第13話:楓の特技は

十三時三十分 喫茶店 鈴蘭の里


「……その、先程は取り乱してしまい、すみませんでした」


 まだ少しだけ目が赤いままに、楓が三人に向かって頭を下げる。


「ううん、気にしないで。大変だったもんね」


 咲は楓に優しい声で答える。


「そうだよ楓ちゃん。まだ若いんだから、我慢しなくて良いんだよっ!」


 進も大きな声で楓に言う。


「…………」


 光希は何も語らずに、楓の姿をただじっと見つめている。


「その、ありがとうございます。さっきあったばかりなのに、ここまで良くしてくれて……」


 鼻を赤くしながらも、笑顔で楓は言う。


「全く……こんなに可愛くて素直な子を泣かせるなんて、畜生な◯◆%企業ね。友達の弁護士にお願いしてぶっ潰して貰おうかしら」


 咲は、はぁ〜とため息をつきながら言う。


「咲ちゃん……相変わらず発想がぶっちぎり過ぎて怖いよ」


 そんな咲の姿を見て、進は背筋を震わせる。


「……それにしても、楓ちゃんが苦労していたのが分かった以上、次の仕事を探すのにも、十分慎重にならないといけないわね」


 咲は真面目な表情で言う。


「……そうだねぇ。こんなに良い子なんだし、出来れば幸せになってもらいたいもんねぇ……」


 進もあごに手を当てて、うーんと悩んでいる。

 すると――


「……咲さん、進さん」


 先程から黙り続けていた光希が突然口を開けて、咲と進に声をかける。


「どうした光希? 何か良い案でも浮かんだのか?」


 進が光希に問いかける。


「そんなに派遣社員で事務の仕事が辛いなら、彼女も俺みたいにフリーランスになっちゃえば良いんじゃないですかね?」


 進の言葉に、光希はそう言葉を返す。


「えっ……私が、フリーランス……?」


 突然の光希の提案に驚き、楓はぽかんとした表情をしている。


「だって派遣社員で先行き見えない上に、事務の仕事でも人間関係が良好だった試しが無いんだろ? そんなの全然楽しくないじゃん」

「えっと……それは、はい。そうですけど……」


 迫ってくる光希にたじろぐ楓。


「それとも、嫌な思いをするのが趣味だったり……? もしかして、ドM?」

「そ、そんな事ありませんっ……! 私は普通ですっ!」


 両手を振り、顔を赤くしながら、楓は光希にドMであることを否定する。

 そんな楓の表情を見て、安心した光希は――


「なら、我慢したところで仕事に希望なんて降ってくるわけないんだから、さっさと撤退しちゃおうぜ」


 楓に、今の仕事を辞めるように提案をした。

 とても軽く、そしてあっさりとしたノリで。


「で、でも……フリーランスってそんなにあっさりなれるものなのっ!?」


 楓が光希に質問をする。


「なれるも何も、フリーランスって自営業みたいなものだからな。自分がフリーランスになりますって宣言した時点で、お前はもうフリーランスになっているんだよ」

「自分から……宣言……?」

「ああ、別にそんなに難しいものではないよ」


 光希は笑いながら言う。


「で、でも……自分で仕事を確保しなくちゃいけないんでしょ? 私、そんな仕事をもらうような人なんて知らないよ」

「ん? いや、別に人脈が無くたって、俺がさっき見ていたようなフリーランスの紹介サイトから仕事を探せば良いんだよ。難しいことじゃない」

「あ……そう言えば、さっき見ていたよね」


 楓は光希のタブレットを再び手に取ると、最後に見ていた画面の求人サイトをもう一度見直す。

 そこには、事務員の楓には全く縁がなかったような、現在のサービスとして求められるようなホームページやアプリの求人が山ほど書かれていた。


「やっぱりすごい……面白そうな求人ばっかり」

「だろ? ただ庶務をやるのと、どっちが面白そう?」

「それはもちろん、こっちだよっ!」


 楓は光希のタブレットを、先程よりも更にツンツンツンツンと爪で強く叩く。

 それはまるで、過去のゲーム業界の英雄としてたたえられていた連打が得意な名人の程に、楓のツンツンは強く、早く、たくましかった。


「わ、わ、分かった。分かったから……俺の買ったばかりのタブレットに爪痕を残さないで……マジで壊れそう……」

「ふふ……ごめんなさい。つい興奮しちゃって」


 

