孤独と寂しさ


 廊下へ出た瞬間、空気が明らかに変わった事を肌が感じ取り、全身に悪寒が走った。


「嫌っ……何コレ」


 鳥肌が立った両腕をさすりながら、私はアルファを見た。

 人形は、険しい表情で周囲を警戒していた。

 私は、続けて弱音を吐きそうになった口を必死に閉じた。

 もう諦めたりしない。途中で投げ出したりしない。

 私は、全てを思い出して現実世界に帰る――――のだから。


 ビスクドールに無言で促されながら、私は鍵を使った。

 解錠したドアは、とても素直に開いた。

 質素で清潔感溢れる部屋。観葉植物や花の鉢植えがある。

 そうだ……エリカお姉様は、花が好きなんだ。

 天性の園芸の才能を駆使して、こまめに世話をしたお陰で、部屋の中は自然な花の香りで満ちていた。

 エリカお姉様の部屋は、無駄な物が一つもなかった。

 机、本棚、収納棚、寝台、衣装ケース……必要最低限ものばかり。


「家族に関する手掛かりを探すんだ」


 唐突に話し掛けてきたアルファに振り返る。


「此処は、エリカお姉様の部屋ですよ?

 もう一人のお姉様の部屋に直接行けば、手っとり早いのでは?」

「仕方ないだろ。全てを一気に見せたら、また取り乱すだろ。

 それに、今は部屋には行けない。また殺されるかもしれないから」

「えっ!? 殺され……あの、毛糸が巻きついたドアの先が?」


 私は絞められた首を摩って、言葉を失った。


「どうして……」

「ウダウダ喋ってないで、早く手掛かりを探したらどうだ!?

