第八話

 4月9日 AM6:00 第7ターン


『ジリリリリッ』

『6時の移動ターンの時間です。今から15分以内に移動する扉を選択して下さい』


 俺は警報音とアナウンスで半覚醒だった頭を起こした。タイルの上で座って寝ていたので尾骶骨が痛む。目を開けると大樹は既に起きていてマットの上に座っていた。


「郁斗、起きたか?」

「あぁ」

「行き先は本当に出口のある隣の部屋でいいんだな? ここまでゲームが進むと出口のある外周の部屋を移動し続けるプレイヤーが多いはずだ。そろそろみんなゲームの攻略法に気づき始めてるからな。中部屋の方が他のプレイヤーと会う可能性が低くなるぞ」

「それでも0ではない。逆に外周の部屋で他のプレイヤーと会わない可能性だってある。考えたってわからないんだから、出口に近い方を目指そう」

「わかった」


 俺と大輝は腕の端末の『E』のボタンをタッチした。


 15分後、東の扉が開いた。先の部屋には誰もいないようだ。すると背後から声が聞こえた。


「え、君たち……」


 俺と大輝は振り返った。すると西の扉が開いていて、その先の部屋に中川が立っていた。


「安心しろ。津本の姿はまだない。こっちの部屋に移動したらトイレの壁の陰にでも隠れてろ」


 大輝が中川の恐怖を和らげるように言った。そして俺と大輝は東の部屋に移動した。俺達が通った扉以外開いていない。他には誰もこの部屋に来ないようだ。津本がどのタイミングで入室してくるのかわからないが、繋がっている隣の部屋にいる中川とのミスマッチにさえ気をつければ問題ない。


「中川、こっちの部屋のN扉が出口だ。出た奴を見てるから間違いない」

「そうか、わかった。教えてくれてありがとう」


 中川は便器脇の腰高の壁から顔を覗かせて言った。本来ならば喉から手が出るほどほしい出口の情報。しかし中川の表情は引きつっていた。今からその出口のある部屋に津本が来るのだから無理もない。


 俺と大輝は緊張した面持ちで北側の扉と対峙していた。他のフロアから津本が来るなら、外周側のこの扉だと思う。移動完了までのカウントダウンは残り1分を表示していた。

 その時。北側の扉がゆっくりと開いた。扉の先には津本が不適な笑みを浮かべていた。肩には通学鞄を下げている。


「そう睨むなよ。まずはミッションを確認しようや。あと1分でお前ら2人を片付けるのはさすがに無理だからな」


 扉が開ききるなり津本は言った。そして不適な笑みを崩さないまま俺たちのいる部屋に入ってきた。俺は津本に問い掛けた。


「どうやってここまで来た?」

「黒子が案内してくれたんだよ」

「黒子?」

「あぁ。閉め切ってる外側の扉を前回のミッションに倣って開けてくれたんだよ。そんで黒子に案内されて外に出た。そしてこの階のこの部屋に来た。

 どうやら俺たちは男女比均等に8人ずつ4つの階に振り分けられてるみたいだな。ちなみに外周側の部屋の外は、俺たちがゲームをしてる25室を囲む回廊になってんぞ」


 部屋の外はそんな風になっていたのか。8人ずつ4つの階に振り分けられているのは大輝が予想した通りだ。


「井上の死体はどうした?」

「それも黒子が持っていったよ。モニターに『収容のため今から黒子が作業をする。その間に開いた扉から出ることは禁止とする。また、黒子に危害を加えることも禁止とする。これを破れば失格になる』って表示されんだよ。ものの5分くらいで作業してったぜ」


 そういうからくりになっていたのか。


 程なくして時間になり開いていたすべての扉が閉まった。


『ジリリリリッ』

『同室3室確認。ミッションを発令します。モニターをご覧下さい』


 警報音に続きアナウンスが流れ、そして作動した3つのモニターにテロップが表示された。


『渡辺正信、鈴木美紀は『N』『W』『E』の3枚のくじを作れ。そしてそれを1枚ずつ引け。次の移動選択ターンで引いたくじと同じ表記の扉を選択しろ。制限時間は次の移動ターン選択時まで』

