酒場『オアシス亭』1

 ……外はボロボロ、中は安物、酷い店ね。


 看板の字は汚いし、ドアとか普通の家のだし、窓とか壁とか穴空いてるし、中は中で椅子もテーブルもボロボロで、しかも全部バラバラとか信じらんない。埃も目立つし、テーブルクロスはシミだらけだし、床からなんか変なにおいするし、ここって実は豚小屋なんじゃないかしら。


 それで何を出すのかと思ったら、ぼったくりよ。


 コーヒー、紅茶、ケーキ、シチュー、どれもが定価の倍はふっかけてるし、なのに他のテーブルを見る限りじゃ、明らかに安物、やっつけ料理じゃないの。


 唯一の例外はお酒、銘柄こそ安物だけど、それを差し引いても物凄く安くて、二杯目サービスとか女性割引とか都合のいいことばかり書いてる。


 これってつまり、観光に泥酔に、客を煽てて財布のひもを緩めさせて、それでを買わせたいって魂胆見え見えよ。


 やたらと目立つ黄金色のビン、店の中で唯一掃除が行き届いてそうな、カウンター奥の壁際、本当ならお酒の置いてある位置に、これでもかと積み重ねた、たっぷり三十本はありそうな大ビンだ。ラベルが正しいなら全部同じ銘柄のハチミツ、しかも輸入物、これさえも安物とか、救いがないわ。


 まぁ、安い観光地なんて安い観光客しかこないんだから、こんな安物でも良し悪しもわからず満足するんでしょう。実際、店内を見回して見れば、客たちに不満は無さそうだしね。


 真ん中の大きなテーブルにはおばさん観光客たち、周り気にせず大きな声で異国語でおしゃべりしてる。テーブルの上には干し肉干し果物と色々乗っているけど、どれもがメニューに見当たらない品、持ち込んだものとすぐにわかる。マナーのない国から来たようね。


 カウンターにはビッチりと、もうすぐ死にそうな男たちが並んで座っている。見るからに飲み過ぎ、あからさまなアル中、コップを持つ手が震えすぎて中身の半分以上を零しちゃって、それを隣がはつくばっては我先に舐め争うとか、人としての末期だわ。


 そしてそれ以外、あたしも含めた、観光以外できた客たち、人気であたし以外、堅気じゃないとわかる格好してる。


 それぞれのテーブルにグループ毎で陣取り、酒や紅茶やらをちびりちびりと舐める男たち、全員が当たり前のように鎧を着て、武器を傍に置き、こそこそと話しながらも視線は店の入り口へと向けてる。


 わかりやすい。彼らの狙いもあたしと同じ『マミー・ザ・ダイヤモンド』でしょうね。


 だけど彼らが狙うのはダイヤだけ、その奥も知らないような安い連中ばかりよ。本業は追剥、密漁、強盗あたりかしら。結局は半端な腕自慢、ここにいるのも確かな確証があってではないでしょうね。


 この程度なら、あたしの邪魔にこそなっても、あの四百年続いた伝説を仕留められるとは思えないわ。そんな連中、相手するだけ無駄、無駄、無視するに限るわ。目線を送らず、我関せず、ただの観光客に擬態しておきましょ。


 ……ただ、そうなってしまうと、どうしても視線が、相席で向かいに座る、この女へ向いちゃう。


 不快だわ。


 いえ、勝手に不快に思ってるだけで、彼女に落ち度はないわ。


 いえいえ、そんなわけがないわけではないけど、これは明らかに僻みね。


 そう、不快に僻ませるほど、この女、馬鹿みたいに、大きい。


 手入れしないで無造作爆発させてる金髪カールな長い髪、そこらの男よりは肩幅があって、背も高そうで、腕も長く、指も長くて、その上で筋肉も発達している。大柄な女性、そんな事実をぶっ飛ばすほど、でかい、バストサイズ、何よこれ。


 そう、巨乳なのよ。


 陰影できるほどの谷間なのよ。


 つまりはボインボインなのよ。


 それを、私に、見せつけてくる。


 この女、嫌味か、死ね。


 ただ呼吸するだけで揺れて弾む。触らなくてもわかるほど柔らかさ、両腕で抱きしめたら肘より前出るんじゃないかというほど大きくて、ここまでくると、同性のあたしから見ても目がいっちゃう。


 しかも隠す気がなないどころか、見せつけてくる。上半身は最低限に胸を隠せるだけの鉄とそれを止める赤の紐だけで、いわゆるビキニアーマー、加えて首からかけて谷間に鎖で吊るした懐中時計を落としてアクセントにして、そこまでやれば嫌でも目線が胸の中心、谷間に引き寄せられちゃう。


 それに対して顔は童顔、肩まで伸ばしたウェーブのかかった金髪、可愛い顔立ちだけど化粧っけはない。むしろ子供っぽくて、そのランランと輝く緑の瞳でパンケーキを見つめる姿は、大きな子供だ。そんなのがそのひと塊りを大きな口にねじ込んで頬張ってる。


