公衆便所に消えた与沢

 全員が食事を終え、俺たちはそのままアダプターを買いに行くことになった。


 僧肉饅頭の角を左に曲がり、しばらく歩くと、道の向こう側に「恵民市場」という看板が見えてきた。鉄骨の骨組みの上に高い屋根が設置されている。


 市場の入り口のすぐ近くに小さな店があった。


 電球やコードなど、こまごまとした電気製品が並んでいる。


 だが、その店にはアダプターは置いていなかった。


「市場の向こう側にもお店があるから行ってみましょう」


 俺たちは市場の中を通り抜けることにした。


 市場にはジャガイモやニンジンだけでなく、見たこともない野菜も並んでいた。


 スイカも売っている。サイズはバラバラだ。小さいのもあれば大きいのもある。


「大きさが違うけど値段はどうなってるの?」


「重さを計って買うんです。小さいのはだいたい十元くらい」


「十元っていうと、百五十円くらいか。安いな」


「日本のスイカは高いんですよね?」


「ひとつ百五十元くらいかな」


「そんなにするんですか」


 中国人に日本のスイカの値段を話すと大抵は驚くらしい。エイミーも例外ではなかった。


 市場を通り抜けたところで、ポロシャツの男はどこかへ去って行った。


「あの人、何だったんすかね?」


「俺にもわからない」


「ねえ、エイミー、あの人、なにしに来たの?」


「外国人を見たことがないって言うから誘ったんです」


「俺たちのこと、何か言ってた?」


「中国人とあまり変わらないと言ってました」


 それは嘘だろう。藤堂みたいな中国人がこの村にいるわけがない。


 そのまま訳したら、俺たちの気分が悪くなるような感想を言っていたはずだ。


 市場の裏手には確かに電気製品を扱う店があった。エイミーが訊ねてくれたが、アダプターはちょうど売り切れたという返事だった。


「マジかよ。スマホ使えねえのか」


「明日になれば入荷すると言ってます」


「ゲームできねえとヒマすぎて、マジ、生きてる意味が見いだせねえ」


「いったん戻るか?」


「その前にトイレないすかね、我慢の限界来てるし」


「あそこに公衆トイレがありますよ」


 市場の隅にタイル貼りの、それらしき建物があった。


「ちょっと行ってきますわ」


 与沢は小走りにトイレの中に入って行った。


「渋沢さん、昨日の夜、電話しました?」


「確かに俺のスマホから電話したけど、かけたのは与沢だ」


「どうして与沢さんが?」


「与沢と約束してたんだろ。あいつが言ってたぞ」


「何の約束ですか。わたし知りません」


「あいつとどんな約束をしようと俺には関係ない。だが、クスリの手配だけはちゃんとしてくれよ」


「大丈夫です。もう用意して待っていると言ってました」


「与沢が帰らないかぎり、クスリを受け取りに行けないだろう。あいつをどうするつもりだよ。エイミーとセックスするまで帰るつもりないらしいぞ」


「イヤですよ」


「エイミーが約束したんだろう。あいつはそのために来たんだ。何もしないうちに帰るはずがない」


「私、冗談だと思ってました」


「だったら、はっきり断ってくれ。そうすればあいつも諦めて帰るはずだ。気を持たせるようなことをするから、こういうことになるんだ」


「どうすればいいと思いますか?」


「そうだな……

 ホテルに戻る途中で、俺がスイカを買いに市場に戻ると言うから、エイミーは与沢と一緒にホテルに向かってくれ。二人だけになれば、あいつは今晩セックスしようと誘うから、イヤならその時に断ればいい」


「わかりました」


 実際にスイカを買うのも悪くない。田舎の市場で買うスイカの味がどんなものか多少の興味も沸いて来る。


「それにしても、与沢さん、遅いですね」


 確かに、与沢がトイレに消えてから十分以上は経過している。


「見てくるよ」

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