巨大な鍋で煮られる白い湯

 十五メートルくらい先で路地は右に折れた。


 左右には黒いレンガでできた高い塀が続いている。


 壁のところどころに門があり、門の隙間から中の民家が見えた。


 民家もやはりレンガ造りで、屋根の突端には鬼神をかたどった瓦が並んでいる。


 こういう古い家は上海では見たことがない。


 エイミーの実家もこんな感じなのだろうか?


 さらに進むと、前に見える門のあたりから異様な匂いがしてきた。


 豚骨ラーメン屋の匂いに似ているが、それだけではない。


 漢方薬のような匂いが混ざった悪臭に近い臭気だ。


 獣臭というか脂の匂いというか、鼻の奥に粘り付くような匂いが伴っている。


 近づいて見ると門の扉は閉まっていた。


 しかし木製の扉には大きな隙間ができていて中は丸見えになっている。


 庭の隅に土を固めて作ったかまどが設置されている。


 かまどの上には中華鍋を大きくしたような形の大鍋があった。


 その鍋の中味を白髪の老人が杵のような太い棒で掻き回していた。


 白く濁った湯が沸騰しているのが見える。


 蒸れるような生臭い匂いはあそこから沸きあがっているようだ。


 かまどの底には大きな穴があり、その中にくべられた太い薪からは勢いよく炎が上がっている。


 かまどの脇には大きなブリキのバケツが並んでいる。


 鍋の大きさから見ても、湯の量から見ても、食事を作っているのではなさそうだ。


 小規模な漢方薬の工場なのかもしれない。


 俺はさらに道の奥に進んだ。


 道の先は突き当りのように見えたが直角に折れて左に続いていた。


 その角を曲がろうとしたとき、路地の先に二人の人影が見えた。


 俺は咄嗟に身を隠して二人の様子をうかがった。


 一人はタバコを吸っている。もう一人は百元札の束を数えていた。


 かなりの大金だ。数万元はある。


 金を数えていた男が立ち去ると、タバコを吸っていた男は門の中に消えた。


 俺は人の気配が完全に消えるまでしばらく様子を見てから、門の前に静かに近づいた。


 門には木製の扉が設置されていたが隙間から中が見えた。


 そこは民家ではなかった。


 すぐ目の前に建物のドアがあり、そのわきに自転車やシャベルなどが置いてある。


 その一角に汚れた板が立てかけられていた。「康福診所」と書いてある。


 ここは康福診所の裏門だ。俺は歩きながら元の地点に近づいていたことになる。


 さっきの大金は何だ?


 こんな小さな診療所でも医療機関の一種だろう。クスリの取引に関係があるのではないか?


 時計を見ると十二時を回っていた。


 俺はそのまま細い路地を歩いて行った。

 すぐに見覚えのある道に出た。この集落に来た時に通った車道だ。


 左を見ると道の脇にオート三輪が停車していた。

 荷台には木箱が載っていてその中にはたくさんの乾燥したキノコが詰まっている。


 運転席にはさっき札束を数えていた男がこちらに背を向けて座っていた。


 肩から布のカバンを下げている。あの中に何万元もの現金が入っているはずだ。


 キノコを運んでいるのは何かをカモフラージュするためだとしか思えない。


 村の男がキノコが入った箱を持ってオート三輪に近づいてきた。


 さっきの男は運転席から降りて箱を受け取り、天秤計りで重さを計って男に札を手渡した。


 キノコを買い取っているらしい。手渡したのは百元札一枚と十元札数枚だ。


 さっきの大金と比べるとあまりにも不釣り合いだ。


 しかしあの様子ではキノコの買い取りがあの男の商売なのは間違いない。


 おそらく表向きの稼業の裏で何か大きなカネが動く仕事をしているのだろう。


 オート三輪が走り去ったので俺は逆の方向に歩いた。


 すぐに僧肉饅頭の看板が見えてきた。


 店の前で肉まんを頬張っている男の表情を見ると案外満足そうだ。


 僧肉饅頭の肉まんはそれなりにうまいのかもしれない。


 永生賓館に戻るとエイミーが待っていた。

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