 咲は、たじたじとしている光希にタブレットを返し、微笑みながら謝罪する。


「ま、まあ……フリーランスに興味を持ってくれたのは嬉しかったからさ……許すっちゃ許すよ」


 そう言いつつ、画面を斜めから光を当ててみて、爪の跡が残っていないか入念に確認をする光希。

 画面が壊れていないか、目を凝らしながら確認している。


「おいおい光希。たかがタブレット一枚がなんだよ。稼いでんだから、壊れたら、また買えばいいだろ?」

「いやいや……俺のケチな性格知っているでしょ進さん。モノは全力で大切にしたいんですよぉ……」


 進の問いかけに、少し涙目になりながら答える光希。

 息をふー、と画面に吹き付けて、跡になっていそうな場所を入念にハンカチで磨く。

 そんな必死の作業をしている光希


「全く、光希は相変わらず神経質だな。いつかはモノなんてぶっ壊れるんだから、無理にきれいな状況を維持する必要もないっていうのに」


 そう進は言う。


「ねえ楓ちゃん、光希くんに見せてもらった中で、どんな求人に興味もったの? 私にも教えてよ」

「あ、さっき面白そうって言っていたものについてですか?」

「そうそう、楓ちゃんがどんなものが好きか知りたくって……」


 咲が楓に対し、質問をする。


「えっとですね……私が興味を持ったのは、ソーシャルゲームのデザイナーの仕事です」

「へぇ……ソシャゲのデザイナー? どうして面白そうって思ったの?」


 更に咲が質問をする。


「私、昔からゲームをやることが好きでしたので、ゲームの仕事っていうものに憧れを抱いていたんです」

「ふぅん……なるほどねぇ……」


 咲は納得したように答えるが――


「でも、企画職じゃなくてデザイナーなのは、ちょっと想定外だった。ずっと事務職だったし、絵を描くってことに縁がないものだと勝手に思っていたし」

「確かに、絵に興味があるって話をしたのは今が初めてですからね」


 楓はそう言うと、リクルートカバンの中からスケッチブックを取り出して、中の絵を楓と進に向けて見せる。


「へぇ……」

「これは……なかなか……」


 進と咲は、楓のスケッチブックの絵を見て、思わず声を出して感嘆した。


「あっ、俺もその絵を見たい。見せてっ!」


 タブレットの爪の跡を消すことを諦めた光希が、進と咲の間に入り込み、楓のスケッチブックに描かれた絵を見る。


 そして――


「わぁ……すっげー綺麗……」


 光希もまた、楓の絵を見て感嘆したのだ。


「ふふふ……お粗末さまです」


 絵を見た三人のリアクションを見て、楓は満足そうにそう言った。


 三人が見てすぐに感動してしまった楓の絵――

 そこには、海中を自由に泳ぎ回るイルカたちの絵が、水墨画で描かれていたのだ。


 タイトルには『自由を得た悠久の生き物』と達筆に書かれており、絵に描かれたイルカたちが、まるで自由に世界の海を泳ぎ回ることを楽しんでいる姿が特徴。

 水墨画という、あえてリアリティから乖離したコンセプトで描かれたその絵は、社会という呪縛に拘束されない、人間ではない生き物たちの悦びを描いたものだと楓は言う。


 派遣社員で勤務中、苦しいことがあったときには、楓は必ずこの絵を見ていた。

 自分がたとえ自由でなかったとしても、紙に描かれた生き物たちを、私は自由にしてあげられると――


 この社会には、きっと希望が残っているのだと信じるために――と。


 三人は、しばらくその絵をじっと見続けていた。

 そして誓った。


 こんな心が綺麗でないと描けない絵を描ける楓を、絶対に救ってあげよう――と。

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