彼女のdiary

水谷一志

第1話 別れ話

「突然だけど、私たち、別れない?」

大野優おおのゆうは、付き合っていた恋人の、新川史香あらかわふみかに、こう切り出され、戸惑っていた。

 「急に何でそんなこと言うの?昨日まで、俺たち仲良かったじゃん。そんな、急に…。史香、何かあった?」

「別に何もないよ。ただ、私が優と別れたくなっただけ。

 話したいことはそれだけだから、私、もう帰るね。さよなら。」

 こうして優と史香は、別れることになった。しかし、優の頭は、状況を理解できていない。確かに、ここ1週間ほどは、優と史香は2人とも忙しく、会う時間はなかった。でも、お互いにメールのやりとりはしており、そのやりとりの中には、

 「最近は忙しくて会えないけど、元気?」

「優に会えないと、ちょっと、いやかなり寂しいよ~。また連絡してね!」

「分かった。俺も史香に会いたい。また、時間ができたら、連絡するから。」

など、他人が見たら少し恥ずかしくなるような内容のものもあった。

 そして、優が史香に別れを切り出された前日のメールも、

「ごめん、優。明日、ちょっと話があるんだけど、いい?」

という内容のもので、少し業務連絡口調が気になったとはいえ、決して別れを匂わせるような文面ではなかった。

 それなのに…。

 1週間ぶりに優と史香が会って、最初に言われた言葉が、「別れよう。」という内容のものであった。そして、史香は有無を言わさず、その場から一方的に去っていった。1人残された優は、ただ、茫然とするしかなかった。

 そこは、優と史香がデートでよく行っていた、カフェであった。優は、特にカフェが好き、というわけではないが、史香がこういう場所を好きなので、一緒によく、あちこちのカフェへ行っていた。その中でも、今日会った場所は、優と史香の通う大学から近く、行きつけになっている、カフェであった。

 優は、そこに留まっていても仕方がないので、気を取り直し、カフェを後にした。外を見れば、そのカフェの近くには、桜の木がある。今は4月上旬ということもあり、また、今日は雲一つない快晴であったので、優は桜の花がきれいに咲いているのを、はっきりと見ることができた。春は出会いの季節であると同時に、別れの季節でもある―。そして今の優にとって、この季節は後者にあたる―。優は、悲しい気持ちになりながら、自分の心とは裏腹の、晴れわたった空と満開の桜を見上げた。また、優の目には、涙が光っており、空や桜を見上げていないと、それがそのままこぼれ落ちてきそうで、いたたまれない、優はそんな気持ちであった。


   ※ ※ ※ ※

 優と史香が出会ったのは、大学の軽音サークルである。1年前の今頃、とある総合大学の、経済学部に合格した優は、 これから始まるキャンパスライフに、期待と一抹の不安を抱いていた。そして、大学に入ったからには、何かのサークルに入りたい、優はそう思い、かねてより興味のあった、軽音サークルに入ることにしたのである。優はそれまで、楽器演奏の経験はなかったが、ロックなどの音楽が好きで、いつか、自分もギターやドラムなどをプレイしたい、そう思っていた。そして、憧れの軽音サークルに入ることになり、ちょうどギターのポジションが空いていたので、ギターをプレイすることになったのである。

 また、1度ハマると、とことんのめり込むタイプの優は、ギターを中心としたロックミュージックで、今まで聴かなかったような、洋楽のマニアックな曲まで、聴くようになっていた。そして、研究熱心なところもある優は、有名なギタリストのライブ映像や、MVもほぼ毎日見るようになり、ギターの腕前を、どんどん上げるようになっていた。ただ、そのためか、学業の方はどうしてもおろそかになり、周りの友達に、

「優、音楽に対して研究熱心なのはいいけど、勉強もしなよ。ところで、単位の方は大丈夫?」

と、心配される始末であった。(もちろん、優は後の期末テストである程度の成績を収め、単位はとれているが。)

 そして、そのサークルに史香が入ってきたのは、満開の桜が葉桜になり、夏の香りが見え始めた、季節の頃であった。

 「新川史香です。今日から、ここの軽音サークルに入ることになりました。よろしくお願いします!」   

史香は、サークルに入る時、このように元気にあいさつした。そして、その姿が、優には眩しく映った。

 史香は、背はそれほど高くなく、きれいなショートカットの黒髪で、大学生らしからぬあどけなさを残した、少女のような女の子であった。また愛嬌のある笑顔を振りまき、みんなを元気にさせる、そんな力も持っていた。そして、優はそんな史香を見た瞬間、恋に落ちてしまった。

