忠興は、わずかな供回りの者に珠への土産を持たせ、馬を駆って山へ入った。九十九折りの猟師道を行くうちに、景色は次第に白く覆われる。今は降り止んでいるが、雪化粧である。


 丹後の山の奥深くに抱かれた味土野の屋敷は、内湾に面した宮津城よりもずっと寒い。珠がこの冷え込みに体を損ねなければよいが、と忠興は案じる。土産は綿入れだ。贅沢な布地を使っている。珠の白い肌に似合う、鮮やかな織り柄のからくれないの錦だ。


 蜀紅の錦といえば、忠興は信長を思い出す。


 華やいだ色や模様を好んだ信長は、去年の御馬揃えで蜀紅の錦の小袖をまとっていた。あれは忠興が京都中を探してようやく見付けた逸品である。


 御館様のお気に召すに違いない、と忠興は逸る心で献上した。果たして、信長は終生の晴れ舞台の一つに数えられる御馬揃えで、忠興の贈った錦の小袖を身に付けたのである。


「与一郎、おぬしは趣味が悪い。儂と趣味が合うのだからな」


 南蛮渡来のぎらぎらと輝く胴鎧を着けて、信長は楽しげに笑った。気迫に満ちたまなざしは、まっすぐに忠興を見つめていた。


 忠興は喜びに心が震え、恐れ入りますと声を上げて平伏した。己の脇差に縫い取った九曜紋が目に入った。


 九曜紋もまた、忠興と信長を繋ぐものだ。忠興が初陣を経験した十五の頃、信長の脇差に入った九曜紋のさり気なくも洒落た意匠に心を惹かれた。それをちらりと口にしたら、信長はおもしろがる風で「家紋にでも使え」と九曜紋を下賜したのだ。


「与一郎、舞は何を舞うのだ?」


 唐突に信長に問われ、忠興はとっさに答えられなかった。舞えと言われれば何でも舞う。芸能の類は一通りたしなんでいる忠興である。御館様は、と問い返した。信長は短く答えた。


「敦盛」


 信長は、突き抜けるようによく通る声で、敦盛の一節を口ずさんだ。人の世の五十年は化天界では一瞬に過ぎぬ、つまり人の世など儚く流れ去る夢幻と相違ないのだ、と謳う一節である。


「儂の五十年さえ、ただ一瞬のうちに滅びる夢。なればこそ、閃光のごとくはげしく、派手に滅んでくれよう」


 にやりと笑ってみせた信長は、そして華々しい死を遂げた。数え年四十九の六月、暁の星をも焦がす業火の中、骨をも残さず燃え尽きたのだ。聞けば、火薬を収めた蔵に炎が回り、爆発音とともに猛烈な火勢が本能寺を包んだという。


 派手を好んだ御館様らしい、と忠興は心酔した。俺も死ぬときは派手に逝きたい。歴史に名を刻むほどの大舞台で死にたい。願わくは、この猛々しさと秀麗さを保っているうちに。


 ゆえに、いち早く功を立てねばならぬ、と思う。己のほまれを継ぎうる子を残しておかねば、とも思う。父のように醜く老い、枯れていくような生き恥はさらしたくない。


 それは珠に於いても言える。忠興は珠を殺したい。美しい姿のままで死なせたい。珠が最も美しい姿になる瞬間は、忠興だけが知っている。

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