 一噛み一噛み、頬張るごとに目尻が下がり、ニンマリ笑顔で巨乳を揺らして見せて、まー可愛らしいお子様ですこと、あざといわ。


 胸が重い分、頭が軽いのね。はっきり言って時計してたって免許持ってるかも怪しいもんね。


 こんな格好、こんな服装、こんな装備なら、マミー狙いではなさそうだけど、ただそれでも隣の椅子に立て掛けた長い二本の武器、おそらくはサーベルの一対、見た限りは本物の武器、無視はできないわね。


「あーーーおいし」


 ……少し考え過ぎかもしれないわ。


 胸に行ってる分、他は軽くなったんだろう、などと一人、考えてると店主がやっと来た。


「はいよ。コーヒー、ホット、ブラックねー」


「……頂きます」


 しおらしく返事して、白いマグを受け取って、笑顔を見せて、なのにこれを全部無視して、店主は食い入るように向かいのでかい女の胸元を覗き続けてる。


「どうだいねぇちゃん、うちのパンケーキ、悪く名だろ?」


「うん! すっごく美味しい! あ、でももうお紅茶なくなっちゃった」


「おうよ! じゃあお代わりサービスしてやるよ!」


「ほんと! アリガト!」


「いいってことよ!」


 満面の笑み、それからたっぷり見て、未練タラタラでチンタラとカウンターへ戻っていく。


 そして一切あたしを見ない。


 ……男の悲しいさがというやつなんでしょうね。死ねばいい。


 心で思い、でも顔には一切出さず、受け取ったコーヒーを一口啜る。


 ……期待はしてなかったけど、不味いわ、これ。


 緩く、香りはただ焦げ臭く、なのに苦味もなくて、それどころか味が一切しない。本当にコーヒーなのかしら、木炭でもお湯で溶いたんじゃないの?


 と顔をしかめてると、視線を感じる。


 正面、見れば彼女が、私を見てた。


「……苦いでしょ?」


 彼女からの思いがけない言葉に、一瞬戸惑う。けれども、コーヒーと共に表情を飲み込んで見せる。


「いえ、美味しいです」


「ホントに?」


「ホントです」


「でも苦いでしょ?」


「苦い、です。でも大丈夫ですから」


「へぇ。僕って大人なんだね」


 一言に、思わず吹き出しそうになる。


 思わず見返すとこの女、天然、色々アレだが、少なくとも悪意は感じられない。


 なら、本気で、あの一言、なんでしょう。


 ……思わずあたしはあたしの成りを見直す。


 いえ、見なくてもわかってる。そうよ私は幼児体型よ。


 子供の頃から目線の高さは変わってない。服も靴も何年も同じものを愛用できる。この椅子に座るのにだって勢いが必要ほど小さい、これは否定のしようがない事実よ。


 だから当然と言ってはなんですけど、胸も小さくて、これでホビットの血が入ってないなんて自分でも信じられないぐらいだわ。


 そんなだから、傍から見れば、私は子供にしか見えないことでしょう。それはそうよ。認めるわ。


 だけど、あたしは間違いなく、美少女なのよ。


 銀の髪は今回のために肩まで切っちゃったけど、それを差し引いてもシミもホクロもソバカスもない白い肌、青い瞳はぱっちり二重だし、眉も歯並びも整えてあって、スタイルも胸こそないけど細くて引き締まってるし、手足細くて長いし、余分な贅肉だって辛うじて摘めるほどしかない、抜群のプロポーションよ。


 絶世、と自称するほど自惚れてはないけれど、それでも間違いなく私は、百人が百人、美少女と呼ぶ美少女なのよ。


 確かに、服こそ地味な茶色のマントで、あたしの綺麗な部分の大方は隠れちゃってるけど、だからと言って、少なくとも男の子に間違えられるほど芋くさい顔はしてはないのよ。


 それを、この女は、本気で、あたしを、ボクと、そうボクと呼んで、つまりそれって、あたしのことを男の子だと思ってるらしい。


 ……こんなところに絶世の美少女が一人でいれば危ないからあんまり目立たない格好を、とアドバイスされてたから、それに関しては大成功なんでしょうね。


 けど、それでも、こうも自然に言うとは、これは侮辱じゃなくて見る目が無いのね。


 そんな巨乳が『どうしたの?』という表情であたしを覗いてくる。


「どうしたの?」


 本当に訊いてきた。


「お腹痛いの? トイレなら裏みたいだよ。右側が立ちション用だって」


「だまらっしゃい」


 …………思わずでた一言に、場が凍る。


 しまった。下品な言動につい、素が出てしまった。


 まだ本番はこれからだというのに、無意味な争いは好ましくはない。


「あ、いえ」


 取り繕うべく言葉を紡ぐ。


 幸い、なのか、彼女に変化は見えなかった。というよりわかってない顔だ。


 このまま言いくるめないと、と考えてたらドアが開いてまた誰かが入ってきた。


 気まずくて視線を逃し、そちらを見たら……思考なんて全部飛んでしまった。


「あ! あっあ! あれでしょ! あれがさっき言ってたミイラでしょ! 絶対そうだよほらぁ!」


 みんなが思っただろうことを巨乳は大声で喚いた。


 そして、マミー・ザ・ダイヤモンドが入店した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る