代償

 あたりは不気味なほど静まり返っていた。

 多少雨足が弱まったと言っても、雲が晴れたわけでもなく。いつのまにか夕暮れを迎え、辺りは薄暗い。


 僕は倒れたアイーダ先生を助け起こしながら周囲の様子を伺う。これからどうなるのか。何が起こるのか。一つの叫び声が、その道筋を決めた。


「魔女だ!」


 恐慌の声が立て続けに上がり、僕は先生の身体を抱えて走り出した。必死になっているせいで馬鹿みたいな力が出ているのか、先生はいやに軽かった。まるで、藁の束か何かのようだ。

 本当ならそのまま町の外へ出る門へ向かいたかったけれど、そちらの方が人影が多くて避けざるを得ない。


 走りながら、魔女の目を開こうと試みる。


(開け……開け!)


 落ち着いた所ならともかく、こんな切羽詰まった状況で開くのは初めてだ。何の変化もない視界がもどかしい。


 やがて薄闇の中に、水溜りや生垣、どこからか流されてきたらしい木の枝、転がった石、全てがマナの輝きを伴って、浮かび上がるように見えてくる。


 大人達の声が追ってくるけれど、明かりが無ければ今の僕には追いつけないはずだ。

 二つ、三つと曲がり角を曲がって、逆側の町の出口を目指す。


 抱えている先生は身動き一つしなかった。意識はあるのか、息をしているのか。それすら確認する暇はない。

 追いかけてくる人々をまくために、なるべく暗く陰になっている通りを選びながら、ひたすらに走った。


 突然、通り抜けられそうもない柵が目の前に現れて立ちすくむ。

 道が見えていても、どこをどう歩けば目的の場所にたどり着けるのか知っているわけじゃない。

 何度も来ているはずのダーネットの町も、一つ裏の道に入ればすっかり形を変えていて、まるで迷路のようだった。


 まごついているうちに人の声が迫ってくる。咄嗟に、建物の裏にある物置らしい場所に身を隠した。

 腰を下ろして、同時に、ずっと開きっぱなしだった魔女の眼を閉じた。


「うっ……く」


 思い出したように疲労が押し寄せてきて、手足が引き攣るようになって痛み始めた。人一人抱えて走り回っていたのだから無理もない。

 もしかしたら休まずに走り続けるべきだったのかもしれない。こんなところに身を隠しても、やり過ごせるわけがないのだから。


 動かない先生に這うように近づき、指先で手首に触れてみる。脈がある……生きている。


(どうして、こんな事になった?)


 もう一度、改めて思う。

 答えは分かりきっている。僕が、町の人たちを助けたいなんて言ったからだ。その目的は達成された、でも代償がこれだ。


 みんな気がついてもいいはずだと思う。魔法術士の魔法ではあの災害には歯が立たなくて、魔女によって救われたという事に。


 でも現実は、先生が命を張って助けた人達が、怒号を上げながら町に入り込んだ魔女の姿を探している。もちろん、感謝の言葉をかけるためではないだろう。見つかればどういう事になるか想像したくもなかった。


 膝を抱いて震えを押さえ込む。

 泣き出しそうになるのを、唇を噛んで堪えなければいけなかった。まだ何も終わっていないのだから。先生が眼を覚ますまで、僕が守らなければならないのだから。



 どのくらいそうしていただろうか。不意の物音に身を固くする。すぐに、物置の扉ががたがたと揺れ始めた。

 気付かずに去って欲しいと祈ったところで無駄なのはわかっている。覚悟を決め、その扉が開くのを待つ。

 いざとなれば相手を殴り倒してでもここから逃げなければならない。せめて大柄な相手でないことを願う。


「……ラスト?」

「エマ……」


 花祭りの日に仕事を手伝い、ほんの少しの間だけ一緒に過ごした少女がそこに居た。よりによって、僕の顔を知っていて、魔女を人さらいの怪物と憎んでいる女の子。


「ラスト。ここで……何してるの」


 ランタンを手にして青ざめた表情のエマは、今にもこの場から逃げ出して人を呼びかねない。倒れ伏している先生の、白い髪と肌を見る目が嫌悪に満ちている。


「ねえ。そこに居るの……魔女、じゃないの?」


 僕は考えた。どうすべきかを考え、思いつく限りたった一つの手段を、最低の考えを実行した。

 もう一度魔女の眼を開き、金色に輝く瞳をエマに見せつけながら掌をかざす。


「そうだよ。この人は魔女で……僕は、魔女の弟子なんだ」

「何? 何言ってるの、ラスト、あなた」

「……君に呪いをかけた。僕達がここに居ることを誰かに話したら、君は死ぬ」


 エマは知らない。魔女がどんな存在なのか。先生がどんな人なのか。僕とどういう関わりで、僕がどんな気持ちでここに居るのか。


(だからきっと信じる。僕のこんな、でたらめな嘘も信じてくれる)


 見る間に少女の目に涙が浮かび、がちがちと歯を鳴らし始める。

 やっぱり、信じてくれた。


「助けて……ど、どうすればいいの」


 泣き出しそうなエマが尋ねてくる。見ているのが辛い。顔を背けたい。それでも精一杯平静を装いながら答える。


「何も。ここに誰も近づけないで。もし誰かに見つかったら君は助からない」

「あ、明日の昼には、親がここ、使うから」

「……それまでには出て行く」


 エマは恐る恐る後ずさり、走るように逃げていった。その姿が完全に消えるまで見送って扉を閉める。


(仕方がなかった。先生を守るためにはこうするしかなかった。他に方法なんてない)


 心の中で、何度も、何度も、自分自身に言い訳を繰り返す。そうしているうちに疲れが押し寄せてきて、僕はいつしか気を失うように眠りに落ちていた。



 鳥の鳴き声が耳に入り、慌てて目を覚ます。

 朝独特の、澄んだ空気の冷たさ。いつのまにか夜が明け、扉の隙間からは外の光が射し込んでいた。

 床に寝たせいで身体のあちこちが痛いけれど、とりあえず、誰かに見つかることはなかった。


「先生」


 声を押し殺して呼びかけると、先生は少し身じろぎし、寝転がった姿勢のまま金色の目を開いた。


「……どうなった」


 その声が聞こえた瞬間に、行き止まりに追い詰められていたような気持ちが解放されるのを感じる。大丈夫だ。きっと、なんとかなる。


「まだダーネットの、町の中です。先生が魔法で守ってくれたから、みんな無事です」


 僕は今の状況をかいつまんで説明した。とはいえ、エマの事、僕のついた嘘の事は伏せたままだ。今この場で全て話すには、事情が込み入りすぎている。


「それで、外は僕達を探してる人たちがいて、ここに隠れてます」

「そうか。私の杖は壊れてしまったか」

「はい。すみません、拾ってこられませんでした」

「いや、いい。仕方がない」


 先生は起き上がろうとして体勢を崩し、顔を顰める。


「大丈夫ですか」


 手を差し伸べると、何故か先生は逆側の手でその手を取り、身を起こした。違和感のある動き。


「……先生。まさか」

「ラスト!」


 先生の制止の声も無視して、僕は再び魔女の眼を開いていた。

 全てが光を伴う視界が現れる。その中で、先生の左手からは、左足と同じようにマナの光が消え失せていた。

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