異世界に行ったら僕の居場所はありますか?

大石 優

異世界に行ったら僕の居場所はありますか? ~第1部

プロローグ

プロローグ

 ――今日僕は、異世界へと旅立つ。


 十一月の深夜ともなればかなり冷え込む。

 今夜は特に寒さがきつく、吐く息も真っ白。

 背中にはバカでかいリュック。ダウンジャケットに、パンツも裏地がモコモコ、下着までばっちりと防寒仕様。すぐにでも雪山登山ができそうだ。


「異世界行きの装備も万全だな」


 言い聞かせるように、独り言を呟く。

 なにしろ異世界行きの装備なんて、何が正解かわかったもんじゃない。

 『異世界の歩き方』なんてガイドブックがあるわけじゃないし、体験談だって耳にしたことはない。

 それどころか自分自身、異世界へ行けるという確信を持てていない。


 手袋越しにもかじかむ手で、ポケットから携帯電話を取り出す。

 電源ボタンを押すと、画面に表示された時刻は午前一時三十分。

 それを見てうなだれ、真っ白いため息をつく。


「こんなに早く来ちゃうなんて、結構期待してんのかなぁ……」


 薄暗い街灯が一つしかない、薄気味悪い児童公園。

 そこに佇む大人一名。

 職務質問の対象にされても仕方のない状況。

 見上げた満月は、寒々しい青さで僕を照らしていた。



 ――話は半月ほど遡る。


「はあ……毎日上司の不条理な押し付けばっかりでもううんざり。高卒でなんとか一般職に潜り込めたものの、いつまで経っても給料も待遇もひどいもんです。今年入社した大卒が、同じ二十二歳なのに優遇されてますしね。結局、学歴や学閥で出世は決まっていくんですよ。社内では四年先輩のはずなのに居心地悪くて、僕の居場所なんてどこにもないんですから……」

