第36話:コーヒーを飲みながら

 そして、手を引っ張りながら向かった先は給湯室。

 光希はパチッと明かりを付けると、慣れた様子で急速加熱ポット『トウィーハル』にペットボトルの水を入れ、スイッチを入れる。

「氷はあるか……? 目を覚ますにはアイスコーヒーが一番だからな」


 光希は冷凍庫の扉を開けて、製氷室のケースを覗き込む。

 氷があったことを確認すると、それをすくってプラスチック製のコップに放り込む。

 光希と楓の二人分だ。

 コーヒーはインスタントのものがあり、複数ある中からカフェイン多めのダークブレンドを選択し、パッパと容器から直接プラスチック製のコップに粉を降り注ぐ。

 氷で味が薄まることを考慮して、少し多めに粉を入れている。

 

「眠いときには、これがあればスッキリするんだ。カフェインしか摂取しないから、太ることもないしな」


 光希は腕を組みながら言う。

 一方、楓はちゃんと目を覚まそうとしているのか、光希は振り向いて確認すると、


「おいっちに、おいっちに……」


 寝るか寝ないかという寸前のところで、楓は体を動かしながら彷徨さまよっていた。


「おーい楓。まだ起きるんだろ? お船を漕ぐには時間が早いんじゃないかー?」


 光希が楓の頬を両手で摘み、ぐに〜っと両手で左右に引っ張る。

 楓は「ふぁ、ふぁ……」と、寝ぼけたまま痛がる様子を見せる。


「…………」


 光希が強く引っ張ると――


「……ふぁぁぁぁぁ!」


 と、声を出して痛がり、

 優しく引っ張ると――


「ふぁぁぁん……」


 と、強く摘んだときとは逆のトーンで声を出す。

「(うわっ……めっちゃ面白い)」


 光希はニヤけながら、楓の顔を使って遊んでいる。

 しかし――


「……ふぁ? ふぃ、ふぃふひふん?」


 遊びすぎたのか、楓の中から睡魔が抜け出してしまったようだ。

 とろんと垂れていた目は大きく開き、頬をつねる光希の方へと楓は視線を向けている。


「ああっ……楓、起きたのか? 寝ぼけているようだったから、外に連れてきたんだけど……!」

「……ふぉほ?」


 つねられたままの楓が言う。


「ああ……といっても、会議室の外だけどな。セキュリティのせいで、エレベーターも非常階段も使うことができないから」


 大体のビルは、夜間の間はセキュリティが著しく強化されるので、関係者の人の出入りでも、不法侵入の可能性と判断されて、警備員が来てしまう場合がある。

 ライファンド・ロンティアビルも例外なく、セキュリティは万全である。


 光希は楓が起きたことを確認すると、楓のほっぺを摘んでいた手をひねりながら離し、楓を変顔から開放させる。


「うぅ……つねられた場所がジンジンして痛い……」


 楓はつねられた場所を両手で抑えながら、涙目で言う。


「悪かったって――でも、眠気は十分に覚めただろ……?」

「ま、まあ……ちょっと荒療法かもしれないけど」


 頬を赤く腫れ上がらせた楓が言う。


「アイスコーヒー、もう出来るから、そこで座って待ってろよ。カフェイン飲んだら、眠気もスッキリするぜ」

「う、うん……」


 楓は答えると、給湯室の隅においてある丸椅子へと腰を下ろす。

 光希は水を熱湯に覚醒させたトウィーハルの容器を手に取り、プラスチックのコップへとお湯を注ぐ。

 二人分のコップにお湯を注ぐと、一瞬だけ上がった湯気によって、給湯室の中にコーヒーの香りが広がっていく。


「はい、どうぞ」

「うん、ありがとう……」


 光希から手渡されたコップを手に取り、楓は一口アイスコーヒーを口にする。


「うわっ……苦いっ! ちょっと光希くん、これ粉多すぎじゃない!?」


 渋い表情を見せながら楓は言うも――


「夜中に目を覚ますには、これくらいが丁度いいんだって。苦いほど、カフェインが強いんだからさ」


 と楓に言い、自らも濃く調整したアイスコーヒーを口にして「くぅ〜」と悶絶した表情で、その苦味を堪能する。


 ………

 ……

 …


 十分後――


「光希くんって、こういうやり方でいつも徹夜をしているんだね」

「ワイルドって感じだろ?」

「ワイルドっていうか……なんか雑」


 激苦コーヒーを完飲したコップを手に持ったまま話す楓。


「まあ、口の中めっちゃひりひりするけど、目は覚めただろ?」

「……確かに、覚めたけどさ」


 脳の中で在住していた眠気が、一斉に引っ越しをしてしまった影響で、先程まであと少しで寝てしまう状態だった楓の脳は、HP満タン覚醒状態にまで回復しきっている。

 目は赤いのに、全然眠くないという状態だ。


「――ところで光希くん」

「ん? どうした、楓?」


 光希が激苦コーヒーにまだ苦しんでいる最中に、楓がボソッと呟き光希に話しかける。


「光希くんってさ、いつからフリーランスになったの?」

「……何だよ? やぶから棒に」


 突然の質問に、思わずキョトンとする光希。


「いや……なんというか、深夜テンション特有の質問と言うか……最近、光希くんと二人っきりで話す機会ってなかなか無いから、訊いてみたいなぁ……って思って」

「ああ……そういうこと」


 楓はもじもじとした仕草をしながら光希に言う。


「別に、面白いことなんて何一つ無いけど……いいのか?」

「ううん、いいの。だって、私のエピソードだって、別に面白くなかったでしょ? おあいこだよ」


 楓は苦笑いしながら言うと――


「ああ、そうだったな……」


 と、楓の言葉に笑って返す。

 そうして光希は数秒間目を閉じながら過去の出来事を引き起こし、ゆっくりと言葉を語り始める。


 ………

 ……

 …

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