トライゾン・ヒーロー 〜裏切りの勇者、デスゲームで陰から世界を牛耳る〜

一夢 翔

プロローグ

第一話 勇者

 いま眼下に広がる山岳地帯の壮大な景観こそが、この肉体の五感に与える一切の情報だ。


 綿雪のような真白の雲海が視界の端までぎっしりと敷き詰められており、時折山から吹きつける空っ風が鼓膜を強く揺らす。乾いた風の冷たさが敏感に肌を通して伝わり、鼻腔に仄かな自然な香りを運んでくる。肺一杯に大きく息を吸い込めば、空気も澄んでいて美味しい。


 どれも動物として備わったごく普通の感覚だが、それはあくまでも現実世界の場合である。空気や温度、建物や風景、そしてこの肉体ですらも、ここは紛れもない《仮想現実バーチャル・リアリティ》なのだ。


 1960年代にアメリカを発祥とし、これまで人類はVRやAR、MRなど現実世界にサイバースペースの拡張を続けてきた。仕事や教育、医療や娯楽に至るまで、今や日常生活には欠かせない存在となっていた。


 そして今年20XX年、ついにVRの極致とも言える《完全没入フルイマージョン》という革新的な技術により、完全なる仮想世界の実現に成功したのだった。


 そう全ては、日本のイノベーター社が開発した《サイバーリング》によって——。


 俺は、何もない額にそっと手を触れる。


 今頃現実世界では、自室のベッドの上に置いてきた自分の肉体が、幽体離脱したように静かに横たわっていることだろう。額に巻き付けられた華奢な銀環——サイバーリングによって、本来現実の肉体に送られてくる五感の適刺激を回収、さらに脳から筋肉への電気信号を一切遮断し、これらをデジタル信号として情報処理することで、自分たちはこの仮想世界で《自由に生きる》ということを実感できるわけだ。


 自分の意識を、遥か異世界に飛ばす——。


 もはや仮想と現実の区別がつかなくなった人類はこれに飽き足らず、更なる無限の可能性を追い求めてきた。旅行やライブ、スポーツやリハビリテーションなど様々な企業が多岐に渡ってサービスを展開し、今や外出することなく自宅からでも現地へと気軽に足を運べる時代となった。


 中でもいま特に人気を博しているのが、若者たちの間で流行りのVRMMORPGだ。


 サイバーリングが全国の店頭に並んでからというもの、たちまち全世界を席巻したVRMMORPGの先駆けである大人気オンラインゲーム——《ラスト・アルカディア》の正式サービス開始からはや一年の月日が経ち、すでに百万人以上のプレイヤーたちがこの広大な仮想世界で狩りや探索クエストに日夜勤しんでいた。


 数百以上にも及ぶサーバーの中でも最も人口が多いのが、ここ《勇者ブレイブ》だ。トッププレイヤーの一人である望月もちづきせい——至極単純ながら俺のプレイヤーネーム《セイン》は、ゲームスタート時のその場の勢いで即登録したものだ。


 ただひたすらにモンスターを狩って莫大な経験値を稼ぎ、如何にも中二病丸出しの黒剣とブラックレザーコートの武具を後先考えず強化し、誰とも一切戯れることなく孤高のソロプレイヤーとして地道に活動してきた。


 直径数十キロにも及ぶ広大な世界に数多あるダンジョンの中でも、最難関なのがここ《果ての竜谷りゅうこく》だ。道中に出現するモンスターはどれも恐ろしく高レベルのものばかりで、生半可なプレイヤーでは到底太刀打ちできないほどの理不尽な強さである。そう、普通のプレイヤーなら——


「——せあッ!!」


「ギャアアアアアアアアッ!!」


 裂帛れっぱくの気合とともに抜き放った俺の漆黒の剣が、鮮やかな水色の三日月の軌跡を水平に大きく描き、突然上空から急降下してきた《ヘルドラグーン》の強靭な巨躯きょくを豪快に真っ二つにする。敵のたくましい筋繊維を捉えた、確かな手応えを感じる。


《レベルカンスト》——つまりこのゲームの上限であるレベル200と最強装備一式を兼ね備えた自分なら、さすがに余裕とはいかないまでもここ一帯の高レベルモンスターを無理なく蹴散らすことができる。


 肩越しに後ろを振り返ると、ちょうど黒竜の右上に表示されていた横線の青いHPバーを、俺の発動した片手剣上位スキル《オービタル・クレセント》が一ドット余さず喰らい尽くしたところだった。そのまま黒竜は怨嗟めいた断末魔の叫びを上げながら山道に派手に墜落すると、硬質なエフェクト音とともにガラスの破片のようなポリゴンとなって綺麗に四散した。


