その2

これはあくまでも個人的見解です。


出版業界の未来は暗い。


※言葉足らずだったのでつけ足しておくが、出版業界(マンガは除く)としておく。今の出版業界を支えている大黒柱はマンガであり、その割合はあまりにも大きく、日本の文壇は既に風前の灯となっている。


そのため売れる物(ライトノベル)を売って食いつないでいるのだが、だからと言って決してライトノベルは悪ではない。

確かに文壇を低俗化している元凶と言っても過言ではないが、それは一般小説とライトノベルをきっちりと区別しなかった業界が悪いのだ。


小説には作法がある。それを逸脱した物は厳格に弾かれる。

これらは日本に限った訳ではなく、世界的にも通用するルールなのはノーベル文学賞の選考を見ればわかる。日本では文学とされている村上春樹は世界的にはエンターテインメント性が強いためにノーベル文学賞に値しないとされている。もちろん、ノーベル文学賞に関しては文学性の高さを求められるため、一般的な小説ですら入り込む余地はないが、実際、日本の一般的な小説賞に関しても、多くのライトノベルの書式では冒頭数ページで間違いなく、下読みの段階で落とされる。


それに対して、ライトノベルは作法がない(あえて自由とは言わない)。

そのため、読者が楽に読める形式及び内容が取捨選択され、今の形になった。

端的に言うと、

心理描写が少ない、あるいはない。

状況描写が少ない、あるいはない。

セリフが多い。セリフだけでストーリーが追える。

要するに脚本にしか見えないということだ(これらはアニメ化するのに役に立つという、予想外のメリットを生み出してはいる)。

更につけ足すと、登場人物が多い。登場人物が画一的。お約束の展開など。

言い出すと思いの外多くの典型的パターンがあり、逆に考えるとライトノベルほどルールに縛られた分野はないとすら言える。

ライトノベルの様式から外れた時、ライトノベルの読者にそっぽを向かれるほどに。

その意味でライトノベルは存外、狭隘な世界を守り抜いているのだ。


詰まるところ、ライトノベルの作者及び読者と小説の作者及び読者とはまるで異なる立ち位置にいるということを出版業界は気づかなかったのだ。そのため同じ土俵で売り上げを比べてしまい、労力をかけずして売れるライトノベルに傾倒するに至った。

尚且つ、掃いて捨てるほどいるライトノベル作家を育成せず、またその読者達に新たなマーケティングを行わなかった。

本来なら、ライトノベルで取り込んだ若年層又はそれまで小説を読まなかった人達を小説の読者へと移行させねばならなかったのを、自然とそうなるだろうと楽観視した結果、そうはならなかった。完全な見誤りだった。

そして、ライトノベルしか読まない、読めない読者と、誰でも書けるような文章と内容に無数のライトノベル作家志望者を生み出してしまった。

そして、これまでなら普通に売れていたはずの小説が廃れた。


小説を読まない理由の多くは、読みにくい、理解できない、だ。

これでは、日本の文壇の先行きを不安視するしかない。


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