第3話 アースロケット・ジェットサンダー

「ごちそうさまでした母様ははさま!それではいってきます!」


 ウサギ肉とアマミヨモギのスープを掻き込み、木皿と食器を流し桶に付け込んだらすぐさま母様に向かって一礼。修行の身であるオレには一分一秒も惜しいのだ。しかし、決して母様への礼も欠かしてはならない。それは里とお師匠様に、何よりも強く教え込まれた最も大事な教えだ。


「ええ、いってらっしゃいマキア。今日もゴルヴァさんのところ?あまり無茶をしては駄目よ。あの人もいい加減いい歳だから……」


「心配ご無用です母様!お師匠様の体は相変わらず岩のように硬く、その脚はミネルヴァ樹のように大地に根ざし、その心はスナネズミのように臆病で引きこもりのぼっち丸出しです!あのままでは里の外れで腐ってしまいますので、むしろオレが相手をしてあげないと駄目になってしまうのです!」


「あ、ああそう……あの人も相変わらずねえ。族長様の次にお年寄りなのに、私に教えを授けてくださった頃からずっとああで……」


 そういうと母様はテーブルに頬杖をつき、昔を懐かしむ様に目を瞑られた。かつては母様も、右手に山刀マチェットを持ち左手にはハンドアクス、更に足甲には鉄虎爪バグナグを嵌めて散々に切り暴れ、太古の鬼神であるハリティーの異名で恐れられたという高名な戦士だったらしいけど、オレを産んでからはすっかり落ち着いて家を護るようになった。ダークエルフ族の女性は皆そうであるらしい。つまりオレは母様の戦を受け継いで生まれてきたのだ。その名と戦に恥じぬよう強くなり、少しでも早く母様と里を守れるようにならなければいけない。

 オレがそうやって決意に燃えていると、母様がオレの両手をそっと胸の前で抱きかかえるように握り、膝をついてオレと目を合わせた。母様の手は少しざらついて、抱える手の力も寝物語に聞き及んだ鬼神のようには強くない。肌の色も蒼より少し藍に近づかれたが、それでも瞳の黒は一族の誇りを表すように、強く輝いている。いつも通りの母様だ。


「それでは、我が子マキアよ。今日も一日、森の精霊に感謝を忘れず、何よりも強くなりなさい。例え戦乱の世が去ろうとも、強さ無き者には何も護れない。それだけは、決して忘れぬように」


「ハイ、母様!行ってきます!」




 家を出て、まずは森の広場に走る。お師匠様の篭もる修行場には家から裏道を使ったほうが早いんだけど、里の皆に挨拶を欠かしてはならない。これも里とお師匠様の教えだ。


 まずは広場の中央奥、森を背負って高台の上に位置する族長様の家に黙礼。族長様はこの里で最も歳をお召でいらっしゃるので、わざわざ挨拶に上がり込むとお体に触るのでこうするのが決まりだ。次に木こり小屋のディンギルさんに声をかける。ディンギルさんはこの里で誰よりも早く起き仕事に勤しむ、最も生命力に満ち溢れた男だ。「アブラが乗ってる」ってヤツ。だからいつも採れたての魚みたいにテラテラしている。そのせいで日光にきらめいているので遠目にも分かる。すごい。


「ディンギルさんおはようございます!」


「おうマキ坊、今日も元気だな!また爺さんのとこで修行か!?」


 ディンギルさんがでかい声で返事をしながら勢い良く振り向く。ディンギルさんは力に満ち溢れているので全ての動作が全力だ。今ちょっとアブラがこっちに飛んだ。


「はい、ディンギルさんもお仕事ゴクローサマです!これからまた伐採場ですか?」


「いやあ、今日の所はこんなもんでいいだろう。今の時期に採りすぎると森が荒れちまうからな。一眠りしたら、魚捕りも兼ねて川で水浴びでもするさ!じゃあな!」


 そういってディンギルさんは小屋の中に戻っていった。肩幅がオレの三倍はあろうかという巨漢のディンギルさんが川で泳いでるところを想像する。……シュールだ。あと川に油が浮きそうだ。