 「新川史香さん、初めまして。僕は、大野優って言います。」

優は史香と顔を合わせた時、こうあいさつした。しかし、この時点で史香を異性として意識していた優は、ろくに目も合わせることができず、

「ヤバい、俺、多分新川さんに嫌われた…。」

と思い、1人で落ち込む羽目になった。ただ、

「はじめまして、大野さん。初めてのサークル活動で、分からないことだらけですが、いろいろ教えてくださいね。」

と史香に優は言われ、そのことで、

「よし、ここで新川さんにアピールして、良く思われたい、いや、思われるぞ。」

こういった気持ちも、優は持つに至った。

 その後、運命のいたずらか、優と史香は軽音サークル内で結成された、バンド「PEACEFUL MINDピースフル・マインド」の、それぞれギターとピアノ担当として、同じ舞台で演奏をすることになった。優は、そのことが決まった時、

「やった、チャンス到来!日頃のギターの特訓の成果を、発揮しないとな。」

と、俄然やる気になった。

 そして、同じバンドでプレイすることになったことがきっかけで、優は、史香と話す機会が多くなった。そして、実は史香は、実家がかなりの資産家で、生粋のお嬢様である、ということが分かった。また、バンドでもプレイすることになったピアノは、3歳の頃から習っており、かなりの腕前である、ということ、今までクラシック音楽を中心に演奏してきたので、少し趣向の違う、ロックなどの音楽に挑戦したくて、ここの軽音サークルに入ったこと、などを、史香は優に伝えた。そして、優の方は、

「えっ、すごいお嬢様。俺なんか、相手にされるかな?」

と、一瞬怯んだが、史香は、決して家が裕福ではない優のことも、差別することなく接してくれたので、優は心の中で少し安心した。

 また、史香の方は、お嬢様、という自分の境遇や、あどけない、可憐な少女のような見た目とは裏腹な、サバサバした一面を持ちあわせており、例えば、

「私、よく、

『史香は見た目は、本当にお嬢様だけど、中身、全然違うよね。』

って、言われるんだ~。例えば、好きな音楽なんかも、もちろん、ずっとやってきたクラシックも好きだけど、メタルやヴィジュアル系のロックなんかも聴くよ。それに私、見た目はこんなだけど、そんなに女の子女の子してない、っていうか、ちょっと男の子っぽいところがあるのかな?よく、友達からそう言われる。

 あと、しゃべり方も特徴的って言われるよ~。」

と、自分で発言している。(実際、史香は少し、語尾を伸ばす癖がある。)その見た目と、性格や話し方にはかなりのギャップがあり、それが優の心をキュンとさせた。

 また、史香は、将来の夢ははっきりしており、

「私、将来は、音楽の教師になりたい!教師になって、生徒のみんなに、音楽の楽しさ、素晴らしさを伝えたいんだ。私のいる教育学部だって、そのために入ったんだからね。

 教師になるためには、ピアノももっともっと練習しないとダメだし、もっと勉強しないといけない。大変なのは分かってるけど、それでも、頑張りたい。それが、私の将来の夢なんだ~。」

と、優や周りの人間に、伝えていた。

 そして、優はそうやって史香と話をし、史香と接するうちに、自分の史香に対する気持ちが、「ほのかな恋心」から、「確かな恋」に変わっていくのを、感じた。自分は、単に見た目がかわいいから、また見た目と話し方などにギャップがあるから、史香さんのことが好きなわけではない。俺は、史香さんの「教師になる」という夢を、本気で応援したい。それに、史香さんには、人を和ませ、元気にさせる力がある―。俺は、史香さんのそういう所が好きなんだ!優は、この時、自分の史香に対する気持ちに、確信を抱いていた。

 そして、史香の方も、そんな優に、徐々に好意を寄せるようになった。

 史香は、こう見えてと言っては何だが、人を見る目があり、特に、自分に好意を寄せる人のことは、すぐに見抜ける体質であった。(それは、史香が今まで、その愛らしいルックスなどから、モテてきたこととも関係している。)実際、史香は大学に入った直後も、周りの人間からしょっちゅう声をかけられた。

 例えば、同じ教育学部の学生からは、

「君、かわいいね。よろしく。名前何ていうの?良かったら今度、俺とご飯行かない?」などの露骨な誘いが、頻繁にあった。そのため、史香はそのことに少しうんざりし、そういった誘いがある度に、

「すみませんが、私、忙しいので…。」

と、断っていた。

 また、それもあって、最初史香は、

「今すぐにサークルに入ったら、また変な男性に声をかけられそうで嫌だな…。だって、同じ学部の学生からも、かなり声かけられたし…。サークルに入るのは、もうちょっと後にしようかな~。」

