BaseBall Bar Maid Stadium

烏丸れーもん

第1話「球春到来」

  とある電気街の大通りの裏にある小さな通りに一軒の店がある。

  そこはオタク色の強い電気街の雰囲気にふさわしいメイド喫茶と、それと裏腹のリア充的イメージを持つガールズバーを混合させた、所謂「メイドバー」と呼ばれる類の店である。

  ただ、そのメイドバーはごく普通のメイドバーと大きく異なる点がある。

  それは従業員全員が大の野球ファンであり、野球の試合を観戦しながらメイドバーとしての機能を堪能できる店であるということである。

  

  その店の名は――――

  『Baseball BAR Maid Stadium』

  

  その名が書かれた看板が目印の店内へと足を踏み入れる男がいた。

  神山雄大、23歳。ごく普通の会社員でごく普通の容姿の男である。

  彼も日常的に野球を観戦しており、この店にもよく足を運んでいる。

  「あ、おかえりー!」

  背中に虎の刺繍が入った縦縞の法被の下にメイド服を着用しているショートボブをハーフアップにした茶髪の女性が元気よく挨拶する。

  彼女の名は小林園子、20歳。法被のデザインを見て解るように生粋の阪神タイガースファンである。普段はウラ街にはびこる麻薬や獣を取り締まる公務員として掛け持ちで働いている。公務員という立場もあるので、ここで働いていることはもちろん隠蔽している。

  「どないしたん? 去年日ハムに優勝掻っ攫われたソフトバンクファンみたいな顔してるやん」

  園子の言い放った野球ファン向けの例えが理解し難い人に向けて簡単に説明すると、とにかくテンションの低い状態のことを指している。今の雄大はまさしくそのような状態で野球中継が映し出されているテレビと複数の酒瓶が視界に映えるカウンター席に座っている。

  「いや、仕事がクソきつかったから疲れたんよ……面倒な上に量も結構あったからなぁ」

  雄大はこの日、新規の仕事を大量に任されていた。慣れない業務で小ミスを連発して上司からの雷を何度も喰らい、精神、神経共に疲れ果てていた。その疲れからか雄大は狂ったような苦笑いを見せる。

  「そっか、お疲れさん。まぁ、野球でも見て鬱憤吹っ飛ばしぃや!」

  「せやな。今日はその為に来たわけやしな」

  今日は3月31日。彼らにとって待ちに待ったプロ野球が開幕する日だ。店内は満員と呼ぶには物足りないが、それでも多くの客が来店している。メイドとのコミュニケーションのみを目的としている客も少なからず存在するが、開幕試合を見に来た野球ファンが当然のごとく来店客の殆どの割合を占めている。

  「ほな最初何飲む?」

  「とりあえずカシスソーダ」

  「お、カシスゥー! ウチも一杯飲んでよろしい?」

  この店はメイドと一緒に酒を飲めるシステムがあり、注文した酒の値段分の追加料金が発生する。

  「おう、ええよ。待ちに待った開幕やからな!」

  「やったぁ! じゃあ入れるから、ちょっと待っときや」

  好物のカシスを奢られた園子は機嫌よく酒を二杯分入れる。

  メイド姿で酒を用意する彼女を見て雄大は考える。もしも彼女が嫁に来てくれたら、容姿端麗で話し上手でその上野球という共通の趣味を持っているので楽しくコミュニケーションも取れて幸せだろうな……なんて思いつつもその妄想は流石にない、と首を横に振る雄大であった。何故なら彼女は2次元3次元問わず自身と同年代程度の美少女を性的対象としている所謂レズビアンなので、男の自分はそういった意味で眼中にないだろうと予測しているからだ。