 次に鍛冶師のエルタ兄弟、森に食料採りに出かける所のイルメアおばさん達、そろそろ恋人が欲しいと考えて里でも狩場でも目が獲物を狙うモードの狩人ダスティーさん、とりあえず目につく大人達には一通り挨拶した。それじゃあ改めて修行場へ、という所でやたら目立つ金色が目に入った。……一応挨拶しとくか、そうしないとあとで怒るしな。


 「よっすリミリミ、今日は精霊術の修行はもういいのか?」


 「……アンタねえ、いつになったらちゃんと私の名前覚えるのよ。いい、よく聞きなさい。リ・ミ・リ・ディ・ア!リミリディアよ!ハイ復唱!」


 「マルダ婆ちゃん元気か?あの婆ちゃんもウチの師匠と負けず劣らずのお歳だからなあ。リミリミ、気をつけてやってくれよ」


 「アンタわざとやってるわね!?私がいちいち気をつけてなくても導師マスターは元気そのものよ!趣味がロッククライミングと滝行の895歳舐めんじゃないわよ。そんな魔術師、ウチの故郷じゃ聞いたことないわ」


 こいつはリミリ……リミデ……リミリミ。エルフとダークエルフの間に史上初めての友好条約ってやつが結ばれて、種族の仲を回復するための取り組みとして始まった交換リューガクセイ?とかいうやつでウチの里に修行に来てる、里唯一のエルフだ。髪の色も肌も眼も全部違うから凄い目立つ。割とキャイキャイうるさいけど里のガキ達には受けがいいし、今のところは上手くやってるっぽい。大人の中には気に食わない人もいるのかもしれないけど、マルダ婆ちゃんが後ろで目を光らせてる限りは大丈夫だ。この里で逆らってはいけない大人第二位だからな。怖さという意味では第一位だけど。


 「ウチの里だとどーしてもそうなるよなあ。『ダークエルフは体が資本』が里の合言葉だし」


 「こっちに来る前に『ダークエルフの中でも特に原典に近い秘術を継承する里』って聞いて期待半分不安半分だったけど、どっちも見事に裏切られたわ。どっちも良い意味でね。思ってたよりずっと住みよい場所で良かったわ。森にはまだちょっと慣れないけどね……」


 リミリミが杖を肩に担ぎながら、ちょっと疲れた顔で言う。やっぱ色々溜まる物はあるらしい。

 

 「そこはまあ頑張ってもらわないと。ある程度はしょうがないけどな」


 ダークエルフは基本的に落葉樹の森に住むものなんだけど、エルフは常緑樹の森に住むらしい。精霊との関わり方の違いでそうなるとかマルダ婆ちゃんが言ってたっけ。『エルフは精霊を従えて生きるがダークエルフは精霊と共に死ぬ』とかなんとか。

 

 「導師は今日はちょっと所用があるから休みだって。それなら私も関わらせてほしいもんだけど、まあ私もまだまだってことね。アンタは今からゴルヴァさんのとこ?それなら私も行くわ。ダークエルフに伝わる秘伝体術って前から興味あったのよね」


 「え、ついてくんの?大丈夫か?修行場、行くだけでも慣れないと結構キツイとこにあるんだけど」


 「伊達にロッククライミングと滝行が趣味の婆さんの弟子やってないわよ、昔ならいざともかく今ならどこだってこの二本の足で行けるわ」


 言いながら、エルフ特有の妙にヒラヒラした服の裾をめくりながら若干たくましくなった脚を見せつけてくるリミリミ。大分この里に染まってきたなあリミリミ。村に来たばっかの時は脚見てるのがバレたらその目線をなぞって足先蹴りが飛んできたもんだけど。


 「そっか、じゃあ大丈夫だな。リミリミは別に手使っていいからな」

 「は?手?」



 里の外れ、族長の家から更に奥に入ったところにある『境界の崖』。

 その崖の上に師匠の小屋がある。高さは大体20mくらい。この崖は里の北部をぐるっと覆うように切り立っていて、師匠の小屋は里の中心部から北東の位置にある。ちなみにマルダ婆ちゃんの小屋は北西にあり、小屋のすぐ横を滝が流れて下流の川に繋がっている。婆ちゃんの小屋は崖の下にあるんだけど、師匠はアレな人なのでわざわざ崖を登った所に小屋を立てている。だからまずこの崖を登ることが最初の修行だ。


