対話

 アルファの話は、とても重要なものだった。

 私には、二人のお姉様がいる。そしてアルファは、二人の姉からの贈り物。

 大体の人物像は分かったものの、名前も顔も声も……欠片も浮かばない。

 アルファの大切な人を、忘れてしまっている……。

 その澄んだ瞳を見ていたら、胸の奥から罪悪感が湧いて来た。


「ごめんなさい……」

「何だよ?」

「二人のお姉様の事、忘れてしまってごめんなさい」

「――――全く。謝ってばかりだな。

 マリカが、そんなに謝る必要はない……いや違うな。

 今のマリカに、オレは謝られたくない。

 オレが許せない事は、そんな事じゃないんだ。

 例え何千回、何万回と謝られても許せない事を思い出してないんだから」


 アルファの瞳の奥から、紛れもない憤怒の感情が込み上げてきた。

 それを見て、私はつい……ずっと前から疑ってきた事を訊ねた。


「アルファは、私が嫌いなのですか?」

「……あぁ嫌いだよ。大っ嫌いだ」

「それでは何故? 何故、私を助けてくれるのですか?

 さっきだって私が殺されそうになった時に、助け出してくれて……」

「あれは……マリカが、都合の悪い事を忘れたまま、簡単に楽になってしまうのが許せなかっただけだ」


 アルファは、私の瞳を見据えて言い放った。

 一体、私は……何を忘れてしまったのだろう。


「――――全てを思い出すのが怖くなったか? マリカ」


 アルファが怒りを隠そうともせず、冷たく訊ねてきた。


「いいえ。私は、全てを思い出して、現実世界に帰るわ」

「…………フン」


 アルファは目を側めると、私に背を向けて先を歩きだした。

 私は、アルファに誘導されるがまま、二階の他の部屋を探索した。

 客室には、特にめぼしいものはなく、鍵が掛かっている部屋はどうやっても開かなかった。やはり、鍵を見つけない事には室内に入れなさそうだった。


「さてと。もう二階の探索は充分だろ」

「……そうね。鍵が掛かっている部屋以外は、全部調べたわ」

「それじゃあ、階段を降りて一階に行こう」


 私の先頭に立って、迷いなく歩くビスクドール。

 先程、一人で勝手に動いて死に掛けたので大人しくついて行く。

 階段で一階へ降りて、脇目もふらず食堂へ。

 食堂に入って、最初に目を奪われたのは煌びやかなシャンデリアだった。

 上質なマホガニーの大テーブルが中央にあり、それを取り巻く様に置かれた数々の調度品。


「……広い」


 誰に言うでもなく、口から零れ出た言葉。

 両親と共に食事をしたのは、いつだったかしら?

 もう随分、昔の事のように思える。食事のする場所は普通なら楽しい場所のはず、しかし此処は私には寂しい場所でしかなかった。

 大テーブルの私の席には、白いお皿の上に綺麗に並べられた複数のナイフとフォークがあった。

 傍には、小さいメモがあった。


《マナーを守りなさい》


 メモは文字を確認した途端、溶けるように消えてしまった。

 私は、大きさの違うナイフとフォークをそれぞれ手に取った。

 顔も名前も忘れてしまったけれど……誰かに厳しく躾けられたテーブルマナーは覚えていた。

 ディナープレートを中央に置き、食べる順番に合わせて外から内にそれぞれ、用途によって大きさも形も違うナイフとフォークを置いていく。

 前菜、魚介料理、肉料理、デザート……それぞれ決められた位置へ、食器をセッティングし終えた瞬間、私の脳裏に記憶が甦った。


「私に礼儀作法を教えてくれたのは……お姉様……黒条園こくじょうえん 英梨花えりか


 思い出した直後、食堂の奥から一人の女性がやって来た。

 短く切り揃えられたショートカットの髪を揺らしながら、お気に入りの白いマグカップを持って、私の目の前の席に座った。


「マリカ、いつまで突っ立っているつもり? 座れば?」

「は、はい。失礼します……」

「それで――――私の事を思い出したのね」

「えっ!?」


 レンカと違って、エリカお姉様は、私の現状をわかっているようだった。

 それに安心した私は席に着いた。

 アルファは、自分で隣の椅子を引き出して、何とか上によじ登った。

 小さい彼の背丈では、テーブルから顔を出すのが精一杯のようだった。

 私が手を差し出したら、短く要らないと言われてしまった。


「マリカ」

「はい!?」

「……その様子だと、まだ全ては思い出してはないようね」

「まだ一番上のお姉様の事は思い出してません」

「…………そう。そうよね」


 エリカお姉様は、ふうと息を吐くと天井を見上げた。

 ボーイッシュコーデを着こなす二番目の姉は、高等部で一番人気らしい。

 男女問わず、年齢問わず……お姉様のファンが多い。

 私のクラスにも、写真を見て一目惚れしたファンがいる。


「……お姉様」

「何?」


 天井に向けていた視線を私に向けて、微笑んでくれたエリカお姉様。

 しかし、その笑顔を見た瞬間、全身に鳥肌が立った。

 どうしてだろう? あんなに優しく笑ってくれているのに。 

 どうして嫌悪感を覚えているのだろうか、私は……。


「どうしたの、マリカ?」

「え、えっと……!

 あの、もう一人のお姉様の事を思い出すには、これからどうすれば」

「待ちなさい。まだ駄目」

「ど、どうしてですか?」

「…………わからないかもしれない。けれど、マリカが思い出そうとしている記憶は、あなた自身が忘却した、辛い記憶なの。

 私やレンカ……そして彼女の事を忘れる事が、あなたには救いだったの」

「救い? 家族の事を忘れる事が……救い!?」

「もしかしたら、全てを忘れたままの方が……いや、それはもう無理ね。

 思い出さないままの方が、良いのかもしれない……マリカにとっては」

「で、でも思い出さなければ、現実世界には帰れないのでしょう!?」

「そう。永遠に帰れないわ」

「だったら思い出すしかないじゃないですか!」


 思わず感情が高ぶり、身を乗り出していた。

 身体が当たり、テーブルが音を立てた。慌てて浮かした腰を下ろした。

 そこでアルファが、テーブルをコツコツと叩いて注目を集めた。


「エリカ……あまり、こいつを動揺させるような事を言うな」

「あら? 思ったより優しいのね。

 ずっと付き添って、案内して、世話をして。

 アルファ……あなたが一番、マリカを憎んでいると思っていたのに」

「憎んでいるが……今のこいつに何を言っても、覚えてないんだから仕方ないだろ? ――――断罪は、罪を思い出させてからだ」


 罪? 私は、罪を犯したの?

 その瞬間、左手首に切り裂かれたかのような痛みを感じた。

 見てみると……赤い線が増えていた。

 な、なにこれ!? どうして!?

 それは、明らかな切り傷だった。傷はかさぶたで塞がっているものの、熱を持った痛みが治まらなかった。

 私は、救いを求めるように、エリカお姉様やアルファを見た。

 しかし二人とも……冷たい眼差しで、私を見つめるだけだった。

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