 さっと剣を払い、俺は左腰の黒鞘に静かに収める。


「……ふう」


 一度大きく息をつき、何事もなかったように再び山道を歩き始める。


 そもそもなぜ俺がこのゲームを始めたのか、その最大の理由——。


 他のプレイヤーたちも皆、それぞれ期待や憧憬しょうけいを抱いてこの異世界にやって来たのだろう。最強プレイヤーとして世界に名を馳せたい者、仲間とともにクエスト攻略に励む者、のんびりと一人で狩りや冒険を楽しみたい者など。


 しかし、そのどれにも自分は当てはまらないのだから、ある意味イレギュラーな存在なのかもしれない。


 勇者——男なら誰しも一度は憧れるであろう、ファンタジー上の魔王を倒す使命を神から担った、伝説の戦士。


 その非現実的な存在に、自分自身がなりたい。そんなことを堂々と人前で口にすれば、まず世間からは笑い物にされるだろう。だが、俺は至って本気だ。ゲームや小説などに出てくる勇者にいくら夢見ても、実際自分がその勇者になれることは決してなかった。


 だから当時、初の完全没入型のVRMMORPGであるLAラスト・アルカディアのベータテスター募集の広告をネット上で偶然見かけた時は、どれだけこの童心がくすぐられたことか。およそ十万人のうちの千人という高倍率の狭き門から見事に当選を果たしたのだから、やはりそれなりに僥倖ぎょうこうだったと言えよう。


 LAの正式サービスが本格的に開始されてからも、俺はすぐにゲームアカウントを作成し、学校以外の時間は寝る間も惜しんで一心不乱にレベリングと武具強化だけを続けてきた。


 その結果、いつしかトッププレイヤーの一人として瞬く間に世界に名が知れ渡り、必然とギルドやコミュニティの勧誘が増えていったが、俺はどれも頑なに断り続けてきた。そんなくだらないものは、無用なしがらみでしかないからだ。仮想はおろか現実まで人との関係をことごとく絶ってきた俺は、気づけば高校に入って一年近く経っても未だに教室で孤立していたのだった。そこまで現実での生活がどうでもよくなってしまうぐらい、このゲームには夢と情熱を日々注いできた。


 そしてLAを始めてから一年が過ぎた今日、念願の勇者に生まれ変わる時がついに来たのだ。このダンジョンの最奥の《転生の祠》にある《聖剣エクスカリバー》を引き抜いた時、その者は勇者として新たな人生を踏み出すことができると言われている。


 転生の祠までのルートは、初めてここに来た時点ですでに把握済みだ。


 最低限のエンカウントでモンスターを倒しながら荒れた山道を数十分ほど歩いたところで、正面にボロボロに朽ちた石の祭壇が見えてくる。途中で道はなくなっており、ここから先はレベルカンストのプレイヤー以外システム上立ち入ることはできない。


 今にも崩れ落ちそうな石段を登ると、俺は祭壇上の円形に切り取られた青い光が湧き出るポータルの中に飛び込む。


「……ん?」


 思わず疑問の声が漏れる。


 いくら待とうと、身体が転送される気配はない。全ての条件は満たしているので、それ以外で考えられる原因は……。


「なんだ……こんな肝心なところで不具合か……?」


 普段は寛容な俺も、これには呆れて嘆息する。


 左手の人差し指と中指をそろえて横に切り、空中に半透明の矩形くけいのメニューウィンドウを呼び出す。オプションのタブをタッチし、GMゲームマスターに怨念を添えて直接クレームを送り付けてやることにする。


 数分後、返ってきたメールは次のような内容だった。


『こんにちは、セイン様。GMのアレスと申します。日頃からLAのサービスをご利用頂きありがとうございます。このたびはシステム不具合のご報告ありがとうございます。お問い合わせ頂いたポータルの不具合の件ですが、現在こちらの方で原因を確認中でございます。大変ご迷惑をおかけ致しますが、原因の確認次第改善させて頂きますので、それまでしばらくお待ち頂けますようお願い申し上げます』


 予想通りの事務的な返信に、俺はがっくりと肩を落とす。


 せっかくここまで苦労して足を運んできたというのに、なんなんだこの酷い仕打ちは……。滅多に人が来ない場所とはいえ、重要なポータルぐらいちゃんと整備しておけよな……と内心でどうしようもなく愚痴を漏らす。


 今日はもうこれ以上進展はなさそうなので、俺は溜め息とともに早々にログアウトボタンを押したのだった。

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