7. 肩甲骨から羽




 前、客が言ってた。俺のディックを舐めて舐めて舐めて酸欠になってから俺が放出した精液を全部呑まされて死にかける、その瞬間、俺の背中から真っ白な羽が生えるんだって。


 シャンペンブロンドの男娼が言う。


 俺は鳥の巣みたいに半端なアフロを掻き毟り、言う。アンヘル、いいから黙って病院に行け。精神科と皮膚科、両方だ。俺に毛虱を移すな。


 毛虱かよ。男娼は笑う。他に何人買ってんだ、ロバート。


 俺はそれから無言で奴を犯し、奴は終わった後に俺の財布の中身を全て抜き取って古い宿屋の部屋を出て行った。昨日の話だ。いつもの話だ。


 暗室の酸っぱいにおいを常に衣服から漂わせている自分に言い寄ってくる人間を、俺は一人しか知らない。


 金を寄越せよ。ロバート。セックスしようぜ。


 エージェンシー抜き、一時間百ドル、「友人価格」。


 シャンペンブロンドの男娼は、猫みたいな顔をして笑う。


 その男に一時間百ドル払うほど、俺には金がない。奴はそれを知っている。だが奴には、ボランティア精神というものがまったくない。俺の銀行口座にあと一ドルしかないとする。奴はその一ドルを巻き上げようとする。財布の中身が空で、入っているのがマクドナルドの割引券一枚だったとする。奴はその割引券を取り上げていく。昨日もそうだった。いつもの話だ。


 それはいいんだ。いや、よくないけれど、いいんだ、他の客の話を聞かされることに比べれば。


 他の客の話なんか、俺の方から聞きだしたことないだろう。いつもそうやって、おまえが勝手に喋り散らすんだろう。


 他の客の話なんか、俺は聞きたくない。


 俺の話なんか、俺は聞きたくない。


 俺は客だ。客を惨めにしてどうするんだ。おまえはソーシャルワーカーにすらなれない。失格だ。


 おまえが俺とセックスするのは、この欲求不満で憐れな写真家を救うためか? 違う。


 おまえの名前は、両親がラリった勢いでつけた、シケたジョークみたいなもんだろう。


 勘違いするな。


 おまえは、間違っても、天使などでは、ない。


 人間なんか、一人も救えない。貶めることはできても、その逆の奇跡は起きない。たとえ俺がおまえのディックを咥えたところで、羽なんか絶対に生えない、何度やっても、何度死にそうになっても。


 だから、不自然で、合理的なんだろう。


 おまえと客との、セックスは。


 俺たちの間の、セックスは。


「おまえが撮ってきた、あの写真の男。風俗だな。一目でわかる」


 受話器の向こうで、男の声が言う。音量を絞ったトークラジオのような、薄まったノイズが背景に静かに聞こえる。修羅場明けの編集部はいつも、戦後の焼け野原のような空気が漂う。電話の相手の男は、おそらく焼け野原の真ん中で一人、煙草を吸っている。いや、編集部は禁煙だったかも知れない。長居をしないようになって久しく、細かい規則については忘れた。


「いくらで買ったんだ、ロブ? いつも買ってんのか? 俺が素っ裸の男を二時間以内に撮ってこなきゃ二度と仕事やらねぇとか脅したからか? 悪いことは言わん、おまえ風俗はやめとけ」


 あれは、俺の友人だ。


 多分。


 いや、「友人価格」だと言ったんだから、おそらく確実に友人だ。


「でも風俗だろ、あれ。知らねぇぞ。こんな風に顔晒させて、面倒なことになってもおまえはうちの正社員じゃないからな、言っとくが」


 奴のエージェンシーは、俺を脅迫するような金にならないことはやらない。俺を陥れそうな奴といえば、その写真の男ぐらいしか思いつかない。もし、俺からの連絡が突然途絶えたりしたら、そいつを真っ先に疑ってくれ。容疑者はみんな脱がせて壁に這わせろ。背筋の形で見分けがつく。マンハッタンで一番綺麗な背筋だ、多分。


「背中な、そうだ背中だ。あの背中が写ってるヤツだ。何だアレ。まるでおまえの写真じゃないだろう、アレ。おまえが撮ったなんて間違っても思えないだろう。なんであんな綺麗に撮れてんだ、マグレにしたって」


 マグレじゃない。


 それは、被写体がいいからだ。


 それは、俺がその被写体相手に、相当な場数を踏んでいるからだ。それは、俺がその男を撮り始めて、その写真が、通算一千枚目だからだ。数えてないけど、多分。


「いや、マジな話。おまえってホント取り得ないと思ってたけど、裸の男撮らせたら天才な」


 ファーストネームだけなら、確かに俺はロバート・メイプルソープと共通したものを持っている。


「どうでもいいけど、どっから電話してんだ、テレビの音うるせぇぞ。おまえ男買う金あったら携帯買えよ、こっちから連絡つかねぇだろうが。仕事やらねぇぞもう。裸の男撮る以外じゃ無能のクセに。大体用件は何だよ」


 そうだ。


 俺は、電話した理由を思い出す。


 その、俺が撮った風俗の男の裸写真が、今週号に一枚でも使われたのかどうか、それが知りたかった。


「使ったよ、まだ見てないのか」


 受話器の反対側で、男の笑い声が鼻を抜けるような音がする。続きを聞きながら、左目の瞼だけが鈍く痙攣する。凶兆だ。


「背中の写真。表紙だ」





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