短編集パートⅡ

プリンぽん

春の秋波は酔い待ち草よ



 花のお江戸は今日も春。あっしの勘だと明日も春なんでやんしょねぇ。

 梅が咲いたらふた月とはんぶん、ご陽気ようきなのは昔っからの決まりごと。

 そいつにゃあっしも文句はねぇが、天下泰平、平穏無事、のどやかすぎんのも困ったもんで、長屋でくすぶってちゃぁこっちはおまんまの食い上げだ。しようがねぇからおもてにおんでて大通り。ネタはないかなぁ、ネタはないかなぁと、……右に左に尻を振るんでやすがね。取り立てて目ぼしいものもなくしょんぼりまっすぐ歩いていると、“謎解きの佐平次” ってのに出くわしたんで……


「ぃよ! 佐平次の旦那ぁ。いつ見てもいい男だねぇ、こんちくしょうっ!」


 こいつがイケ好かねぇ奴でして……世間じゃぁ、色男だとかなんとかいわれてやすが、男のくせに細眉の、色白、のっぺら坊の青瓢箪あおびょうたん

 遊女風あそびめふうの色付き小袖にどこで散ったか梅の紋。髪を捻って鼈甲べっこうの長いかんざし斜めに挿して、雨でもねぇのに朱色の傘を、かどを曲がるときゃぁくるくる回すってんだからが悪い。

 おまけにあっしより八つは年も下のくせに、どうにも慇懃無礼いんぎんぶれい。 


 まぁこっちも、瓦版屋かわらばんやなんて仕事柄、なにかとかかわりがありやして……



「縁があるねぇ旦那とは。こうなりゃどうしても、一杯付き合って頂きやすぜ」



 よっつに組んであっちに行こうこっちに行こうと大相撲。そしたら急に、

「行きつけの店がある。もう行くまいと決めていたが、あんたとなら行きたい」

 と、そう申しましてね。

 こっちも若造に拝み倒されりゃ、ふんどしに金玉がこぼれたのも許そうってなもんで、



「へい! 旦那。おともしやす」



 大体、謎解きなんぞが飯の種になるってぇのが、しゃくな話じゃありゃぁせんか。

 大店おおだなの蔵で、夜ごと火の玉が散歩するなんてぇと――これは佐平次に知らせておくれぇなんて……商売になるのがいただけねぇ。しかも、ネタを貰う代わりにあっしが奉公人に話を聞きに回ったり、油を付けた布っ切れを屋根からひもで吊るしたりで…………しまいにゃぁ、

「謎はすべてとけた!」

 なぁんてふざけたことをかしやがって――――万事解決。 

 で、……まぁ、その話をあっしが紙に刷って街中、売り歩くわけでして……



「いやぁ! なんともいきな店でゲスなぁ」



 勿体もったいぶって連れて行かれた店は、どうにもこうにも小汚い。

 暖簾のれんは便所色、オヤジの顔も便所色、肝心の便所は店の外。刺身を引くオヤジの包丁が、目に突き刺さりそうに狭いんで。

 ……まぁそんな店なんで先客は、はじっこの方に一人だけ。なんで、酒の肴は待たされずにどんどん出てきやしたがね。



 ※鶏魚イサキ※ 

 イサキの背びれが、鶏冠とさかに似てるってんで、魚の癖に鶏なんですがね。……しゅんにはちょいと早いかなぁと思ったら、糸作りを刻んだ大葉と塩でいただくと……なかなかで。


 ※青柳あおやぎ※ 

 貝の中じゃいちばん好きだね。さっと湯ぶりして、チョチョンと切った刺身はくぅぅんと磯の香りが鼻を抜けまして、もれなく付いてくる貝柱の大星、小星をあぶったものは、じんわり甘い。



 なんでえぃ、結構いい店じゃねぇかっ! と、ほろ酔いになった所で、

「オヤジ、酒だ」

 職人風の客が一人、暖簾を割って入ってきた。


 そいつがどうにもこうにもかにみたいな顔で、身も甲羅こうらみたいに広くて固くて隣に座られたこっちは、痛くて痛くてたまらねぇ。おまけに来て早々、湯呑みの酒をぐびぐびと……まぁ野暮でねぇ。 