『太田真子、前田志保は十秒間ディープキスをしろ。制限時間は次の移動ターン開始まで』


 真子……


「ほう、波多野を大好きな太田はレズミッションか」

「は?」


 どういうことだ。真子が俺を好き? 大輝に続き高校入学後に初めて会った津本まで俺たちの中学のときのエピソードを知っているのか?


「で、お前はどうなんだよ? 太田の――」

「やめろ。俺たちのミッションが出たぞ」


 津本の言葉を大輝が遮った。俺と津本は俺たちが映っているモニターに目を向けた。


『瀬古大輝、津本隆弘、波多野郁斗は敗者が1名決定するまで三つ巴で戦え。敗者の決定方法は降参を宣言するか、骨折するまで。骨折箇所は問わない。ただし降参を宣言した者は失格とする。次の移動ターン開始まで殺すことは禁止とし、殺した者は敗者になり失格となる。制限時間は次の移動ターン開始まで』


 直接的で過激なミッションだ。誰も死なないためには誰かが骨折するしかない。できるのか。津本を骨折させるなんて。逆にもし骨折させられたら次の移動ターンが始まった瞬間に殺されるのではないのか。骨折をして怪我人になるのは危険すぎる。

 マットを挟んで俺と大輝と対峙している津本は徐に通学鞄から伸縮警棒を取り出した。なんというものを持ち歩いているのだ、こいつは。


「殺しちゃダメ。けど骨折をさせる。ならこれだな」


 津本は伸縮警棒を舐めるように見ながら言った。


「郁斗、あいつはまず俺を骨折させてミッションを終わらせ、その後は死なない程度に俺たち2人を痛めつけるつもりだ。気をつけろ」

「わかった」


 バサッ、という音を立てて津本の鞄が床に落ちた。それを合図とするかのように津本がマットを飛び越え俺めがけて突進してきた。


「って、俺からかよ」


 津本は右手に握った警棒を振りかぶり、そして勢いよく振り下りした。俺はそれをサイドステップで間一髪避わした。今後この時ほど、部活でサッカーのステップの練習をさぼらなくて良かったと思う日はないだろう。

 津本は振り下ろした警棒を今度は大輝めがけて横に振った。大輝はそれを肩で受けた。大丈夫なのか? 今の攻撃で骨折していないのか?

 大輝はその攻撃を受けると同時に津本の腕を取り、そのまま一本背負いをした。津本の体が宙を舞い、そのままマットに叩きつけられた。津本にしても大輝にしても8畳にも満たない狭い部屋でよくもまぁ機敏且つ大胆に動けるものだ。まったく迷いがない。


 津本を投げた後の大輝はそれこそ素早かった。警棒を握った津本の右腕を股で挟み込み、床に尻を付くと両足で津本の胸を押さえた。


「郁斗、警棒取り上げろ!」


 俺はその大輝の怒鳴り声にはっとし、慌てて警棒を取り上げた。津本の右ひじは完全に関節を決められていて力が入っていなかった。それにより警棒を取り上げるのは容易かった。津本は上半身を床に押さえ込まれているものの、足をばたつかせ暴れている。


「そのまま腰を抑えろ」


 次の大輝の怒鳴り声に俺は警棒を握ったまま反応し、津本の腰にうつ伏せの格好で覆いかぶさった。津本が暴れるため、痛くはないが腹に衝撃がくる。


『ボキッ』


 俺が必死で津本の下半身を押さえていると乾いた音が部屋に響いた。そして俺は肩越しに大輝が力を抜いたのがわかった。


「もういいぞ」


 俺は大輝のその言葉に上体を起こした。そして津本を見てみると右ひじがあらぬ方向に曲がっていた。津本は左手を右ひじに持っていき苦悶の表情を浮かべている。すると3人の腕の端末が光った。


