第36話 女神ヒナの特訓開始

 各部位を繋いでいる魔力を帯びたチェーンが伸び、それぞれの間隔を大きく広げている。

 そしてまるでゴムで引っ張ったかのように、其々の動きに反発し合い忙しく動き回る六節の棒。その速度は次第に増していき、目に見えぬ程にまで達した。


「終わりです! 流星棍!」


 目にもとまらぬ速度で四方八方から襲い掛かる六節の棒。

 ヒナは避ける事も出来ず、どうにか急所をガードするだけで精一杯である。


「やはりタフですね。これで最後です!」


 暴れまわっていた棒がガライさんの頭上に弧を描いた。


「奥義、龍殺棍!」


 辛うじて身を捻ってそれを躱そうとしたヒナであったが、ガライさんの奥義は一撃必殺という種類の物ではない。蛇のようにうねり、攻撃を避けようとしたヒナを追う。そして、ついにヒナを捉えた。


 それを確認した俺は、小さく独りごちる。


「勝負あったか」


 俺がそう漏らすのと同時に、ヒナを捕捉したガライさんの武器はぐるぐるとヒナに巻き付いていく。六節の棒と、魔力を帯びたチェーン。それらが得物を締め付ける大蛇のようにヒナの身体に巻き付いたのだ。


「この……程度……」


 ヒナはどうにか力任せに振りほどこうとするが、もがけどもがけど、絡まる六節棍が体の自由を奪っていくだけである。


 俺はクイ目配せした。

 クイは直ぐに気付き、右手を大きく上げて言葉を発する。


「はいはいそこまでー! おしまい!」


 その声に、ガライさんはすぐさまヒナを解放して武器を収めた。

 クイが両手を広げる。


「元通りにします! 練習おわり、ぴっかり~ん!」


 頭上を覆っていたドームが消え去り、それと同時にヒナのダメージが回復する。

 俺はヒナに駆け寄った。


「大丈夫か?」

「……」


 流星棍で受けたダメージは跡形もなく消え去り、締め付けられていた傷も綺麗さっぱりなくなっている。


「傷は残ってないな。痛みはないか?」

「……」


 ちょっとやり過ぎただろうか。

 今更反省しても仕方がないのだが、これは敢えて狙った状態とも言える。

 どうにも自分の能力を過信するヒナに、別の世界ではこの程度の実力しか出せない事を痛烈に体験してもらいたかったのだ。


 そうしなければ、この子はきっと無茶をする。

 相手がガライさんだったからいいようなものの、見知らぬ世界の見知らぬ相手であったらこの程度では済まない。


 へたり込んだまま動かないヒナの肩に手を置き、励ますように声をかける。


「ヒナも凄かったぞ。あのガライさんを――

「カミノイ!」


 俺の言葉をヒナが遮った。


「ん?」

「どうしよう」


 そう問いかけてくるヒナが、口をへの字に曲げて言葉を続けた。


「これじゃあ、カミノイを守れない。こんなんじゃ守れない。どうしよう」


 そして両目から涙を流し、俺に縋りつくようにして肩を震わせた。


「大丈夫。そのためにここに来たんだ。修行しよう。特訓して強くなろう。時間は短いが、やるとのやらないのとでは大違いだ」


 俺を守れるかどうかもそうかもしれないが、ヒナには今の敗北が余程悔しいのだろう。

 俺の言葉に黙って頷きながら、声を殺して泣いていた。

 然程長い付き合いとは言えないが、ヒナが泣く姿を見るのは初めてである。

 四方田くんの魂を喰らい、実体を持ち、感情という物を手に入れた彼女には、これからも多くの困難が立ちはだかるだろう。


 まだ日も高い午後。

 落ち着きを取り戻したヒナを宿の部屋に送り届け、その宿の食堂で、俺はガライさんとテーブルを挟んで酒を酌み交わす。

 昼間から贅沢な話ではあるが、ガライさんとこうして話す機会はそうある事ではない。かつてこの世界を救った時、俺はまだ酒など飲めやしなかった。だからこそである。


「ガライさんは衰えませんね。寧ろ以前よりも冴えている感じがしましたよ」

「いやはや、ケイタ様の頼みとは言え、女神をあそこまで追い詰めるのは気が引けました」


 苦笑するガライさんに小さく頭を下げ、俺はお礼を述べてから箸を手にした。

 運ばれてくる料理の中にはこの世界独特の物もあり、俺はそれを懐かしく思いながらゆっくりと味わう。

 そして、ガライさんにヒナの修行を付けてもらうべく、頼み込む。


「俺の住む世界には、剣も魔法も殆どありません。そんな場所で実体を持つ女神として生きるヒナは、圧倒的な存在なのです」


 故に自信過剰になり、傲慢になり、いつか大怪我をする事になるだろう。


「ですが世界は広い。と言いますか、異世界は多い。ヒナが力を発揮出来ない場所には、ヒナ以上の実力を持った者など無数に存在している。手も足も出ない相手もいる。それを、手遅れになる前に身体で感じてもらいたかったんです」