 「……。」

 「どーするリミリミぃ?やっぱやめとくぅ?」


 崖を見上げてリミリミが固まっているので若干煽り気味に声を掛けてやる。

 ロッククライミングと滝行が趣味の師匠に師事してると言っても、別に自分が普段から登ってるわけじゃないだろうからな。

 

 「……アンタ、これを脚だけで登るってぇの?」

 

 崖を見上げながらリミリミが言う。まあそう思うよな、オレも師匠を最初に見た時そう思ったし。


 「流石に最初は手も使ったけどな。ていうか手を使ってる内は延々崖登りだけやらされてたよ。脚だけで行けるようになってようやく弟子と認められるってわけ……あの、マジで無理しなくていいからな?怪我されたらオレが婆ちゃんにドヤされるし」


 一応普通にも心配してやると、リミリミがギギギとか音がなりそうな感じで上を見ていた首をこっちに向けてきた。さぞや面白い顔してんだろうなあ、リミリミのそういう顔貴重だからちょっと楽しみだな。そう思って眺めてたら、リミリミがこっちに向けてきた顔は――

 

 完全に勝ち誇っていた。パパーン!って背後で効果音がなりそうなくらいのやつ。

 そしてそのドヤ顔のまま正面に向き直り、杖を地面に立ててリミリミは詠唱した。


 「風精飛翔エアリアル・ハイ!」


 一瞬にして風の精霊術で空を舞い、崖の中腹辺りまでリミリミは飛び上がった。


 「あっテメ、キッタネーぞ!」


 「へっへーん、別に私ゴルヴァさんの弟子じゃないもーん!精霊術師が精霊術

使って文句言われる筋合いはないでーす!」

 

 そのまま崖上まで一瞬で上昇するリミリミ。飛翔術ってかなり難しいらしいのに、やっぱエルフの国からわざわざ来るだけあってスゲーんだな。

 

 「はいゴール!私の勝ちー!」

 「だめじゃぞ」

 「ひゃうっ!?」


 崖上に顔を出した瞬間、リミリミが変な声を出してバランスを崩した。多分、ちょうど顔を出した所にお師匠様が顔面どアップで待ち構えてたんだろうな……オレも蔦でズルした時やられたもんなアレ。とか言ってたら完全に術の制御を失ったらしい

リミリミが浮力を失ってズルズルと落下し始め……ってやっべえ!


 最速で丹田に意識を飛ばす。体の中心に白をイメージする。

 そしてその白を地のイメージで黄に染め上げ、呼吸に合わせて脚に降ろす。

 そのイメージを保ったまま、崖の壁面に足裏をつける。

 体内の気と地精の結び付きを感じ取る。


 「スゥー……セイッ!!」


 崖から地精を瞬発的に吸い上げ、地面に跳ね上げられるイメージで崖を蹴る。

 弾丸のように垂直に飛び上がる。

 そして再び崖に足をつける。今度は足から『地の気』を壁面に差し込むイメージで固定する。そしてまた飛び上がる。これを繰り返すことにより――


 「ウォララララララーーッ!!」

 

 崖を垂直に駆け上がることも可能になるのだ。

 これがゴルヴァ流精霊古武術初伝「アースロケット・ジェットサンダー」である。

 この技名だけはオレの代で終わりにしよう。


 そのまま空中でワタワタしてるリミリミをキャッチ、崖上へ飛び上がって着地した。


 「危ないっすよお師匠様、万一なんかあったらまたマルダ婆ちゃんが怒鳴りに来ますよ」


 「ふん、お前がどうにかせんでも儂がどうにでもしたわい。それより、ここに部外者を連れ込むなと前から言うとろうが。儂が許容できる他人は一日あたり一人が限界なんじゃ」


 心底情けないことを全く悪びれずに言う。

 ほぼ黒と言えるほどに深い藍の肌。

 かつての伝説に伝えられるほどの巨躯は今やなく、パッと見はまるで年老いた枯れ木に見える。しかしそのひび割れた皺に隠された筋骨は未だ健在。

 かつては「黒の暴魔」と謳われた武人。

 今は里の奥で誰もこない崖の上に引きこもり。

 それがこのゴルヴァ流精霊古武術開祖、御年925歳のゴルヴァお師匠様である。

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