山王子さんのうじさん、また飲みすぎですよ。商売的にはありがたいですけれどもね」

「その点ここはほんと、居心地がいいですねえ。ついつい長居しちゃいますよ」


 自宅にほど近いバー。居心地の良いこの店は、偶然見つけた自分だけのオアシス。

 うるさ過ぎず、心地よい音量で流れるジャズ。

 暗過ぎず、それでいて優しく程よい光量の間接照明。

 そして、愚痴を聞いてもらうとなんとなく落ち着くマスターの存在。

 生きていれば父親ぐらいのこの人が、足繁く通ってしまう最大の理由だろう。


「しかし、いつ来てもお客さんいないですね。経営成り立つんですか? 大きなお世話でしょうけど……」

「ふふふ……ご心配には及びませんよ」

「せめて雰囲気のある看板でも出せば、随分と違うと思うんだけどなあ」


 まったくもって失礼な発言。

 しかし、そんな言葉が口からこぼれてしまうほど、他の客を見たことがない。

 そして気の置けないマスターは、そんな言葉にも静かに微笑みで返す。


 ぎりぎり都内の、埼玉県との県境。

 最寄りの駅からも、車がなければ不便極まりない場所。

 そんな所に、看板も掲げていないのだから当然か。


 僕がこの店を知ったのだって、きっかけは偶然。

 たまたま店先を通り掛かった時に打ち水を掛けられ、乾かさなくてはと招き入れてもらったから。

 落ち着いた雰囲気は大歓迎だが、経営難で店をたたまれては元も子もない。存続を祈るばかりだ。


「山王子さんの方こそ、お仕事大変そうじゃないですか。ここに来るのは現実逃避なのではと、心配することもありますよ」

「現実逃避かあ、実際そうなんでしょうねえ。ここにいるときと、本を読んでるときだけが心安らぐ時間ですから……」

「読書お好きなんですね。そういえば、この間忘れていかれたラノベ・・・っていうんですか? ああいうの、よくお読みになるんですか?」


 読みかけの本を忘れたのは、顔から火が出る程の失態だった。

 これが文学小説なら問題ない。だが忘れて行ったのは、自分の趣味嗜好が色濃く描かれた異世界物のライトノベル。いかがわしい内容じゃなかったのが救いだ。


 そして、忘れたのがこの店で助かった。

 このマスターなら、異世界を夢見ながら読書にふける僕も受け入れてもらえる。そんな安心感がある。

 他の場所だったらきっと泣く泣く諦め、買い直しのために本屋に走っただろう。


「読書は好きですよ。没頭してる間は、嫌なことを忘れられますからね。この間忘れていった異世界物、ああいうのが特に好きですね。憧れちゃいますよ」

「実際に、異世界行きを夢見たりするんですか?」


 マスターのそんな言葉に、異世界が見えてきたような錯覚すら湧き起こる。

 過去に読んだ本の異世界の情景と、そこで活躍する登場人物たち。

 いつの間にか主人公は自分に置き換えられ、英雄気分で悪者を退治していく。

 困った人を助けて拍手喝采を浴び、美酒に酔う夢心地の気分。

 飲み過ぎたのか、はたまたマスターの話術に酔ったのか……。


「ああ、いいですねえ。今の生活を捨てて、異世界に転生できたらどんなにいいか……」


 口から出た言葉に我に返る。

 調子に乗って、何を馬鹿なことを言ってしまったのか。

 頭の中で妄想を繰り広げるばかりか、それを夢見て、さらに人に語るなど。


 慌てて付け足す、照れ隠しの言葉。 

 『なんてね』と言いかけながら、マスターへと視線を移した時、思いがけない言葉が返された。一枚のメモと一緒に……。


「――異世界に興味がおありなら、ご案内しますよ」




谷代やしろ公園の街灯、十一月二十三日、午前二時】


 左手に持っているのは、あの時マスターから手渡されたメモ。

 そして右手には携帯電話。現在時刻は午前一時四十五分。

 やはり、今夜は寒い。身体の芯から凍えるほどに寒い。

 たまらず、メモに書かれている街灯からひとまず離れ、手近なベンチで体を小さく丸めて寒さを凌ぐ。


「こんな所で何やってんだかな……」


 一息ついて少し冷静になったのか、無意識のうちに口からこぼれる独り言。

 『何をやっているのか』なんて、自分が一番良くわかっている。

 要するに、異世界へ連れていってもらうなんていうおとぎ話を真に受けて、メモに書かれた通りにノコノコやって来ただけの話。


 だが、真に受けた根拠がないわけじゃない。

 この待ち合わせの場所と時刻。からかうだけなら近場に呼び出して、騙された間抜けな姿を確認できればいいはず。

 ここは電車に揺られて二時間もかかる、元は神社だったという薄気味悪い公園。

 そして、こんな不気味な時刻。満月のお陰で助けられているが、薄暗い街灯だけだったら、犬の遠吠え一つで泣き出しそうに怖い。

 そんなところに、意味なく呼びだすとは思えない。


 そして、メモを受け取った夜に見た夢。

 幼い頃に、今は亡き父に向って魔法を放って、説教をされるという他愛もない夢。

 昔は頻繁だったが、それを思い出したかのように何年かぶりに見た。

 そんなファンタジーに憧れるきっかけになった夢を、このタイミングで見るなんて、なにかの暗示ではないかと思う。


 さらに、あの日以降のマスターの行動も不穏。

 今まで店を訪ねても、マスターが不在だったことはなかった。それなのにあれ以来、ぱったりとマスターの消息が掴めない。

 店に行っても、ずっと不在。今日に至るまで毎日だ。

 こうなると、それもまた意味のある行動ではないかと勘ぐってしまう。


 そう、やはりマスターの『異世界へ案内します』という言葉は、本物に違いない。



 ――改めて満月を見上げて呟く。


「馬鹿馬鹿しい……」


 本当は気付いていた、根拠に何の意味もないことを……。


 退屈なサラリーマン生活。

 理不尽な毎日。

 渇望していたのは非日常。

 そんなところに突き付けられた、自分の憧れの世界。


 マスターの口車に乗せられたわけではない。自ら乗ったのだ。

 盲目的に、願望を可能性にすり替えた。

 客観的な根拠を積み上げれば可能性は上がる。

 だが、可能性を上げようと積み上げた根拠には、何の意味もない。


 そう、最初から答えは出ていたのだ。

 結局のところ、憧れの異世界で魔法をぶっ放して悪人をやっつけ、困っている人々を助けて拍手喝采を浴びる英雄になりたいという夢を、心のどこかで求めていたのだろう。


 ――ヒュルルルル。


 悲鳴のような冷たい北風が、空を見上げた横っ面を叩く。

 思わず寒さに身を縮め、携帯電話の時刻を再度確認する。

 周囲を見渡すが、異変が起こる気配もなければ、誰一人やって来る様子もない。

 マスターから手渡されたメモと時計と見比べ、そしてため息をついた。


「夢の時間も、もう終わりか……」


 いつの間にか約束の時刻になっていた。

 この半月間は、マスターから夢を見させてもらっていたのかもしれない。

 そう思うと、夢の時間が終わってしまったことがより一層寂しく感じられる。

 こんなことなら、もっと思いっきり異世界を夢見て、ワクワクと胸を膨らませておくのだったと少し後悔した。


 待ちぼうけを食ったこの場所に長居は無用。

 わかってはいるが、いざ立ち去ろうとすると後ろ髪を引かれる。

 待ち続けている間は夢は終わらない。立ち去るときにその夢は終わる。そんな気がするから……。


 最後に、メモに書かれていた街灯へと歩み寄る。

 諦めが悪いと言ってしまえば身も蓋もないが、お別れの儀式のようなものだ。

 この公園に来たばかりの時はあそこで、まだ夢を見ながら突っ立っていたんだったなと、たった三十分前の出来事に懐かしさすらこみ上げる。

 一歩、また一歩と街灯に近づくにつれ、強まる寂しさ。

 そして別れを惜しむように、街灯にそっと右手を添える……。




 ――僕はこの世界から姿を消した。

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