第4話

佳子  

「申し訳ないんですけど、覚えていません…」



がーん。悲しくて、胸が落ちる。

うーん、でも、そりゃ、そうだわな。

僕が一方的に好きだっただけなんだから。



しかし、僕はあきらない。

あきらめてなるものか。

僕は覚えているエピソードを

次々と話しはじめた。



粘ること数分間。



僕 「あの、私、一番前の席にいつも座っていて・・・」



そこで、佳子さんが

不思議な間合いで黙った。


いまだ、ここだ。

僕は、たたみかけるように話した。



僕 「授業前にいつも、僕の隣に座ってくれて、ノート見てくれましたよね!」



僕はいつも、チューターの佳子さんが勉強を見に、

隣の席に座ってくれる瞬間が、ものすごく、ものすごく楽しみだった。


かすかに薫る、ものすごくいい匂い。

その一瞬のために、僕は隣の席に絶対に誰も座らないよう荷物を置いたりしていた。

ほんとに、しょうもない高校生だった。



佳子 「ああー・・・少し思い出した」


僕は、ほっとした。

よかった、佳子さんが思い出してくれた。



それから、ぽつりぽつりと、いろいろな話が出てきた。

まだ、川水からわずかな砂金をすくい出すような、ぽつりぽつりとした話だった。


しかし、どんな川水も、ぽつりぽつりとした雨から、すべては始まる。

やがてこれが、大きなうねりをもたらす大河の一滴になるかもしれない。

僕はそう信じて、珍しく、めんどくさくも、丁寧に、熱っぽく話を進めた。



そしてしばらく話すと、佳子さんも少し打ち解けた。

僕は、すっかりうれしくなっていた。


女の子に話をするなんて、聞くなんて、めんどくさいだけだったのにな。

なんでこんなに心地いいのだろう。僕はよくわからなかった。


そんなわからなくなっている僕の、不意を突くように、

佳子さんは、さらにうれしいことを言ってくれた。


佳子 「じゃあ、せっかくだから、手帳返すついでにお茶でもしようか。」

僕  「ええ!いいんですか!!

   えっと、そしたら、あの、代々木のバーガーでお願いします!」

佳子 「ええ!?」


代々木のバーガーというのは、

予備校のそばにある、とても古いハンバーガー専門店のことだ。

僕はそこで、佳子さんとデートをするのを、いつも妄想していた。


その夢をかなえるチャンスが、はるか23年も経ってから、やってきたのだ。


もちろん、最初に彼女が名乗ったとおり、

名字が変わっているということは結婚しているということなので

デートではないけれども、まあ、それはともかくとして、

昔ずっと夢だったことが、どんな形であれ、かなうのはとてもうれしいことだった。



僕 「僕、佳子さんと、代々木のバーガーで会うのが夢だったんで」

佳子「そうなんだ(笑)子供だねえ(笑)」


笑われたが、僕はまったくかまわなかった。

そして日時を約束して、電話は切れそうになった。



佳子「あ、そうだ。私ブログやってるの。

   『佳子 クールジャパン』で検索してみて」

僕 「そうなんですか!見てみます!ありがとうございました!」



これで電話は終わった。

でも、何かすごいことの始まりのような気がした。


うほほーい。うれしくて、胸が鳴る。

こんなことがあるんだなあ。僕はこの幸運に、有頂天だった。



すると、玄関でガチャリと鍵の音がした。


みわちゃんだ。


僕は、いつもの心の切り換えをせずに玄関に向かった。

だって、気持ちがプラスなんだから。熱いんだから。

いつ以来だろう、この感覚。



僕  「おかえりっ」

みわ 「ただいまー もう新年会なのにタラタラタラタラ愚痴る奴がいてさー

    うるさいんだよねー あたし関係ないのにー」



みわちゃんは僕の気持ちの切り換えなしなんて、まったく気づいていない。

当たり前か。

そして、みわちゃん得意の、どうでもいい愚痴が始まった。

これ、始まると長いんだよな。


でも、今の僕はその愚痴がまるで昔の歌謡曲を聴くように

するすると耳に入ってきた。



僕  「大変だったね」

みわ 「そーなのよ だって新年会なのに」



また同じ話が始まった。

みわちゃん、同じことを繰り返し繰り返し、よくしゃべるねえ。


でも、それでもいいや。この夜の僕は、かつてないほど寛容だった。

ひとしきり話が終わった。


僕  「あ、じゃあ、お風呂行ってくれば」

みわ 「ありがと」


僕は、みわちゃんを早く風呂に送り出して一人になりたかった。



しかし、ふいに、みわちゃんが止まって、振り返った。


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