故郷(後)

 農家の仕事は多い。畑の世話をし、家畜の世話をし、収穫した作物をまとめ、農作業に使う道具の手入れをする。

 日が昇ってから沈むまでずっとやる事がある。

 もちろん、僕もお客さんではないからそれらの仕事を手伝う。二年以上離れていても、農具の使い方なんかは忘れていないものだった。


 食事は質素で、基本的には大麦かパンのお粥。肉は貴重なのであまり食べないけれど、鶏を飼っているので卵だけは新鮮なものが手に入る。


「あんたはこれ、好きだったでしょう」


 そう言って母さんが食卓に乗せたのは、鮮やかな黄色のオムレツだった。

 母さんの作るオムレツは焼き加減、塩加減がちょうど良くて、何か特別な工夫がしてあるわけではないと思うのだけど、自分で作ってみても同じようには作れない。

 がっついて食べていると、茹でたレンズ豆を摘みながら父さんが笑った。


「ラストは変わらないね」

「そんな事ないよ。背だって伸びたし」

「そういう事じゃないんだよなあ」


 他愛もない会話で笑いが起きて、毎日やるべき事があって、取り立てて裕福ではないけれど、今すぐどうにかしなければならないような重い問題もない。


 まるで全部が夢だったみたいだ。村を出て二年工房で働き、そこを辞めて、魔女の下で魔法の杖の作り方を学び続けたことを、僕は誰かから聞かされた物語のように感じ始めていた。


 父さんも母さんも、いつまで居られるのかと聞かれないあたり、僕の状況を察してくれているのだろう。

 田舎の村とはいっても世間と交流が絶えているわけじゃない。魔法による大量生産のあおりを受けて、細工師が仕事を奪われていることくらいは伝わっているはずだった。


 以前、一人前になるまで帰ってくるななどと言ったのは、居心地の良さに僕が戻りづらくなることを心配してのことだったんじゃないかと、今なら思う。


 すれ違う村の人たちでさえ、「久しぶりだな」とか、「帰ってきてたのか」とか、そんな風に挨拶をするばかりで、深く立ち入ってはこない。

 だから、このままここで過ごしても構わない。それを咎める人はいない。


 でも、それでよし、と思えない自分がいた。自分の家に戻ってきて三日目。月の明るい夜に、僕は寝床を抜け出して外に出た。


 夏の終わりを迎えた夜の空気は、ひんやりとしていて肌寒い。夕方に雨が降ったせいであちこちに水溜まりができていた。

 足を踏み入れないように気をつけながらその水面に顔を映し、もう一度あの時の感覚を思い出してみる。

 すぐに閉じろ、と先生に命じられたあの視覚。良くない事だとは思いつつも、試してみずにはいられなかった。


 やがて視界が光に包まれ始める。全てのものが光を持っているせいで、月明かりの届かない場所まで、どこに何があるのかはっきりとわかる。

 僕は以前、先生がカンテラも持たずに洞窟の中を歩いてきた事を思い出していた。

 視線を落とせば、水面に映る僕の目は金色に輝いている。先生と同じ色の目、その意味するところは一つしかないと思う。


(先生にも、これと同じ物が見えてるんだ)


 そして、これが先生の言うところの「目が開いている」という状態なのであり「魔法を使うための資格」なのだと思う。

 手のひらで水溜まりの水に触れると、僕の手と水がそれぞれ持っている光の粒が溶けて混ざり合った。


「どうした? ラスト」


 突然背後から声をかけられて、僕は飛び上がりそうになった。振り返る前に、意識して開いている目を閉じる。すぐに、薄暗く、判然としない視界が戻ってきた。


「眠れないのかい」


 暗がりの中にかすかに見えるのは、寝ぼけ眼の父さんの姿だった。


「……ちょっとね」


 父さんは、頭を掻きながら僕の横に並んで水溜まりを覗き込んだ。

 もちろん、別に何か特別なものが映っているわけでもない。


「最近は国境のあたりが少し物騒になってきているらしいね。この辺の方が安全かもしれない」


 取り留めもない話。父さんは、ぼうっとしているようで世間の動きには結構敏感だ。


「……そうかも」


 僕は、その危険が生まれた原因もある程度知っている。連鎖するように、その作り方を学んだ日々を思い出す。


「ラストが居ない間、母さんはとても寂しそうだったよ。きちんと連絡はしなさい」


 念押しをするように父さんが言う。


「あまり、心配をかけないようにね」

「ごめんなさい」


 家族に面と向かって謝るのは、きっかけを逃すとなかなか難しい。ついでとばかりに、話しておかなければならないことを切り出した。


「仕事……変えたんだ。前の所は、辞めなきゃいけなくなって」

「ふむ」


 しばらく沈黙が続く。


「やっぱり、何か道具を作る仕事かな」

「……うん」


 どう伝えたらいいものか迷っている間に先を越されてしまった。


「それはもう、性分なんだろうね。ラストの」

「そういう好みって、どうやって決まるんだろう」

「何だろうね。覚えていないほど小さい頃にきっかけがあったのかもしれないし、それとも、理由なんて無いものなのか」


 自分の手が物の形を変えて、特別な意味を持たせる。いつの頃からか分からないけれど、僕はそういう事に惹かれていった。


「僕も、昔はそういう仕事をしていた」


 初めて聞く話だ。父さんは、昔からここで畑仕事をしていたのだと思っていた。


「どうしてやめたの?」

「稼げなかったからだねえ」


 父さんは少し照れ臭そうに苦笑して、それから遠くを見る目つきになった。


「農家も儲かる仕事じゃないが、まあ、日々食べるものくらいはなんとかなる。母さんと一緒に暮らしていくにはそれが必要だった」

「後悔はしてる? 辞めたこと」

「うーん。選ばなかった道はもう、どうやっても歩けないからね。どんなものだったのかと、気にならないわけじゃないが」


 父さんはいっそう遠い目つきになり、しみじみと何かを思い出しているようだった。


「母さんが一緒に居て、ラストが生まれて、立派に育ってくれた。この道は望んで選んだものだし、報われたと思っているよ」


 望んで選んだ道。


 その一言が、僕の心を強く打った。今僕がここにいるのは、なりゆきだ。先生に拒絶されて、他に行き場もなくて、仕方なくここへ戻ってきた。

 それで父さんや母さんが喜んでくれたとしても、それは結果的にそうなっただけで、僕が望んで選んだ事じゃない。


「父さん」

「うん?」

「ごめん。明日の朝、出るよ」


 父さんが片眉を上げて苦笑したのがかろうじて見て取れる。


「……母さんを説得するのは大変だぞ」

「うん。それも分かってる」


 照れ臭さに耐えかねたように、父さんが家の中に戻っていった。



 僕は今まで、先生の考えていることがわからなくても仕方がないというつもりでいた。今は無理でも、いずれ話してくれればそれでいいと思っていた。

 でも、もう、そういうわけにはいかない。

 会いに行って、何も話してくれなければ、僕と先生の関係はこれっきりになる。それを覚悟して挑まなければいけない。


 一度きりの勝負だ。

 僕は力強く拳を握った。

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