氷河のハロウィンパーティー

「ここが第二地獄よ」


 安土城の天守閣から伸びるガラスの階段を登り、たどり着いたのは、一面青で彩られた氷河地帯であった。


「ここはヴァトナヨークトル氷河。アイスランドに存在する大氷河洞窟よ」


 階段を登りながら、うっすらと感じていた冷気が一層強くなる。

 大きく開けた場所には、そのすべてが氷でできたリングがあった。


「観客は私のみ。上空にはオーロラのカーテン」


「令嬢パワーがなければ凍死していますわね」


 どこまでも広がる青は、気温も合わさればとても冷たく感じるものである。

 周囲を見渡し、壁に何か掘られているのに気づく。


「これは……カボチャですの?」


 氷でできた大量のカボチャであった。

 まるでハロウィンのカボチャのように目と口を掘られている。

 そこで天から光とともに令嬢がリングへと降り立った。


「ようこそ、美しいレディ。私はジャック・オー・ランタン」


 氷河に負けないほど冷たい印象を受ける青い髪。

 整えられた短髪に、マグマのように赤い瞳。

 そしてなにより、男性の貴族が着るような黒い服装をしている。


「ごきげんよう、悪役令嬢ローズマリーですわ。貴女は男性……いえ、令嬢パワーを感じますわ」


「もともとそういう服を好む令嬢よ。それが後世に伝わる過程で男性そのものに変えられた。令嬢の歴史は奥深いわね」


 令嬢界の歴史は奥深い。

 人類の歴史と密接な関係でありながら、より真実に近いのである。

 面白半分に歪曲されていたり、過酷で非常識な真実は隠され、令嬢史にのみ記録されていく。


「私が相手では不満かな?」


「まさか。隠しきれない令嬢パワー、相手にとって不足なしですわ!」


 本日二度目の令嬢ファイトの幕が上がった。

 即座に懐に入り込み、短期決戦を狙うローズマリー。

 冷気を突破するため、右手に闘気の熱を凝縮し、暗黒闘気が燃え上がる。


「シャドウレディフィンガー!」


 ジャックの胸に突き刺さるその手は、瞬く間に氷像を溶かす。


「偽物!?」


「闘気は凍気。お見せしよう、絶対零度の世界を。フリージングフィンガー!」


 氷を纏い、ジャックの手がローズマリーを襲う。

 反射的に正面で両腕を交差し、これをガード。

 急速に両腕が凍りついていく。


「これは……令嬢パワーが……吸い取られる……っ!?」


「氷像として、この静寂と冷気の世界に飾ってあげよう。ローズマリー」


「そうは……いきませんわよ!!」


 令嬢パワーを両腕に集中。熱放射により急速に溶かしながら距離を取る。

 鍛え上げられ、研ぎ澄まされた令嬢としての勘と胆力が為せる技であった。


「そうこなくっちゃあ面白くない。素敵なファイトになりそうだ」


「ご期待以上のファイトをお届けいたしますわ! ダーク婚約破棄トルネード!」


 漆黒の旋風が吹き荒れる。

 だがそれは視界を悪くし、風により冷気が巻き上がるということにほかならない。


「愚かな。リングによってファイトスタイルは変えるべきだよ。それがフェイバリットホールドであってもね」


 徐々に竜巻が凍りついていく。

 ジャックの令嬢パワーは会場の有利も合わさり圧倒的なものとなっていた。


「そんな……こんな破られ方をするなんて」


 凍りついていく竜巻にヒビが入り、突然氷のカボチャがローズマリーを襲う。

 口は牙のように鋭く、その目は笑みで歪んでいた。

 まさにハロウィンのカボチャが命を持ったようである。


「なっ、なんですの!?」


 驚きながらも令嬢ハイ・ローキックの連打で砕き、赤バラの茨で周囲を一掃する。


「やるじゃないか。悪役令嬢のエース。その名は伊達ではないようだ」


 壁の氷カボチャに令嬢パワーを入れ、自在に操るジャック。

 これが環境を利用した令嬢奥義である。


「このカボチャたちは私の令嬢凍気。相手の闘気を奪い取り、氷のリングは体温を奪う。長引けば長引くほど、私の有利は確固たるものになっていく」


 ただでさえ濃姫とのバトルの疲れが回復しきっていない。

 追い打ちをかけるようにカボチャの数は増えていく。


「トリック・オア・トリートってね。まあいたずらでは済まないレベルだけれど」


「それでも、負けるわけには参りませんの。もってくださいまし、わたくしの令嬢パワー!!」


 両腕に闘気を纏い、天高く飛ぶローズマリー。

 その姿は美しく空を舞う蝶のようであった。


「優雅だね。だがいつまでカボチャの群れを避けられるかな?」


「もうじきその必要もなくなりますわ」


 茨がカボチャ郡を包み、オーラの羽が固定する。

 リングにすっぽりと入るほどの氷塊が完成した。


「しまった! これが狙いか!!」


「令嬢胡蝶落下!!」


 急速落下してくる茨混じりの氷塊は、それだけでとてつもない質量になる。

 だがそこはジャック。ただでやられる令嬢ではない。


「氷柱よ! 私を守れ!!」


 無数の氷柱が氷の落下を防ぐものの、支えきれずにヒビが入り、次々と砕け散っていく。

 だがジャックにとっては時間さえ稼げばいいのである。

 リングも、ローズマリーが落とそうとしている氷も、その全てがジャックの闘気に侵食されていく。


「ううっ……力が……抜けて……」


「終わりだ。氷で私に勝とうという発想が甘いのだよ」


「まだですわ……まだ……諦めませんわよ! 極限を超えて高まり続けなさい! わたくしの令嬢パワー!!」


