第2話 トリニティ諸島


「よくやったなと言っている」

 地上に帰って早々に呼び出しを食らったアンツールは面食らっていた。褒めることなどしないはずのボスが腕と足を組み胸を反らしながらタバコを吹かすというスタイルで労いの言葉をかけてきたのだ。

 氷柱でも降ってくるのだろうかと空を仰ぎかけたアンツールだったが、反応してこないことにいらだち始めたボスの視線に混じる殺意を感じ取った。まずい。スパナか下手すれば鉛弾が飛んでくることになる。

「ありがとうございます!」

「今後のことになるが沈没船と遺跡の調査と引き上げをやってもらうことになる」

「遺跡……ですか」

「そうだ」

 自信たっぷりに言ってのけるボスに、アンツールは怪訝な表情を浮かべた。

 するとボスはははんと嫌味に息を漏らしてみせた。

「遺跡に眠っているものの価値は一般に知られていない―――……いや隠されていると言うべきか。じきに地点ポイント・リヴァイアサンに潜ることにもなるだろう」

「正気ですか」

 しまったとアンツールは口を手で覆った。

 ポイント・リヴァイアサン。15年前の大戦争の始まりの舞台であり――今もなお無数の船舶が海底を舗装しているという地点だった。ダイバー垂涎の海域であると同時に、政府による監視網が張り巡らされている地点であり、侵入はおろか接近もままならないというのだ。侵入が発覚すれば即撃沈。拿捕もせずに一方的に撃つとまで通達している。ただの沈没船海域ならばこうも警戒はしない。見られたくないものがあると考えて当然だった。遺跡か。沈没船に強力な兵器が積まれていたのか。致命的な汚染か。正体は定かではなかった。

 アンツールの口が滑ったことを、ボスことマリオンは許してくれるようだった。しなやかな足を跳ね上げるとかつかつと海水の匂い染みこんだブーツで歩みを進める。アンティークの並ぶ室内に音が響いていた。

「いきなり潜るのは無謀だ。いつかは潜ってみせる。そのために大枚はたいてブルー・クラブを製造させたんだ。手始めに試験を行ったわけだな…………次の潜航まで時間がある。環太平洋連合(PRU)のトリニティ諸島に入港する。しばらく休暇をとれ」

 アンツールは拳が飛んでくることを警戒して気が気ではなかったが、休暇という単語にきょとんとしていた。

 トリニティ諸島。環太平洋連合が保有する島の一つ。アンツールの母親が住む島だった。休暇としては最適な場所であった。

 マリオンが首をかしげた。

「何をしている。とっとと行け」

「ありがとうございました!」

 アンツールは海の天候よりなお気まぐれなマリオンの気分が変わらないうちに部屋を後にすることにした。通路を歩いていく。船員たちは皆一様に久々の入港に浮き足立っていた。タバコを吹かしながら上機嫌に掃除をしている男とすれ違う。向かった先は自室だった。ハンドルを回して扉を開いて中に入った。

 清潔なシーツのかかったベッド。レトロな帆船の模型の置かれた机。フライングフィッシュ号の模型もあれば、電子部品を組み合わせた複雑な機械も置かれている。

 椅子に腰掛け上着を脱いだアンツールは、暫し考えに耽った後に自室を出た。丁度通路を挟んだ向かいにある扉をノックする。

「…………だれ?」

 ひそひそと囁く声が聞こえた。ハンドルを捻って中に入ると各種プランターの並ぶ船室とは思えぬ光景が広がっていた。白い花、赤い花、茸の繁殖した枯れ木もあった。正面は言ったところにある机の上にはラベンダーの名前の元になったラベンダーが植わっていた。

「次の行き先はトリニティらしい。付き合えよ」

「構わないけど…………この子達の世話をする人がいなくなる。余り長くは付き合えないけど、それでもよければ」

 ラベンダーは言うと、剪定中だった小さい花から鋏を放した。

「花なんて買ってくればいいんじゃないかね」

「模型だったら買ってくればいいんじゃないかな」

 女に口喧嘩では勝てないらしい。アンツールは仕方がないと言わんばかりに首を振ると、急に地面が揺れたことに眉を顰めて窓枠に掴まっていた。

「一本取られたな。わかった。じゃあ付いたら一緒に行こうぜ」

「うん。無駄使い禁止。模型もだめ。酒もだめ。こっそり猫を連れてくるのもだめ。わかってる? ねぇほんとにわかってる?」

「う、うるせぇー! 模型は今後の学習のためでだな、酒はほら景気付けで、猫は……猫はついてきたもんはしかたねぇだろが!」

 アンツールはラベンダーのごもっともな指摘にうがーと唸った。要するにフライングフィッシュ号にいる以上は規則に従わねばならないのだ。買い物でものを買い込むにしても限度がある。アンツールに付き合って上陸のたびに買い物に付き合わされるラベンダーは彼が趣味につぎ込みすぎていることを知っていた。

