Chapter3

 女というのは、勿体ぶる生き物だ。こちらが油断して鼻の下を伸ばした隙に逃げて後回しにする。

しんは詰めが甘いんだよ」

 同じ学部の夏木が毎度のように茶化してくるが「なるほど、そういうことか」と気づいたのはついさっき。が並んで歩く姿を目にし、昔抱いた酸っぱいものが甦った。

 どうして、木ノ下の隣があいつなんだろう。どうして僕じゃないんだろう。たまたま会っただけなのか、それとも——いや、勝手に邪推してどうする。

 木ノ下絢は、見ない内に一段と綺麗になった。小さな顔、ぷっくりとした唇、たれた目の上には薄く色を乗せている。華やいではいるが、あの白い花が幼さを残していた。

「木ノ下」

 廊下ですれ違い、思い切って声をかける。彼女の髪の毛に乗せたバニラが鼻の奥をくすぐり、途端に懐かしい緊張が襲った。

「上原くん、久しぶり」

「うん。久しぶり」

 木ノ下の背は伸びたが、やはり僕の方が高い。彼女を見下ろしてしまうのも、僕を見上げるのも相変わらずだ。

 この景色はいつまで経っても変わらない。それなのに流れる時間は早くて、周りは随分と変わっていく。

「ちょっと時間、いい?」

 僕は有無を言わさず彼女の手を取った。


「上原くんからこうして誘ってくるの、初めてじゃない?」

 人気のない中庭で、木ノ下は腕時計を見ながら素っ気なく言う。

「ダメだった?」

「ううん。全然。そんなことないよ」

 慌てた口調。誰かと待ち合わせでもしているのか、強引に引っ張ったのが嫌だったか、隠された思いを読み取ることはできない。

「あの、さ……木ノ下って、夏木と付き合ってるの?」

「へ?」

「夏木、分かるよね。こないだ一緒にいるのを見たんだ」

「えっと……なんで、上原くんが気にするのかな」

 視線をずらし、困ったように言う。

 女というのは勿体ぶる生き物だ。でも、男だってはっきりしないし大事なことは濁して逃げてしまう。

 僕はもう自分の気持ちを変に誤魔化すのは嫌だった。頭の中をループする流行りの音楽みたいに、彼女への思いが繰り返されていくばかり。

 ずっと、はっきりしないまま木ノ下を見ているのはもう限界だ。

 だから——

「僕が木ノ下のこと、ずっと好きだからだよ」

 木ノ下は俯いてしまった。枯れ葉がはらはらと彼女の頭に乗る。そっと払って、髪の毛に隠れた顔を覗き込んだ。

 目が、合う。

「えっと、上原くん……それなら一つ、条件が……」

 まばたきが忙しない、途切れ途切れの声。

 僕はその言葉を待っていた。続きはもう知っている。

——私にキスしてください。出来なければ……

 リップで潤んだその唇を塞いで、僕は彼女の味を知った。

 やっぱりバニラだ。段々もっと甘くなる。そんな感じ。

「出来なければ、なんだったっけ」

 訊くと彼女は目を丸くして驚いた。そして、ふにゃりと笑う。

「なんでもない」

 その答えに僕もようやく頬を緩めた。

「僕、木ノ下のことがずっと前から好きだったはずなのに、いつも気持ちが続かなくてさ……ずっと考えてたんだ。木ノ下のこと」

 僕からキスをすれば、何かが変わるのだろうか。

 いつもいつも思っていた。どうして、何度も同じことを繰り返してしまうのか分からなかった。それが知りたくて……

 すると、今度は彼女の顔が近づいた。僕の首に腕を回して、唇を押し当ててくる。柔らかな感触を愛おしく思えたのは、多分、これがだろう。


「上原くん」

 僕の唇を噛むようにキスをした木ノ下が、そっと囁いたのは数分後。

「私のこと、、好き?」

 その声は少し震えていた。

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