魔法の杖の作り方

CAT(仁木克人)

出会いの話(前)

 警笛の音が鳴る。軌条の上を車輪が滑り、魔法蒸気列車の黒い車体が風を切って進む。車窓の外で並んで飛んでいた鳥が一羽、振り切られて後方へ消えていった。


「速いですね」


 ぼそりと端的な感想を口にした。窓から見える目的地の宿場町までは、もう間もなく到着するだろう。少し前まで馬車で三日はかかっていた距離が、朝早くに街を出てこの魔法蒸気列車に乗れば昼前には着いてしまう。


「……ラストは、これに乗るのは初めてだったか」


 傍らに座る白髪の老人が眼鏡をかけ直して尋ねる。ラストというのは僕の名前。この人はバスカルと言って、僕が務めている工房の金物細工の師匠だ。正確には務めていた工房、と言うべきかもしれない。なぜなら、僕はその工房を解雇されたからだ。


「はい。遠出する用事も無かったですし……なんか、信じられなかったんですよね。こんな大きな乗り物が動くの」


 レールの上を走る魔法蒸気列車は、馬車と違って揺れもほとんどない。極めて快適な乗り物だ。

 それでも、僕と師匠の表情は、今日の薄曇りの空のように暗い。


「便利だがなあ。魔法なんてものがこんなに出しゃばってこなけりゃ、お前さんの面倒を見るのだって、無理は無かったんだ」


 もう何度目になるのかわからない愚痴だ。この話が始まると長いのは知っていたけれど、もう聞くこともないと思うと止める気になれない。

 

「そもそも魔法なんてものはなあ、ごく一部の王族やら貴族やらが、お抱えの魔法術士に使わせるものだったのになあ」


 魔法というのはつまり、手を振れずに物を動かしたり、種火も無しに火を灯したり、樹木の育ちを早めたりする力だ。師匠の言う通り、以前は魔法術士だけが扱える力だった。そうでなくなったのは、今から一年ほど前のことである。


「ガーランド、だったか。あの魔法術士が出てきてからだなあ。今まで誰もやらなかった、秘匿の開示とかいうのをやり始めて」


 魔法術士の持つ技術は、基本的に口伝で師から弟子へのみ伝わるものだった。ガーランドはそれを文字に起こし、"魔導書"と名付けて惜しみなく世の中に広めはじめた。自身も精力的に各地で演説を行い、人気を博しているという。

 それから、世界は大きく変わり始めていた。


「同じものを、たくさん、安く、早く作れるようになったんですよね」


 いつもと同じように合いの手を入れる。


「そうだ。おかげで我々細工師は商売あがったりだよ。こちらが手間暇かけて細工をひとつ作ってる間に、奴らときたら何十、何百と拵えてしまうんだからな」


 魔法術士の台頭によって最も影響を受けているのは、間違いなく職人や技師たちだった。


「こういう飾り細工ひとつとっても」


 師匠が、客車の椅子に付けられた飾りを指でつついて溜息をつく。


「鋳型を作り、原料を溶かし、流し込んで、固めて、削って、磨いて。それでようやく出来上がるものだった。それがなあ」

 

 ごんごんと炉を燃やさなくても、原料となる金属に魔法をかけて直に形を変えてしまう"魔法彫金"という技術の登場は、僕たち細工師たちにとって致命的だった。

 僕も一度魔法彫金の実演を見た事がある。魔法術士が杖を掲げると金属が生き物のように形を変え、次々と指輪や首飾りに変わっていくのだ。瞬く間にテーブル一面に品物が並ぶのを見て、「手仕事でこの速さに勝つのは絶対に無理」と一発でわかった。


 客からすれば安く仕上がるし、待たなくていい。出来は均一でムラがない。しかも、飾りを少しだけ変えてほしいだとか、大きさがちょっと合わないとか、そういった要望にも即座に応じる事ができるのだ。利用しない理由がなかった。


「仕方ないです。そういう時代になっちゃったんですよね」


 いつもと同じ結論に辿り着く。僕が使っている革の肩掛け鞄も、水筒も、魔法で大量生産されたものだ。この魔法蒸気列車だってそうだし、走っている線路もそうだ。農業、紡績、交通、建築。ありとあらゆる分野で魔法が既存の技術に取って代わり始めている。


「……まあ、そういうことになるかなあ」


 師匠の工房でも、みるみるうちに顧客が離れ、注文が減っていくのをどうすることもできなかった。業界では、魔法では作れないような独自の加工法を模索したり、もはや諦めて魔法術士へ転職する者も多いと聞いている。

