忘却した真実

大切な家族

 三階へ上がる階段へ、なかなか足をかける事が出来なかった。

 一人で向かって殺されかけた記憶が、私を臆病にさせる。

 アルファは、既に数段駆け上がって見下ろしていた。


「……どうしたんだよ? 今回は、オレと一緒だから大丈夫だよ」


 怯えていることを察したのか、アルファが優しく声を掛けてきた。


「それとも、また思い出したくなくなったか?」

「そうじゃないわ」


 私は、両手を力込めて握りしめて、全神経を使って左足を上げた。

 一段上がってしまえば、私の足は自動機械のように止まることなく、階段を上っていった。階下で、ためらっていた時間がもったいなかったと思うくらい、あっという間に着いた。

 三階は、やはり燭台の灯りだけだった。とても頼りない光だ。

 一番奥の、毛糸がドアノブに巻きついた扉が気になってしまう。

 他にも扉はある。気になるのは……《両親の部屋》と《書斎》……。

 アルファは、怖いもの知らずのように先を歩いてしまう。


「ちょ、ちょっと待って!」


 呼び止める。まだ、覚悟が出来てない。

 殺されるかもしれない恐怖とは、別の恐怖が私を支配した。


「どうしたんだよ?」

「問題の部屋に入る前に……他の部屋も、きちんと調べたいの」


 逃げる口実を早口で述べ、手前にあった《両親の部屋》に向かった。

 家政婦さん達の丁寧な仕事が行き届いているお陰で、殆ど部屋の主がいないにも関わらず、全く埃っぽくなかった。

 ツインの高級ベッドには、清潔なシーツが皺ひとつなく敷かれており、父がお気に入りの書籍が並んだテーブル、母の嫁入り道具でもある古びた鏡台……その他ある調度品は、値打ちのあるアンティーク品ばかりだった。

 調べたい、と言って入室したがいいが……この部屋には、私も姉妹も、殆ど立ち入らない。立ち入る用事がないし、そもそも夫婦の寝室なのだから。


 しかし、周囲の惹きつけられる高級品の中で、気になる代物があった。

 棚の上にある、真っ白な天使の置物。十字架を抱いて、微笑んている天使。

 本物の大理石の台には《Rest in Peace安らかに眠って》と彫られてあった。


 思わず、じっと天使を見つめてしまう。

 髪色が黄色の天使は、穏やかに微笑んでいた。


「――――リヒト?」


 胸の奥が、かあっと熱くなった。

 この天使が、誰の為の物か思い出した。もう一人の……家族。

 彼についての記憶が、胸の奥から溢れて、口をついて出てきた。


「私……私は……生まれる前、双子だったのよ。

 母のお腹の中で、私と男の子がいたの。

 でも、男の子の方は……お腹の中で死んでしまった……。

 兄か弟か……わからなかったけれど、私は兄だと思っていた。

 ずっとお兄さんが欲しいなって、幼い頃思っていたから……母にこの天使の前で話を聞いて……本当なら兄がいたかもしれないって思った……」


 私が迷った時、心細かった時に、励ましてくれた男の子。

 私の心が創り出した、都合の良い偶像なのかもしれないけれど……。

 もしかしたら、あなたは、本当の――――。


 今も、どこかで私を見守ってくれている事を感じながら、部屋を後にした。



「……うん? やけに、出てくるのが早くないか?」


 部屋の前で待っていたアルファが、驚いたように目を何度もまばたきした。


「大切な記憶を思い出したから。私のお兄様について」

「兄? マリカには姉しか……」

「わかってるわ。でも、彼もきちんといるの」


 少しだけ勇気を貰った私は、他の部屋も調べたいと言った手前、隣の《書斎》も入ってみた。

 天井まである一番大きな本棚が、壁面を覆っており、さながら小さな図書館だった。世間に名作で知れ渡っている文学が、余すことなく揃っている。

 その中には、貴重な初版本まであるのだ。

 私は、活字が苦手で、あまり書斎に立ち入らないが、上の姉達は読書家の父の影響で本好きだ。姿が見えない時は大抵、自室か書斎にいるくらい。


 英梨花えりかお姉様が置いたであろう、美しい白百合が飾られた花瓶。

 その隣に、この場にそぐわない強固な黒い金庫があった。

 金庫を開ける為のナンバー錠に貼りついた、小さなメモ。


《四姉妹に、新緑色の草で出来た冠が授けられました。

 それぞれ貰った冠の数は違いました。

 一番上から順番に、いくつ貰ったでしょうか?》


 メモは消え、四つの数字を並べて開けるナンバー錠。

 私は、謎を解いて鍵を開けなければならないのだ。

 文面を頭の中で繰り返し、声に出して唱え、意味をよく考えた。


「四姉妹は、草で出来た冠を……草の冠……くさかんむり……」


 何気なくブツブツと言っていた私の声を、耳が拾い上げた。

 それで、一気に閃いた。


「四姉妹は、私達のこと! そして……私達の名前は、花の名前が付けられているのよ。名前を漢字にして、漢字の部首〝くさかんむり〟を数えるのよ!」


 私の名前は、茉莉花まりか。くさかんむりは、三つ。

 次女、英梨花お姉様は……二つ。そして末っ子の蓮花れんかも、二つ!

 あとは――――長女。一番上のお姉様だけ。


「えっと、名前……名前……!」


 ヒントは、ある。花の名前であること。そして最後には、漢字の花がある。

 必死に思い出そうとした。最後の一人、大切な家族の名前……!

 その時、強く甘い香りに、惹きつけられた。

 その花言葉の通り……純潔が具現化したような、華麗な花。


「思い出した……百合花ゆりかお姉様……やっと、思い出せた」


 ナンバー錠に数字を入れる。1・2・3・2――――鍵は解錠された。


「既に三人、わかっていたのなら、あとの一つの数字はスライドして、一つ一つ試せば良かったんじゃないか?」


 見ていたアルファは、呆れたような嬉しそうな、複雑な声音で言った。

 でも名前を、名前だけでも、どうにか思い出せた喜びで私は興奮していた。

 震える指先のまま、金庫を開けて中身を取り出した。

 書斎の金庫に入っていたのは、お洒落な封筒の数々……百合花お姉様宛ての手紙だった。

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