「ボスが気に入ってくれたからいいものを……」

「そういうラベンダーだって部屋中ジャングルみたいになってるわけだが、どこで種を仕入れてんのかねぇ」

「こ、これは」

「おあいこだな?」

「………甲板掃除三日分」

「なんのこったよ」

「夜中に水上オートバイ乗り回してる件の口止め」

「ぐっ………わーったよ。沖に出るまでバタ足で頑張ったのになんで聞こえてるんだよ……」

 フライングフィッシュ号が船尾から膨大な量の水を掻き出しながら発進した。船体が傾ぐ程の急加速にて、あっという間に最大速度に達する。後部に隠されたロケットスラスターが駆動するや船体両舷にウィングが展開した。次の瞬間船体が海面を舐めるような高度を滑空し始めた。


 トリニティ諸島は名前の通り三隻の移民船からなる島であり、周辺をメガフロートによって拡張した陸地である。エデン赤道上にあるため地球における南国と同じような気候であることで知られている。

「おー………釣れるなー。食いつきがいい」

 アンツールは麦藁帽子を被って船着場で釣り糸を垂らしていた。ムカデのような胴体の末端に口が生えた生き物がかかっていた。

 生物学的な観点から、地球由来の生物をエデンに根付かせることは許されていなかった。エデンは現在地球で言うところのカンブリア紀に突入しており、貴重な地球外生命体を保護する為に各種法律が整備されていたのだ。そのため釣りをすると魚がかかることはまず無い。棒のような生き物。管に足を生やしたような生物。その他雑巾の出来損ないのような物体がかかるのだ。

 アンツールはその生き物を鷲掴みにしていたが、ややあって海に投げ返した。釣りがしたいのであって腹が減っているわけではなかった。風が髪の毛をはためかす。海風に目を細めつつも、釣具をフライングフィッシュ号の乗り込み員に投げ返した。タラップを叩くブーツの音。視線を上げると少女が小首を傾げて立っていた。

「遅かったな。これはあれだな、水遣りと手入れに一時間、化粧に五分、服に三分ってところだな」

「逆だとしたら?」

 清楚な薄青のワンピースが風を孕んでふわりと膨らんだ。つばの広い帽子に白い日よけ手袋をつけたラベンダーがタラップを軽快なステップで歩んできていた。

 普段着飾らないどころか男物を着て平然とした顔をしている癖になにを。アンツールがそれとなく目を船にやると、ボスことマリオンが艦橋操舵室でそわそわとしているのが見えた。

「ははん。ボスの入れ知恵ね。似合ってるじゃないか」

「いくの、いかないの」

「いくとも。市場もいいんだが先にお袋に会いにいきたい。顔出さないと殺されるんだわ」

 アンツールはタラップ最後の段差でラベンダーが立ち止まるのをみると、傍寄り手を差し出した。

「お手をどうぞお嬢様ってね」

「気が利くのね。ありがとう」

 花のように笑うラベンダーに、アンツールは心臓が奇妙に跳ね上がるのを感じた。

「先に俺の家に行こう。案内するよ。初めてだろ」

 アンツールはラベンダーを連れてトリニティ諸島の外延部に位置するメガフロートの街へと歩を進めていた。

「そういやさっき見たんだが、拳銃は物騒じゃないか?」

 アンツールはさらりと先ほどの素晴らしき光景唯一不穏な空気をかもし出していたものについて言及した。捲くれあがったスカートの裾。白い腿に巻きついたガンベルトに装着された拳銃を見たのだ。

 ラベンダーの頬に朱が差した。

「…………見た?」

「銃だろ。何を吹き込まれたのかしらんが警察に見つかったら半日はとられるぞ。たかが銛一本持ち歩いて散歩してたら三人に囲まれたことがあるんだ」

「…………ふん」

 ラベンダーが不満足そうに鼻を鳴らした。帽子のつばを指で掴んで下げる。

 程なくして海に面した家が見えてきた。煉瓦を模した建材で積み上げられた古風な家だった。家の軒先には小型潜水艇が停泊していた。庭があり、鶏たちが放し飼いされていた。

「ただいま。お袋」

「アンツール? 久しぶりじゃあないか! どこをほっつき歩いてたんだい!」

「連絡はいれたろ。就職したんだって」

「半年前にメール送ってきただけのことを連絡って言わないんだよ! ……あら?」

 アンツールと似た顔立ちの中年女性が洗濯物をロープにかけている真っ最中だった。洗濯物を手早く片付けるとアンツールにつかつかと歩み寄っていき、はたと足を止めてラベンダーを凝視した。