 魔法を使うにはある程度才能が必要とされるが、その才能さえあれば職人として修業を積むよりもずっと楽に道が開けるらしい。


 とにかく、注文が入らなければ、お金を稼げない。お金を稼げなければ、人を雇えない。そういうわけで、僕は工房を解雇されて実家へ戻らなければならなくなった。それでも、師匠はギリギリまで粘ってくれたのがわかっているから、恨み言を言う気にはなれなかった。


 そうこうしているうちに魔法蒸気列車はじわじわと減速し、静かに停車した。車を降りると、風のせいもあって少し肌寒い。田舎の宿場町の往来は、ぽつぽつとまばらに人が行き来するのみで、閑散としていた。

 僕の生まれ育った村には、ここから歩いて山を三つほど越えなくてはならない。まだ日は高いから、今出れば夜になる前に一つ目の山くらいは越えられるはずだ。


「こんな所まで送ってもらっちゃって、ありがとうございます師匠。それから、二年間、お世話になりました」


 心からの感謝をこめて、僕は深々と頭を下げる。


「頭など下げんでいいよ。面倒を見ると言っておきながら、途中で放り出すことになっちまったからなあ」


師匠は申し訳なさそうに首を横に振って、僕の肩を掴んで上体をもとに戻した。そうして、僕の手を握って、ばしばしと肩を叩く。今度こそ本当にお別れの時だ。


「元気でやれよラスト。お前さんは真面目な性格だし、まだ……うん?いま、いくつだったか」

「十四です」

「そう、まだ十四だ。やれる事はこれから見つければいい。へこたれるなよ」

「はい!頑張ります!」


 心配をかけるといけないので、無理をして朗らかに笑って、明るく返事をしてみせる。

 警笛が鳴り、僕は蒸気列車から離れた。紺色の制服を着た魔法術士が数名、先頭車両で杖を掲げるのが見える。淡い光が走り、車体上部に並んだパイプから勢いよく蒸気が噴き出して、軋みを上げながら車体は前方へと滑り出していく。

 師匠は、窓から顔を出して何度も手を振っていた。僕もまた、手を振りかえした。


「……はあ」


 一人になると、言いようのない寂しさ、物悲しさが襲ってくる。実際の所、いまは何をどう頑張ればいいのか見当もつかない。

 

(あー、お先真っ暗だ……お先真っ暗っていう言葉はこういう時使うんだなあ、あんまり実感したくなかったなあ)

 

 実家に帰れば家族が居る。職を失っても衣食住に困るわけではないし、農作業を手伝ってそれを仕事にしたっていい。そういう意味では自分は恵まれているのはわかる。

 だから、これは僕自身の気持ちの問題だった。

 それほど取り得のない僕だけれど、指先だけはそこそこ器用で、木ぎれで遊び道具を作ったりするのが好きだった。ある日、親戚のおじさんが街で買ってきたという、こまかい彫刻の施された腕輪を目にしてその美しさに取りつかれた。これを将来の仕事にしたいと思って、伝手を辿って街の工房に弟子入りできたのは、理想的な流れだったと思う。

 でも、そこで必死になって勉強してきた技術はこの先使い物にならないとわかってしまったのだ。

 

 意識が散漫になっていたせいか、とぼとぼ歩きだした所で、横合いから歩いてきた行商人にぶつかってしまった。


「おい!気をつけろ。貴重品なんだからよ」


 危うく転びかけた小柄な行商人に大声で怒鳴りつけられて、僕は思わず首を竦めた。


「すみません……」


 完全にこちらの不注意なので怒られても仕方がない。素直に頭を下げた時、何か見慣れないものが目に入った。

 行商人が荷を包んでいる布がかるく解け、中身が露出している。それは長い木の棒で、きらきらした石がはめ込まれ、植物の蔓が巻きつけられていた。金属も使っていないのになんだかぴかぴかしているような、でも普通に素朴で静かで、引きこまれるようなデザインだ。


(あ。これって、"魔法の杖"?)