 でもまぁ、そこはあっしも心得たもんで、


「ぃよ! 旦那ぁ、いい飲みっぷりっ!」


 っと、そう声を掛けたんですがね。ぶすっとして何も言いやがらねぇ。


 つれの佐平次も白いさかずき、難しそうに舐めるだけ。



 ――――いきすい心得こころえてない奴ばかり――――


 

 こうなりゃ目の前のさかなを相手にするのが一番。

「いいネタはここにあった!」なぁんて瓦版屋、冗句ジョークを飛ばし……(こほんっ)

 




…………酒の肴は続きやす。





 ※眼張めばる※ 

 目を見張るからメバルってほどでもねぇが、竹の子と合わせた汁物で……なまに飽きた頃合いに、丁度いい塩梅あんばい



 ※白鱚しろぎす

 青が旨いというのもいるが、あっしゃ臭みがないから断然こっち。身から湯気立つ揚げたての、食われちまうのに喜ぶってのがいさぎよい。



 ※初鰹はつがつお

 きたよ。きやがったよこんちくしょうっ! 女房を質に入れてもねぇのに目の前にあるたぁ恐れ入った。逃げるなよ? ふた切れだけってのが寂しいが、み切れじゃ勘定怖くてこっちが逃げる支度しなきゃならねぇ。後生だから逃げるなよ?

 


 ※烏賊いか※ 

 ええ。ええ。ここまでくりゃぁ文句なんかありゃしやせん。透き通った身は、この際、アオリでもスルメでもなんでもけっこう、結構毛だらけ猫灰だらけ。

恐れ入谷の鬼子母神。ありがたくって涙でてくらぁ。



 ※秋波※ 

 季節は春。――――んっ!?  秋波しゅうは???



 いえねぇ、……店に入ったときから気にはなっておりやした、あっしらが来るまえから居た、女の客。それがまぁなんとも言えず、艶めかしい“気”でしてね。


 秋波を送るってぇのはつまり、…………女が男に使う色目の事でして……。



 そうさなぁ、年の頃なら三十四、五。脂がのった食べ頃の、白魚のような透き通った肌。酒には弱いんでやしょうねぇ、それが桃色に染まって……てへへ。


「姉さん、粋な着物だねぇ。京かね? 加賀かね?」

「嫌だねぇ、安物だよ。でも、褒めてくれるのは嬉しいねぇ」


 っと、まんざらでもねぇご様子。

 女ひとり呑んでるってぇのは、てへへ。つまりは、そういうことで……

 こうなりゃ唐変木とうへんぼくの佐平次なんざほっといて、口説いたねぇ。あっしゃ口説いたねぇ。





※   ※   ※   ※   ※





 ところが、……しめの茶漬けがでた頃にゃ女の熱が冷めやがって……。そっからは押しても引いてもまるで駄目。ずいぶんと粘ったんだが、しまいにゃ袖を引かれて店の外。


 狐につままれたみてぇな心持ちで、袖を引いた佐平次と並んでふたり大通り。


「あっし…………なんか気にさわることでも言いやしたかねぇ?」


「ははは、いくら口説いたって、あのひとは駄目だよ」


「へ? そりゃどういう?」


「もとは深川の芸者でね。あの店に来る客はたいてい色目を使われるのさ。男が本気になったところで、手練手管てれんてくだでイナされるのがオチさ」


「カァーぁ、悪い女だねぇ。……ああぁっ! 旦那ぁ! 勘定の時、店のオヤジとごにょごにょ喋ってやしたね? …………えさも付けずに釣り糸を、らすあっしを笑ってたんで?」