 洞窟全体に、真紅のオーラが溢れ出す。

 みるみるうちに氷を溶かし、氷のリングに雨が降る。


「素晴らしい闘気だ。だがここまで。さらばローズマリー! 氷河爆砕!!」


 カボチャはジャックの令嬢パワーが入っている。

 パワーを暴走させれば爆弾になるということだ。


「きゃああぁぁぁ!?」


 氷の破片が令嬢パワーつきで襲いかかる。

 両腕と熱した闘気で防ぎきれるものではなく、ドレスと体を斬り裂いていく。


「少しでも傷を減らす!!」


 熱気は氷と混ざり、さらに蒸気を発していく。

 溶ける氷の雨は更に強まり、リングを濡らし続けた。


「次に君が落ちてきたその時、それが令嬢人生の終わる時だ。ローズマリー」


「ダーク婚約破棄トルネード……ダブル!!」


 両手から吹き出す黒い風が、左右に飛び回り氷河を砕く。


「今更壁のカボチャを消そうというのかい? もう少し賢いと思っていたよ」


「これで準備は整いましたわ。先程のセリフ、全てまるっとお返し致します!!」


 全令嬢パワーを使用し、一気にジャックへと迫る。


「左右でタイフーンを逆回転。真空のロードを作り、腕に令嬢パワーで作った真紅の茨。お受けなさい。悪役令嬢新奥義!」


「ふん、そんな大振りな技に……これは!?」


 ジャックの動きが止まる。止められてしまう。

 溶け落ちた氷がリングを濡らし、氷の雨が固まり、ジャックの体を固定したのである。

 ローズマリーの目的は、最初からこの瞬間にあった。

 このために氷塊を上空でまとめ、その後もトルネードで壁を削り、少しでも部屋の温度を下げていたのである。


「真紅の血の花を咲かせなさい。クリムゾン・ガーデン!!」


「うああああぁぁぁぁぁ!?」


 ジャックに避ける術はない。

 その胸に突き刺さる新技で、リングに鮮血が降る。

 それはまるで、赤い花の咲き乱れる庭園のようであった。


「私が策で、このリングで負けるとは……がはっ!!」


「勝者ローズマリー!!」


「ジャック様!」


 勝敗を告げる青薔薇の声とともに、倒れるジャックを抱えに行くローズマリー。

 ファイトが終われば相手を称える。そこに恨みや憎しみなどはなかった。


「心配ないよ。休めば治る。しかし素晴らしい洞察力だ。試合運びも申し分ない。まるべ氷のトリックに気づいていたようだった。いつから気づいていたんだい?」


「最初からですわ。壁のカボチャを見て、リングを見て、なにか仕掛けがあると思いまして。逆に利用できればと」


「流石は若手ナンバーワン。見事だ。君ならきっと最強の悪役令嬢になれる」


「その言葉が、今のわたくしには何よりの褒美ですわ」


 がっちりと握手を交わし、笑い合う二人のもとに、青薔薇が歩み寄る。


「よくやりました、ローズマリー」


「青薔薇様」


「まさかその若さで最終試練への挑戦権を得るとは」


 驚きと祝福。そしてその裏に何かを滲ませた笑みを湛える青薔薇。

 それを見て何故か背筋に冷たいものが走ったローズマリーであった。


「青薔薇、できればこの子は……ローズマリーは悪役令嬢界を背負う逸材だ。だから……」


「例外はないわ。悪役令嬢とは、馴れ合いで強くなる正義令嬢とは違う」


「お二人とも何のお話を……?」


「さあ、落ちていきましょう。天国へと」


 質問には答えず、ローズマリーの手を引き、リング外へと降り立つ青薔薇。

 二人の足元にヒビが入り、地の底へと落ちていくその瞬間。

 ジャックが声をかけた。


「ローズマリー、どうか青薔薇の誘惑に負けないで」


「ジャック様?」


「悪役令嬢の誇りを失わないで……そうすれば、君ならきっと……」


「何が何だかわかりませんが、お約束いたしますわ」


 不安げにローズマリーを見ていたジャックだったが、その言葉を聞いて満足したのか、深い眠りについた。





「そろそろ付きます。降下準備を」


「かしこまりましたわ」


 地面に激突する前に、くるりと一回転して優雅に着地。

 令嬢の基本スキルである。


「これは……本当にここが、最終試練の?」


 そこは色とりどりの花が咲き乱れ、雄大で真っ青な空と、温かい風が吹く。

 何よりも目をひくのは、圧倒的な大きさを誇る大樹。

 事情を知らぬものならば、天国と見紛うほどの場所であった。


「ここが令嬢地獄めぐりの最終地点。もっとも、ここまでたどり着いたものは数少ないわ」


「なんて綺麗な場所……リングとお相手はどちらに?」


「私よ」


「……青薔薇様が?」


 青薔薇と戦うなどと思ってもみなかったローズマリー。

 歴戦の強者として名高い悪役令嬢と、疲弊した自分では分が悪い。

 それはわかりきったことである。


「四方に大きな柱があるでしょう? そこから伸びる光の線も」


 遠目からでもわかる大きな柱。そこから何本も伸びている光。

 大樹と自分達を囲むようだと感じていた。

 そういう世界なのだと、ぼんやり考えていた彼女の認識が覆される。


「まさか……」


「そう、この世界そのものが巨大なリングなのよ」


「さあローズマリー。悪の華を咲き誇るため、令嬢ファイトよ」


 令嬢地獄めぐり最後にして最大の戦いが始まろうとしていた。

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