 僕は思わず目を見張った。魔法術士には色々な種類が居るけれども、そのほとんどが魔法の行使に杖を使う。どんなに才能のある魔法術士であっても、杖の補助なしに魔法を使うと大したことはできない、あるいは激しく疲弊してしまうのだ。だから魔法の杖は高値で取引されるという。

 魔法術士の使う道具のことなんて門外漢だけれど、工房に出入りする人たちの世間話を聞いていて、その程度の知識はあった。


(……なんか、すごく)


 行商人が布を結び直して立ち去って行くのを、僕はぼんやりと見送った。


(綺麗だったな)


 職を失って、生まれ故郷の村に戻る最中で、家族の落胆する顔を思い浮かべたり、これからの将来設計について真剣に考える必要があったのだけれど。ほんの一瞬の出来事に、魂を奪われたように僕は呆けていた。

 さすがに、自分がいずれ、この時見たような魔法の杖を作ることになるなんて、想像もしていなかったけれど。


 さらに言うと、僕はこの時、杖の事も将来の事を考えるべきではなかった。山道を歩くときに、ものを考え過ぎてはいけない。そんなことはよく分かっているつもりだったが、田舎生まれ田舎育ちの自分も、それなりに街の暮らしに染まっていたらしい。


 「……あれ」


 登り始めてから数時間。いつの間にか、登山道を外れている。鬱蒼と茂った森の中で、現在地がわからなくなっている。


「あ、あー、まずいなこれは」


 心細さから、思わずわざとらしい独り言を口にする。慌てて来た道を引き返すが、どんどん人が踏み入った形跡のない場所へ入り込んでいる気がして顔から血の気が引いた。

 大声で人を呼びながら山頂を目指す。昔、山で迷った時に下に降りてはいけないと言われた事は覚えている。急がないと、陽が落ちたら気温はぐっと低くなる。

 背中や額に汗が噴き出し始めた。泣き出したいような気持で足を進めていると、がさがさと近くの茂みが鳴って、思わず身を竦める。もしも熊や猪に襲われたりしたらそれこそ命はない。ばくばくと心臓が鳴りだした。これは、本当にまずいんじゃないか。


「誰か! 誰かー! 誰っ」


 息を切らせて、ほとんど走るような速度で歩いている最中に、急に地面が消えた。咄嗟にばたつかせた手はただ空を切って、僕の身体は空中に躍り出た。

 地割れだ。何でこんな所にいきなり地割れがあるんだふざけるな……と、僕は誰にともなく心の中で叫んだ。草が生い茂っていて、気が付かなかったらしい。しかもすぐに地面に着かない、つまり相当な高さがある。


(あんまりだ! なんで、こんな目にばっかり会うんだ!)


 そう思いながら、どうすることもできずに身体はただ落下していく。やがて、感じた事のない激しい衝撃と痛みを何度か伴って、落下は終わった。かろうじて意識を保ったまま、声を上げることもできず、うつ伏せになって必死に耐える。あるいは気を失った方が楽だったかもしれない。

 呼吸をするたびに全身に痛みが走る。苦しいのに姿勢を変えることもできない。何か所か、骨が折れているのかもしれない。


(誰か)


(助けて)

 

 ひたすら声にならない声を上げる。

 でも、こんな山奥の道も無い場所を、誰が通るはずもなく、都合よく助けが来るはずもなかった。



 どれくらいの時間が経っただろうか。

 僕はもう痛みも感じなくなってきていた。妙に頭がふわふわとして、眠いような、眠ってはいけないような気分だった。

 風と葉擦れの音に混じって、ごつ、と何か固いものが地面に当たる音がかろうじて聞こえる。必死に力を込めて首を僅かにそちらへ傾けることに成功すると、黒い影がこちらへ近づいてきていた。

 朦朧とする意識の中で、ああ、あれは死神だと僕は思った。そうとしか思えないほど、その影からは、生きているものの気配がしなかったからだ。一命を取り留めたと思ったら、結局死の運命から逃れられなかったのかと、そう思った。


 死神の真っ黒なローブの下から、死人のように真っ白な肌と、ぞっとするほど赤い唇がのぞいている。杖をつきながら、まっすぐにこちらへ歩いてくる。それを見て僕は思い直した。

 

(違う。死神じゃない。あれは)


 それは魔法術士ではない。魔法術士なんていうのは、ただの職業の分類だ。

 それはもっとずっと昔から居て、絶対に関わってはいけない恐ろしい存在。

 小さな頃、なかなか寝付けなくてはしゃいでいる夜に、母親が怖い顔で語って聞かせてきた物語。

 "――深い森の中に住んでいて、言う事を聞かない悪い子供をさらって、壺の中に閉じ込めてしまうのよ"

 "逃げようとしても無駄なの。呪いを使って動けなくして、むしゃむしゃ食べてしまうんだからね――"

 

 そうだ。あれは、あの姿はまるで。

 

(魔女だ……!)


 死神と魔女と、どう違うのか、どちらがマシなのか、朦朧とした頭ではよくわからない。とにかくそれは、倒れている僕の傍らへとやってきた。黒いローブの裾から、長く、細く、いくつも指輪を嵌めた白い指が現れ、僕の顔に向かってきた。

 そこで、ようやく僕の意識は途切れた。

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