 俺の言葉に、ガライさんはゆっくり頷いて同意を示してくれた。


「そうですな。ケイタ様やアスナ、キャスやレモントリーが相手では……あの女神、心が再起不能になるでしょう。私が相手をするくらいが丁度いい」


 言葉を終えると、葡萄酒の入った木製のジョッキを豪快に煽る。


「二日ほど面倒を見てもらえませんか? その間、俺はキャスの所へ行ってくるつもりです」

「二日……いいでしょう。出来る限りの事は叩き込んでおきます」


 俺は左手に持ったガラス製のグラスを口元へ運ぶ。

 この地方名産のブーレポという名の麦酒。ビールとも焼酎とも違うそれは、恐らくこの世界でしか味わう事の出来ない代物だろう。正直あまり美味しくはないのだが、折角だからとこれを選んだので後悔はない。


「ガライさん、ヒナは何でも吸収が早い。その事は覚えておいて下さい」

「畏まりました。では夕方から早速始めましょう。ところでケイタ様、ボルードには行かないのですか?」


 ボルードとは、この地方のずっと北にある港町だ。

 俺がこの世界を救った時のヒロイン、アスナが住む町。

 馬車に揺られても丸一日、歩けば二日や三日はかかる距離であり、今の俺にはそこへ行くだけの余裕がない。


「流石に遠いですからね。それは時間のある時にしますよ」

「そうですか。あれからパーティーのメンバーには会っているのですか?」


 この世界から立ち去ったあの日から、俺は魔王討伐のメンバーと会っていない。

 俺だけ別の世界で生きている事が不安なのだ。会ってしまえばどうと言う事ものないのだろうが、どうしてもそんな気にはなれなかった。


「いえ。俺はもうこの世界から立ち去った人間です。こうして機会を得て再会できるのは嬉しい事ですが、出来る事なら今の生活を邪魔したくないんです」


 今の俺の言葉は、自意識過剰だろう。

 妙に含みのある表現になってしまったわけだが、それをガライさんが察してくれたので良しとしよう。


「なるほど。アスナとレモントリーの事はご存知でしたか」

「はい。戦闘の勘を取り戻すための相手ならばキャスが打って付けですし、何も態々ボルードまで行く必要もありません」


 キャス。

 俺やアスナやレモントリーと共に魔王討伐に尽力してくれた、可愛い猫耳が特徴の獣人族の少女。

 高い格闘技術を有していながらも、高度な治癒魔法を使いこなす天才肌。

 獣人族の身体能力を活かした躍動感溢れる戦闘スタイルは、素早さを主体としたレモントリーや、一子相伝の見事な技を主体としたアスナとも異なる。優れた汎用性と柔軟な対応力を以て、俺たちパーティーの危機を何度も救ってくれた少女だ。


「ガライさん、それでは宜しくお願いします」


 ガライさんが無言で頷くのを確認し、席を立ち、カウンターの方へ視線を向ける。

 そこには真っ白い髪の赤いパーカーがいた。


「ヒナ、強くなれ」


 一言だけを残して宿を出ようとする俺に、ヒナはギリギリ聞こえる程度の声で返事を届けてくれた。


「言われなくてもそうする」


 そこに秘められた決意の程を知る由はないが、ヒナなりの想いが込められた言葉に聞こえた。


 俺は背中で手を振って、宿を後にする。

 向かう先は、以前女神ウルイナスと戦ったあの場所から、更に山中へ分け入った場所。獣人族の住まう村だ。


 村の出口でクイと挨拶を交わし、ひとつ気合いを入れる。


「よし、走るか」


 たまの週末に申し訳程度のジム通い。

 その他にこれといった運動はしてない。

 なまりきったこの身体を、少しは虐めておかなければならない。


 女神ヘステルの世界で何があるかわからない。出来ればバトルは避けたいが、何分相手のある事だ。出来る限りの準備はしておこうと思う。

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