『敗者決定』


 そう表示されていた。次の移動ターンまで殺してはいけないルールがあるため、まだミッションクリアではないようだ。しかし俺たちの部屋のモニターは暗転していた。端末の時計は6:31を示している。扉が閉まってからまだ2分も経っていない出来事。俺は何時間も経過したかのような疲労を感じていた。


「さすがに強かったな。2人掛かりじゃなきゃ危なかった。俺1人に集中されるような状況だったら結果は逆だったかもしれん」


 大輝はそう言うと俺から警棒を取り上げた。そして津本のブレザーのポケットと鞄の中を確認し始めた。たった1分ちょっとの出来事とは言え、大輝の本音だろう。何事でも上級者同士のひりつくような勝負は一瞬で片がつくと聞いたことがあるが、まったくその通りだと思う。今日俺はそれを目の当たりにした。


 俺は真子の部屋のモニターに目を向けた。そこには暗転したモニターを見つめる真子の姿が映っていた。俺たちの部屋を見ていたのだろうか。テロップは消えているが、俺は真子に課されたミッションを思い出していた。

 程なくして真子は同室の前田と顔を寄せ合った。俺は嫉妬と好奇心からその様子を食い入るように見つめた。


「真子……」


 俺は声にならない声を発した。相手が男でなくて良かったと思う反面、女にすらも嫉妬を自覚する。1年の時教室で、友達同士の女子同士がふざけあってキスしているのは度々目撃した。それには何も感じなかった。しかし今の真子の映像を見ていると、複雑な感情だ。改めて俺の真子に対する気持ちは本物なのだと思う。


 やがて真子の部屋のモニターは暗転した。ミッションクリアということなのだろう。俺は暗くなったモニターからまだ目を離せなかった。すると突然、


『ゴッ』


 鈍い音が部屋に響いた。俺は慌てて振り返った。そこにはマットに横たわる津本と、床にひざをついている大輝の姿があった。大輝の手には津本が持ち込んだ警棒が握られていて、その先は津本の左太ももに食い込んでいた。一瞬で大輝が警棒を使って津本の左足に振り下ろしたことがわかった。津本はさっきよりも苦しそうで、額には脂汗が浮いている。


「大輝? 何やってんだ? 勝負はついただろ?」

「甘めぇよ。こいつは左腕が動けばまだ暴力に走る。これを見ろ。ポケットに入ってた」


 大輝はサバイバルナイフとバタフライナイフを提示した。


「じゃぁ、なんで足を攻撃したんだ?」

「左腕も折ると端末の操作ができなくなる。それだとそのうちこのゲームで失格になる。つまり死だ。それは俺が失格に導いたみたいでお前の美学には反するだろ?」

「あぁ、確かに」

「左腕が動けば舌も使って操作はできるからな。どっかの不倫好きの身体障害者がそうやって携帯を操作してるのをテレビで見たことがある。かと言って負傷が右ひじだけの状態じゃこいつはまだ危ない。だから左足ももらっといた。これ以上はやらないから安心しろ」

「本当か?」

「あぁ、本当だ」

「わかった」


 確かに津本は危険だが、気持ちのいいやり方ではない。そうかと言って俺に代案があるわけもない。そう思い留まり、これ以上大輝に意見を言うのは止めた。


「こいつの足は折れたのか?」

「いや、重度の打撲だ。最悪ひびくらいは入っているかもしれんが。数日はまともに歩ける状態じゃない」

「大輝の肩は大丈夫なのか?」

「あぁ、少し腫れているが骨には異常ない。振り下ろした流れで振ってきた分、威力はなかった」


 大輝が軽症のようで安堵した。俺と大輝はこの後、津本をマットに寝かせたまま次の移動ターンまでを過ごした。

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