「ははは、違うよ、違う。隣に男が居たろう? あれは、あいつにでも出しちゃぁどうだいって、ただそれだけの話しさ」


「こりゃぁまた、妙なことを言いやすねぇ。奈良漬ってのは……うりなんかを酒粕さけかすに漬ける……酒の肴に酒粕は、あんまし相性のいいもんじゃ御座ございやせんぜ?」


「ところがそうでもないのさ。あの男が呑んでいる酒な…………ありゃ水だ」


「へ!? なんですかいそりゃ?」


「どうにも飲み足りなくてねぇ、男が便所に行くその隙に、くすねて呑んだことがある。詳しい経緯いきさつは知らねぇが、オヤジに聞くと二年前から………………男はまったくの下戸げこだそうだ。まぁ、水に酒代、払うんだ。店も文句はねぇのさ」


「また意地汚いことを……しかし、ますます妙な話でやすねぇ」


「そこで奈良漬ってわけさ」っと、ふふふと笑う。

 


 女狐と蟹。あっしはどうにも蜘蛛くも糸にからめ取られたモヤっとした心持こころもちちで、


「もっと、あっしにもわかるように話しておくんなせぇ」


「……あれは腕のいい畳職人でね。何十年もコツコツと真面目に働かなけりゃ、あぁはならねぇ。でもね、女にゃとんと意気地がない。四十過ぎて女の手ひとつ握ったことがねぇそうだ」


 そこであっしは膝を打ったねっ! ぽんっと。


「なるほど! 蟹が女狐に惚れたんで……それで水を飲んでの、酔い待ち草!」


「ところがそうでもないのさ。……お前さん、好きな女に意地悪したことはないかい?」


「いやあの、あっしをいくつだと思ってるんで? ……そりゃまぁ、餓鬼ガキんときにゃそういうことも……」


「男はそうだよ。だがまぁ、女はもうちぃっと、知恵がまわる」


「はてはて? わからねぇ」


「あのひとは、昔はそりゃぁ気風きっぷのいい、男勝りの鉄火芸者てっかげいしゃでねぇ。あの姉さんは覚えちゃいないだろうが、私がうんと若い頃、博徒ともめて危ないおりに命を助けられたことがある……まぁ、昔話さ。それが芸者の散りぎわ、いくらも旦那衆の誘いもあっただろうに川向こうで小間物屋を始めた……小さな、小さなあきないさ。川向こうって言ってもあれだよ? 橋はかかっちゃいねぇ。あの店に毎晩、通うには、大回りに回って女の足じゃそりゃぁ……遠かろうよ。―――――――――― そいつが、二年前」


「??? …………するってぇとなんです? 女のほうもその気があるって言うんですかい?」


ようだねぇ」


「馬鹿馬鹿しいっ! そんならそうと女狐が芸者上りの修羅しゅらシュシュシュ。蟹に色目を使えばそれで済む話じゃござんせんか」


「そうさねぇ、そのほうが話は早い。まぁ、芸者を十年も続けてりゃ、そりゃぁ汚いもんも見てきたろうし手練手管も覚えただろうさ。でもね、客のあしらいは覚えてもこればっかりはどうしようもねぇ。あの女狐はさわるのが怖くて震えているのさ…………男の真心。 ―――――――― 酔い待ち草は……女のほう」


「…………それで、下戸に奈良漬ですかい?」


「こっちは糸をほどくのが商売だ。奈良漬で足りなきゃ酒を混ぜておやりと言っておいた」



 それだけいうと佐平次は……春の風かねぇ? 秋の風かねぇ? 前髪を揺らして


「あら、謎解きの」「ステキねぇ」なぁんて、女子おなごさえずりなんぞ、どこ吹く風。


 ……まぁどうでもいいふうなんですがね。すっとぼけた顔であっしに背中を魅せるんでさぁ。






 ※   ※   ※   ※   ※






 この話はここでおしめぇなんですがね……


 あっしはどうしても、この青瓢箪に一杯、おごりたくなったんで。 


 へ? てへへ…………謎を解いたからじゃありやせんぜ?





 男は馬鹿だ。女みたいに他人に色目を使って惚れた相手の気を引こうなんて、そんな高尚な手練は出来やしません。せいぜい――――意地悪するのが関の山。







(もう行くまいと決めた店)







 酔い待ち草が、もうひとり。 …………ただ、それだけのお話で。










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