  「それじゃあ、プロ野球開幕を祝して……乾杯!」

  「乾杯!」

  カシスソーダが一杯に注がれたグラスを軽くぶつけあう音をたてた。

  「ハァ……どうせやったらアンタみたいなぐう凡な野郎なんかより、超絶美少女と一杯飲みたかったなぁ……」

  「ぐう凡な野郎で悪かったな……」

  「まぁまぁ今阪神勝ってることやし、別にええよ」

  園子は上機嫌のまま、マツダスタジアムでの広島と阪神の開幕戦の様子が映し出されたテレビの方を指さした。

  「お、阪神リードしてるんや」

  試合は4回表、6‐1で阪神が広島を5点もリードしていた。なおも、2アウト満塁で追加点のチャンスを迎えている。

  「おうよ! しかもジョンソンからこれだけ打ったんやで!」

  「は……阪神打線が、ジョンソンから6得点……だと……?!」

  ジョンソンは昨年沢村賞を受賞した投手で、阪神相手にも過去2年間で10試合投げて通算6勝を挙げ、防御率も1点台と大いに抑え込まれている。阪神にとっては正しく難敵と言える存在であり、その難敵から4回途中6得点を奪う展開を雄大は予想しておらず驚愕を隠せずにいた。

  「お、鳥谷打った!」

  しかし、打った球はショートへと向かうボテボテの打球だった。

  「あー……ショートゴロかぁ……ん? おおっ?!」

  アウトかと思われた打球だったが、ショートの田中が捕った球をポロリと落とした。守りを重視するイメージの強い広島にしては珍しいミスプレーである。その隙をついて3塁ランナーがホームに帰り、さらに1点が阪神に追加された。

  「おっしゃあっ! なにはともあれまた点入ったでぇ!」

  ここで、一塁側のベンチから投手コーチと監督が現れ、投手の交代を告げた。

  「おぉ、意外とめっちゃ早く落ちたな~。今まで苦しめられた身からしたら、ええ気味やわ~!」

  カシスソーダに含まれたアルコールを体内に取り込んだ影響による酔いからか、園子はさらに上機嫌でグラスを回している。

  「ジョンソンをこの段階でKOさせるとは……おっぱげた……!」

  おっぱげた、という言葉を簡単に説明すると、予想と大きく外れた誤算により驚愕の感情が沸いた時に用いる動詞である。つい最近まで放送されていたとあるアニメにてこの台詞が出たのをきっかけに、ネット界隈で密かにブームとなっている。(そんなことはどうでもいい)

  昨年の阪神打線はリーグでワースト1、2を争うほどの貧打線で1、2点取れれば後は優秀な先発陣が抑えてくれるだろうと満足するほどの酷さだったが、苦手としている投手を相手にしてのこれほど点の入る今年の阪神打線を見て、雄大はただただおっぱげるしかなかった。

  「おう、思う存分おっぱげときや! 今年の猛虎打線はいつもと一味違うからな!」

  園子が自慢げに話すその時だった。

  「たった6点リードしたくらいで随分ええ気になっとるわねぇ」

  紅葉のように赤がかるストレートロングヘアの上に真っ赤な野球帽を被ったメイドが園子の横に立つ。

  「あ、東出店長」

  彼女は東出紅、26歳。このバーの店長を勤める女性で、広島出身の生粋の広島カープファンである。彼女もまたウラである副業を行っているが、「それは言えない悪しからず」と口止めされているため、ここでは割愛する。

  「あのさぁ……店長って呼ぶんは堅苦しぃけぇやめてってば!紅ちゃんでええよ」

  「いや、その歳でその呼ばれ方はキツいんじゃないですかねぇ……」

  「失敬ね!まだまだ若いんじゃけぇいけるわよ!」

  25を超えればもういい歳とはいえそこまで老けてもいないので、まぁいけないことはないが……いや、お姉さんメイドというキャラ付けで見ればむしろアリか。と考えを改める雄大だった。

  「まぁそれはそうとして、カープはこの大差からの逆転を得意としとるんを忘れたの、園子さん?」

  昨年のリーグ王者・広島は89試合に勝利し、うちほぼ半分の45勝が逆転による勝利だった。広島と試合をする他球団ファンにとっては、リードしていても逆転されるかもしれないという恐怖心に対して常に怯えていた。