と考え、優が4月当初に入ったサークルに、(もちろん、最初から史香はそのサークルに興味はあったのだが)遅れて入ることにしたのである。

 そして、一応その効果はあり、4月当初激しかったサークルへの勧誘や、それに名を借りたデートの誘いなども、葉桜の季節には落ち着いており、史香が思ったように、史香に積極的に声をかけてくる男性は少なかった。

 そして、そんな時に、史香は優と出会った。

史香は、優を見て、

「あ、また変な男性から声をかけられそう…。」

と、すぐに思った。実際、この時点で優は史香に好意を寄せており、史香の方も、それに気づいていた。(この辺りは、史香にとって、「いつも通り」であった。)そして、

「また、デートに誘われたら、断らないといけないかな~。」

と、史香は優を見て、そう思った。

 しかし…、

 優は、今までの他の男性とは、違った。まず、優は史香に対して、積極的に声をかけようとはしなかった。それは、優がどちらかというと、女性に対してシャイな部分があるためであったが、それが史香には、

「あれ、この人、声をかけてこないんだ~。」

と、新鮮に映った。

 また、優は史香にアピールするために、ギターの腕前を、積極的に披露しようとした。それが、史香の目には、かわいく映った。実際、優のギターは、この時点で初心者とは思えないほど上達しており、

「この人、ギター初心者みたいだけど、とてもそうは思えない!」

と、史香に思わせることができ、アピール効果は抜群であった。

 それに、

「初心者から始めて、ここまでギターが弾けるようになるなんて、この人、努力家なのかな?」

とも、優は史香に思わせることができた。(やはり、優のギター作戦は成功だったと言える。)

 そして、極めつけは、優の史香に対する態度であった。今まで史香は、男性から声をかけられ、それを断ると、その男性たちは、

「何だ、乗って来ないのか。よし、次いこ、次。」

といった態度を、声に出す出さないに関わりなく、あからさまに出していた。そのため、史香は、

「男の人って、私たち女の子の、見た目には興味あるけど、性格とか、中身には、興味ないんじゃないかな。」

と考え、少しだけではあるが男性不信になっていた。しかし、優は違った。優と史香が所属することになった、軽音サークル内のバンド、「ピースフル・マインド」の活動を通して、優と史香は話す機会が多くなったが、その時の優は、史香の話を、真剣に聴いてくれた。そして、史香が優に、「音楽の教師になりたい。」という、史香の夢を話すと、

「すごいじゃん、史香さん!夢に向かって努力するって、かっこいいことだと思うよ。俺、史香さんの夢、全力で応援するから!」

と、優は史香に伝えたのである。

 そして、徐々にではあるが、史香にとっても、優は特別な存在になっていった。この人は、他の男性とは違う。私にとって、特別な人だ。そして、私は、この人と一緒にいたい―。史香も、優と同じく、そのような気持ちを、持つようになった。

 「史香さん、僕と付き合ってください!」

優が史香に交際を申し込んだのは、それからしばらくしてのことである。この時2人は、お互いにお互いを愛しく、大切に思っていたので、史香も、

「はい、喜んで。」

と、優の申し出を受け入れた。こうして2人は、付き合うことになったのである。

 それから2人は、2人の所属しているバンドの活動や、2人きりでのデート等を通して、順調に愛を育んでいった。特に、バンド活動の方では、2人で一緒に作詞、作曲をするなどして、2人の絆を深めていった。また、お互いに、

「これって、2人の共同作業だよね、史香?」

「うん、優。こういうことができるのも、音楽ならではだよね~。」

と言い合い、この作業を、心から楽しんでいるようであった。(ちなみに、2人は付き合い始めてから、お互いのことを「史香」「優」と、下の名前で呼び捨てにするようになっていた。)


※ ※ ※ ※

 あの日から、約1年弱が過ぎた。葉桜の季節に、優が史香と出会い、交際をスタートさせてから、新緑の季節、そして葉が真緑になる8月、また秋、そして木が枯れる冬の季節を、2人は過ごしてきた。その間2人は本当に仲が良く、些細なケンカすら、してこなかった。それなのに、今は―。史香の一方的な「別れよう、私たち。」という宣言で、今まで築いてきた、優と史香との信頼関係、愛が、簡単に壊れてしまった、優はそう思った。

「俺、史香に嫌われるようなこと、したかな?もしかしたら、最近忙しかったことを言い訳にして、俺、史香とのことを、真剣に考えてなかったのかもしれない。それで、史香に対して、気づかないうちに冷たい態度をとってしまったのかもしれない。そうだきっと。俺が悪いんだ。だから史香にちゃんと謝って、許してもらおう。優しい史香のことだから、きっと、許してくれるに違いない。」

優は、史香に振られた直後、そう考えた。そして、史香の機嫌が良くなるまで、ちょっと待っておこうと思い、もう1週間ほどしてから、史香に電話して、謝ることに決めた。

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