモリに似た化け物で、翼の換わりに二本の大きな舌が付いている。その舌を「ぬう゛ぁぁぁぁ」と振動させて空中を舞い、侵入者には「ぬめぅぇろうん」と舌を絡みつかせて襲って食べてしまうのだ。どこからでるのか唾液を常に垂らし、その消化作用で頭と体が常に溶けかかっている。だけど頭と体は常に自己再生でよみがえる。つまり、再生する前に粉々にする以外には倒すことができない半不死の化け物なのだ。


 洞窟に入ったら暫く目を慣らす。最新のスマホの光だけで全体を見渡せるまで我慢する。油断はできない。暗闇でもウイング・タンは超音波のエコーを出してその反射で敵を察知する。だけどいきなりやられない限り、僕には武器がある。


 どんどん奧に進む。ときどき冷たい水滴が背中に落ちて「ひゃっ!」と声を上げそうになるけど我慢した。僕はやれる。きっとやれる。ヒーローになる。そして……


 ギギギギ


 なにか音がする。空耳かと思ったがどうやらそうじゃないようだ。

 洞窟の中は上下がつながった太い柱とタケノコのようにぽこぽこ生えている鍾乳石でいっぱいだ。そして天井からはつらら石がいくつも垂れ下がっている。そのうちの一つが揺れている。



≪ギァァァァァ、ギィギィ、ギャァン、ギャバーーーーー≫



 やっぱりそうだ! こいつがウイング・タン。だけど暗闇の中であいつだけが有利な訳じゃない。スマホのぼわっとした灯りだって十分に目視できる!

 僕には武器がある。ヒーローの無敵の武器だ。

 セッティングをしようと僕はその場にしゃがんだ。その時……


 ふぁさり。何かが落ちた。……それは僕の髪の毛だった。え?


 信じられない。偶然しゃがまなければ、僕は死んでいた。

 なんてスピードなんだ。これじゃあ武器をセットする時間なんてない。


 

 ウイング・タンは笑っている。にやにやと二枚の舌で笑っている。

 一瞬で殺せるのに……相手が弱いのがわかったから次の攻撃を仕掛けずに笑っているのだ。


 ヒーローなんておこがましい。僕はやっぱり友達もいない、いじめられっこだ。

 涙があふれてくる。でも夏休みが終わったら学校に行きたいよ。そして……



 笑い飽きたのかウイング・タンが舌を伸ばす。僕の首を水平に刎ねようとしているようだ。はぁはぁとよだれを垂らす犬がするように横にデロンと伸ばしている。


 次の瞬間。ガキーーーン! 僕の顔の横でカミソリのような舌が停止した。

 受け止めたのは通信制高校の数学のテキストだった。


「エミリー!」

「もう~夏休みだからってピアノのお稽古怠けちゃだめって言ったでしょ?」

「どうしてここが?」

「だって、カバンに赤外線ホーミングミサイルを詰めてるんですもん。なにかあるってすぐわかりますよ」

 エミリーは女子高生らしくキラッポーズで答える。通信制だけど……


 ギィギィ。ウイングタンは首をかしげている。攻撃を受け止めたのがメイド服の可憐な少女だったからだろう。だけど頭と体をどろどろに溶かしながら再生し、次の攻撃を仕掛けてきた。ハサミのように両側から鋭い舌が襲いかかる。


 ジャキン! だがその攻撃は僕とエミリーを挟み込む前に止まった!


「ラッセル!」

「腰は悪くても元海兵隊ですからね。腕力は衰えてないですよ」

 僕たちの背後から二つの舌を捕まえるラッセルの太い腕が伸びる。


「どうしてここが?」

「だから元海兵隊員ですから。カバンの膨らみで中身が赤外線ホーミングミサイルだとすぐにわかりましたよ」

「さよう。海外の通販で赤外線ホーミングミサイルをご購入されたのでなにかあるなと朝から私もそわそわしておりました」

「赤外線ホーミングミサイルで狙うのは胴体にしてくださいね。ウイング・タンのタンは私が責任をもって塩タン定食にします。今夜のまかないにいたしましょう」

「持ってて良かった赤外線ホーミングミサイル。庭師も道具が大切でさぁ」


「セバスチャン! 李さん! ウッドコック! っておまえたち赤外線ホーミングミサイルって言いたいだけだろ!」


「さぁ、ぼっちゃま」

 エミリーが僕の手を取って一緒に照準を合わせる。

 やわらかなエミリーの胸が僕の頬に当たる。

 ミルクのような蜂蜜のような甘い匂いがする。


「いつも練習してるでしょ。ピアノ教本の最初の黒鍵を押す感じです。♭ラ」


           

     『♭ラ』    どかーーーーーーーーーーん!







 翌朝の地方新聞には謎の洞窟大爆発のニュースが掲載された。

 お父様がもみ消してくれたようだ。

 僕の日常は変わらない。夏休みが終わったら、友達がいなくてもいじめられても僕は胸を張って学校に行くんだ。だって僕は一人じゃない。



 ありがとう使用人たち!


 ありがとう赤外線ホーミングミサイル!





 

 



 

 

 

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