 ラベンダーが帽子を胸元に抱くと一礼した。

「はじめましてラベンダー=エヴェレットと申します。アンツールさんと同じプロキオン海洋運送業で運転手をしています。今日はお休みなので一緒に上陸してきました。お邪魔してもいいですか」

 冷たさと怜悧さを感じさせるラベンダーの声はしかし表向き温かな人肌感じさせる声色に変化していた。

 猫だ。アンツールは猫を見た。それはラベンダーの頭からぶら下がってごろごろと喉を鳴らしていた。

「あらまぁ可愛い子ねぇ。ささあがっていきなさい」

「ありがとうございます」

 にこりと口元を押さえて笑みを隠す仕草といったら目を奪われる名演技だった。腹の内側に抱えた黒い代物が見え隠れしていなければ、アンツールも騙されていただろう。

 なにやら生温い視線を投げかけてくる母親の対応を面倒に思ったアンツールはラベンダーの手をとって自室へと駆け込んだ。

「仕事の話がある!」

 母親が追跡してくる動作があったから、声をかけて退散願う。扉の中に少女の小柄を押し込むと、自分も入って鍵をかけた。

 室内は、フライングフィッシュ号のそれと同じようなレイアウトをしていた。樹脂製の机の上には所狭しと模型が並んでおり、ドーナツ型をした特徴的な宇宙船の模型が正面に置かれている。

「はぁ……きっとあとで電話攻勢があるに決まってるぜ」

「………これは?」

 ラベンダーが猫を放り捨てて平素の静かな声色で問いかけた。机の上の模型をじっと見つめていた。

「以前ちらっと言ったろ。移民船ドーヴ号。俺の親父が乗ってた船だ。もう無いけどな。ポイント・リヴァイアサンで原生生物の家になってる」

 アンツールは言いつつ首から提げたネックレスを指で弄んでいた。その瞳はここではないどこかを見つめていた。

 部屋の壁には若かりし頃のアンツールと、短髪の若い男が映った写真がかかっていた。ドーナツ状の船を背景に、どこかの港でとったようだった。

「湿っぽい話をするわけじゃないんだがな……ポイント・リヴァイアサンに潜るってボスが言ってたろ。俺の親父はリヴァイアサンで死んだ。親父の乗った船もそこに沈んでるはずだ。だから嬉しかったんだよ、ブルー・クラブに乗れるようになってな。潜って調査ってことになれば親父の痕跡を辿れるかもしれん。何がどうして戦争が起こったのか。政府の公開情報なんてあてになるもんか」

「ごめんなさい」

「? 謝られる意味が分からん」

「私は……その場に居合わせて、記憶がなくて………手がかりになることを思い出せれば……」

 ラベンダーが目元を伏せた。

 ラベンダーには記憶が無い。移民船への攻撃を禁じた天秤条約が制定されることになったきっかけてである十五年前の戦争において、生存者はほとんどいなかったのだ。脱出する暇もなく船が沈み、爆発し、脱出できても海に落ちて命を落としたものが大多数だった。ラベンダーは数少ない生存者の一人であり、五体満足で救助されたのだ。以前の記憶を除いて。孤児院を経てプロキオン海洋運送業のボスたるマリオンに拾われたのだ。記憶が無いこと。それは彼女最大の負い目だった。

 アンツールがラベンダーの肩に手を置いた。

「バカ。お前がそんな顔することはないんだ。お前が原因なわけないだろ」

「……うん」

 アンツールは現実的なものの見方をする人間だった。首を振り笑みを浮かべていた。

「記憶はそのうち戻るって医者も言ってたろ。救出されたときに極度の精神的ダメージを受けて、脳が記憶を封印してるんだってさ」

「昔の私はどんな人だったんだろう」

「記憶ってのは本みたいなもんで、あらすじが飛んでいても登場人物の性格まではかわらんだろ。って聞いた」

「また誰かの受け売り?」

 ラベンダーが鉄面皮を波打ち際の砂のように綻ばせていた。

「やかましい。さっさと次行くぞ次」

 ラベンダーが背中を向けたことを確認したアンツールは素早く端末に指を走らせると、なにやらデータを弄った。

「? いかないの?」

「男には多くの秘密があるんでね」

 結局、見られたら困るあれこれを消していましたとは口が裂けても言えなかったのだった。いつの時代だって男は悲しい生き物なのだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る