 あの影野郎が邪魔して来る前に、残りの一人を思い出せ!!」


 アルファの態度が、元通りになりつつあった。

 咲き乱れる多種多様の花を横目に私は、アルファと共に部屋を詮索する。


「――――これは」


 机の中は、物が少なく整理整頓されていた。

 教科書や参考書などは、一見して関係ないものだから触らなかった。

 机の上、英和辞典の隣にある写真立てに、目が向いた。

 それは家族を映した写真だった。

 真ん中で、ひまわりのような輝く笑顔を浮かべる、末っ子の蓮花れんか

 蓮花の肩に手を置いて、優しく微笑んでいる英梨花えりかお姉様。

 英梨花お姉様の左隣で、冷めた表情の……私。笑って写れば良かった。

 そして――――反対側に、いるはずのお姉様の姿は黒い影に覆われていた。

 失敗した写真を飾っておくはずがない。

 私が思い出していないから姿が見えないだけなのだ。

 この写真からは、重要な記憶は得られそうもなかった。


「……どうしてこんな事に」


 アルファは塗りつぶされた個所を、悲しみに表情を歪めながら撫でていた。

 私は、そんなアルファを見ていられず、視線を逸らす為に机の隣にある本棚を確かめた。単行本に紛れて、あった花柄の日記帳。

 覗き見する罪悪感を少しだけ感じながら、私は中を見た。

 じっくり見るのは、時間が掛かるので、一ヶ月一日だけ見ることにした。


《11月12日 曇り

 今日も北風が、太陽と張り合っていた。

 これから寒い日が続くのかと思うと、憂鬱。

 今日は、お姉様が肩掛けをプレゼントしてくれた。

 冷え性の私の為に、わざわざ毛糸を編んで、一から作ってくれた。

 お店で売っているのと、何ら変わらない完成度だった。

 心の籠もった肩掛けは、これからの寒さから私を守ってくれるだろう。

 どれだけ、お礼の言葉を言っても足りないくらい、嬉しい。》


《12月23日 晴れ

 今日、明亜あくあが来た。クリスマスプレゼントを持って来た。

 茉莉花まりかも蓮花も、はしゃいでいた。心なしか、お姉様も嬉しそうだった。

 私一人だけが不機嫌になっているだけだった。

 私には、カシミヤの高級マフラー。絶対に着用しない。

 茉莉花には、欲しがっていた女子限定モデルの腕時計。

 蓮花には、女の子のビスクドール。アルファの恋人だとか。

 そしてお姉様には、なんと指輪を与えていた。

 あの小箱を見た時は、心臓が止まるかと思うほど驚いた。

 一体、何のつもりなのだろう? 近い内に、お姉様と話す必要がある。》


「指輪――――!?」


 私の脳裏に、小物入れに入っていたプラチナリングが過ぎった。

 《A to  》裏側に刻まれた文字は、途中でなくなっていた。

 この指輪は明亜から送られた物で、私の小物入れに入っていた。

 だから私の物だと思っていた。でも、としたら?

 心拍数が上がった心臓が落ち着くのも待たず、日記を読み進めた。


《1月3日 晴れのち雨

 17年間生きて来て、一番最悪な初詣だった。

 お姉様と話していたら、お互いに激情に駆られて言い争いになってしまった。

 興奮して余計な言葉を言ってしまったことは、反省する。

 けれども、お姉様も変なところで強情だ。

 どうしてわかって貰えないのだろう。私が従兄の明亜を嫌悪しているのにはちゃんとした理由があり、その理由をしっかり説明しているはずなのに。

 (最後の一行は、二重線で消されていて判読不能)》


《2月19日 晴れ

 寒さのせいか、最近ひどくイライラしている。

 今日も、茉莉花と喧嘩してしまった。

 私はマナーを教えたいだけなのに、どうして反抗するのだろう?

 私の教え方の問題か? お姉様からも厳しすぎると言われるけれど、もう少し優しくすべき? でも、やりすぎたら「子供扱いして!」と怒るだろう。

 困ったな。蓮花とおままごとすることが、本当に癒しになっている。

 ただ、アルファとシータが恋人である設定は、どうにかならないものか。》


θシータ? シータって誰?」


私が聞くと、アルファがゲェと言いたげな顔になった。


「俺の恋人……って勝手に自称していた勘違い女。俺と同じビスクドールだ」

「あぁ、明亜がプレゼントした」

「あーどうりで!!

 あのお高くとまった自意識過剰、誰かに似ていると思ったら!」


 アルファの悪態を聞き流しながら、続きを読む。


《3月14日 雨

 文字に書き起こすのも辛い事が起きた。

 でも頭の中に残しておくのも苦しい。文字にして頭の中から消したい。

 昼食後、食堂でお姉様と一緒に談笑していたら、蓮花の泣き声が聞こえた。

 大慌てで私達が部屋に行った時には、蓮花が泣いていて、その足元には首が折れたシータがいた。茉莉花が人形を壊したのだった。私が叱咤すると、茉莉花は「私の邪魔をした蓮花が悪い」の一点張りで謝らなかった。

 その右手の人差し指には、見慣れない指輪があった。それについて訊ねると「明亜から貰った」と誇らしげに言われた。

 一目見ても本物の宝石があしらわれた高級品だった。

 13歳が持つべき物ではない。渡しなさいと言ったら茉莉花が激昂した。

「恋人から貰ったのよ! 身につけて何が悪いの!」

 明亜……一体、どこまで私達の中に入り込んでくれば気が済むの?

 お姉様ばかりではなく、茉莉花まで虜にするなんて許せない。

 私達は、四人姉妹だけいい。四人で仲良く暮らしていたいのに!

 あいつが現れてから、私達の平穏な生活がおかしくなっていった。

 茉莉花は自分の部屋に閉じこもったまま、出て来ない。

 蓮花も泣き疲れて眠ってしまったし、お姉様もショックを受けて寝込んでしまった。誰もない食堂で、私は日記を書いている。

 四人で、楽しく笑いあって食事をしていた、あの頃に戻りたい……》

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