  「ずいぶん強気やないですか店長? ウチの鉄壁の投手陣舐めんなや?!」

  昨年の阪神のチーム防御率は3.38と広島に次いでリーグ2番目の防御率である。また救援陣の防御率も3.29とまずまずの数字である。この数字から園子が阪神投手陣を自慢するのも頷ける。

  「そうやって調子に乗るのもリードしている今のうちよ。あんたの贔屓は去年ウチにどれだけ負け越しましたか?」

  昨年の広島との対戦成績は7勝18敗と阪神が大きく負け越している。

  「今年はもう阪神の二軍ごときにカモられるほど弱ないわゴラァ!」

  「ふふっ、カープが阪神の二軍とか……どんだけ昔の話しとんじゃゴラァ?!」

  阪神は過去に現在監督を務める金本をはじめ、出戻りはしたが新井、さらにはシーツ、町田と広島から選手を多く移籍させたこともあり、数年前まで「広島は阪神の二軍」と比喩されていた。現在は広島が強豪球団と化したことや、前述した阪神との戦績を考慮すると立場は逆転したと言えるが。

  「まぁまぁ、喧嘩は程々にして静かに野球見ましょうよ……」

  雄大は二人の喧嘩を止めようと宥めている。だが、「程々に」という抑え目な表現をしているあたり、「仲良く一緒に野球を見よう」という意思はそこまでない。こうした汚い言葉が飛び交うファン同士の喧嘩も野球観戦の醍醐味だからである。ただ、彼女たちが特殊的なだけであって全ての野球ファンがこうして喧嘩をしながら野球観戦をしているわけではないということを、野球を知らない読者の方々にご理解いただきたい。

  

  試合は6回裏まで進んで広島の攻撃。松山のエラーによる出塁と鈴木のヒットでノーアウト一二塁のチャンスを作ると、安部と代打エルドレッドの連続タイムリーで5点差に詰め寄る。さらに阪神の先発メッセンジャーが降板し、ワンアウト一三塁で変わった2番手桑原から、ファースト原口のエラーにより1点をもぎ取り4点差まで詰め寄った。

  「ま……まぁ、まだ4点差あるわけやし……だ、大丈夫やろ」

  「あらあら園子さん、声がブルブルでいらっしゃいますわよ?」

  「う……うっさいわ!」

  7回裏、4番新井の今季第1号ソロホームランで点差を3点にする。さらに8回裏、ツーアウト一二塁でバッターは前の打席ホームランを放った4番新井。阪神の4番手マテオのファーストへの送球ミスによるエラーでさらに1点返して2点差まで詰め寄った。

  「いやぁあああっ! ちょっとまってお~!」

  「ハハハハハッ! 気分ええからそのクッソ寒いシャレも笑えてくるわ!」

  「ぐぬぬぬぬ……」

  「いったれいったれ! そのまま逆転じゃぁ!」

  紅は点が入るごとに酒を飲み進めていき、真っ赤な顔の泥酔状態に入っている。逆転を確信している彼女の余裕に園子は立腹の表情を見せる。

  そして9回、阪神の4番福留のツーランホームランで2点追加する。

  「よっしゃあああぁつ! 福留最高やぁ~!」

  「ぐぬぬぬぬ……このおっさんホンマカープ相手に限って打ちまくるから嫌いやわ!」

  福留は過去3年間広島相手に打率が3割飛んで1厘、8本塁打に28打点と好成績を残しており、特に2014年はシーズン打率2割5分3厘と不振だったが、広島相手だけでみると3割1分3厘とかなり打っている。その年の広島とのクライマックスシリーズも、当時の広島のエース前田健太から放った決勝ホームランを機に、球団初のファーストステージ突破の立役者となった。この実績から福留は広島ファンから「顔も見たくない」といわれるレベルの広島キラーと呼ばれている。

  そんな福留のホームランで歓喜に舞う束の間のその裏、守護神ドリスから鈴木がヒットで出塁。一発が出れば同点の場面に。

  「ふぅうう~っ! 神ってるぅ~!」

  「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ! なんで3人でピシャっと抑えられんのじゃああああああっ?!」

  点差が4点あり、優秀な救援陣を備える阪神といえど、ちょっとでも反撃されると逆転負けを心配してしまう。常にポジティブに思われがちな阪神ファンの意外といえば意外な性である。

  だが反撃もここまで。ランナー一人残塁で最後はサードゴロに抑え試合終了。10‐6で阪神が逃げ切る形で勝利した。

  「よっしゃぁぁ……何とか勝ったでぇ……」

  「あぁ~……後もうちょっと打てれば勝てたのに~……」

  僅差の勝利に安堵する園子の声と僅差の惜敗に悔しがる紅の声が店内全体に響きわたる。

  「ハァ……なんでウチの中継ぎ陣はフツーにぴしゃりと抑えられんのじゃクソがぁああああああああっ!桑原は続投させてもらってアピールチャンス貰ったにも関わらず新井さんにホームラン打たれやがるし、マテオは無駄な四球が多いしで落ち着いて見れんかったわ!」

  園子の安堵の声が毎回得点圏にランナーを出し、不安定極まりなかった阪神中継ぎ陣に対する怒号に変わり始めた。その表情は試合序盤にリードしていた時のご満悦なモノとは打って変わる豹変ぶりであった。

  「ウチが見る試合に限っていっつもこーゆーギリギリな展開が多くて胃が痛いわ! 今年もこんな試合ばっか見せられなアカンのか!?」

  「ちょっと園子さん、あんまり大声出すけぇみんなこっち見とるわよ……」

  店内にいる客全員の注目がその怒号のなる方へ向けられ紅が注意を促した。しかしそんなことなどお構いなしに園子の愚痴は続く。

  「それに何なん? 内野陣の守備の体たらくは?! 特に原口酷すぎるやろアレ! 今年はファーストにコンバートしちゃったから、まぁしゃーない部分もあるかもしれんけどさぁ……落ち着いてやったらフツーにアウトになってたのばっかやろ!」

  「まぁまぁ、なにはともあれ勝ちは勝ちなんやしええやろ?」

  「……それもそうやね。やっぱり勝ってくれることが一番嬉しいやんな」

  雄大がそう宥めると、彼女は怒りの感情を一気に沈めた。

  「よっしゃ! それじゃあ阪神も勝ったことやし、今日はとことん飲みまくるで~!」

  園子は先ほどまでの怒り狂った状態から手のひらを返すようにテンションを上げた満面の笑みを浮かべてグラスに酒を入れ始めた。

  「全く……あの子はホント手のひら返すんが早いわね……」

  コロコロと態度を変えやすい園子に対し、呆れながら苦笑う紅。

  「まぁ、園子に限らず阪神ファンは皆ああですから」

  だいたいの阪神ファンは試合に負けた時、戦犯となった選手や誤った采配をした首脳陣をこれでもかと言うくらいボロクソに叩き、勝った時も内容が悪ければそれに対する文句や今後の試合への不安をうるさく愚痴る。しかし良い勝ち方をすれば、手のひらを返すように選手監督を褒め称え、やれ明日も勝つだの、やれ優勝だのと祭りのように騒ぎ喚く。阪神ファンとはそういった生き物である。

  

  そして雄大は閉店時間を迎えるまで店に居座り、飲み続けた。会計を済ませ店を出た彼の表情は今日一日の疲れが全て吹き飛ばされたような清々しいものだった。

  一緒に野球を見れる人がいて、見た後一緒に野球について語り合える人がいることはやっぱりいいな、と思いながら、明日からの仕事もまた頑張ろう、希望を抱く雄大であった。

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