第10話「休息、されど――REPLY」

 再び旅が始まった。

 ザジとハナヤ、そしてオルトリンデの三人旅だ。

 普段は決して、人間は昼間の街道かいどうを移動しない。この世界で人間は、食物連鎖ヒエラルキーの最底辺だからだ。だが、こうして夕暮れと共に野宿のじゅくの用意をする時間まで、ザジたちは無事に走り続けられた。

 そのことを今、ちょうど話していたところだ。


「え? ああ、うん……ほら、クスク村に戻ったら、なんか、こう」

「なんか、なんだよ」

「……引き止められそう、だったから」

「まさか! 連血れんけつ巫女みこを誰が引き止めるってんだよ」


 既に日は落ち、星空には巨大な月が浮かび上がっている。

 血のように真っ赤な光は、この星のどこからでも見えた。

 それを見上げて笑うザジに、ハナヤが唇をざじらせる。


「ボクじゃなくて、ザジが! ……ライラさんにさ、引き止められそうじゃん」

「あー、そゆことか。でも、心配無用だぜっ! お前には妹を、リリを助けられた借りがあるからな。俺はお前を必ず星都せいとチェインズまで連れてく。約束したろ?」

「……うん。そだね」


 不意にハナヤが、表情を和らげて微笑ほほえむ。

 怒ったり笑ったり、本当によくわからない。そういうとこは、妹のリリにもある。女の持つ気質だと大人たちは言っていたが、全くもって理解不能だった。

 女は凄くよく笑うし、凄くよく怒る。

 どっちも度が過ぎると、泣き出す。

 そういうイキモノなのだと思うことにしているが、時々手を焼くのだ。

 だが、多くの場合は優しく、女がいないと村の生活は成り立たない。男だって働くが、いつでも子供を産むのは女なのだから。そうでない女いるが、村の中では誰もが重要な働き手で、おろそかにしていい仕事などない。そういうギリギリの生存環境が、自然と他者への敬意リスペクトを育んでいるのだった。

 そうこうしていると、ハナヤは荷物の中から包みを取り出した。


「はいこれ! ザジの分」

「ん? ああ、飯? 用意がいいなあ。これから一狩りって思ってたんだけどよ」

「クスク村の人が、持ってけって」

「そいつぁいい」


 二人の間には今、が音を立てて燃えている。

 オルトリンデは周囲を警戒しながら、静かに背後で止まっていた。

 岩陰の野営地は今、暖かな光に満ちている。

 危険なネイチャードの気配は周囲に感じないし、こんな静かな外の世界をザジは初めて見る。まるで、あらゆる生物が今日だけは昼も夜も静かに眠っているようだった。

 そして、その中に祈りの気持ちが満ちているような気がする。

 包みをあけると、焼き締めたパンに茹でた肉が挟んであった。


「……静かだね、ザジ」


 小さな口でパンにかじり付きながら、遠くを見てハナヤがつぶやく。

 ザジも短く「ああ」と言って、バリバリと硬めのパンを頬張った。


「キリンヤガが死んだからかな? 大草原の主だったから」

「そうかもな」

「ザジは、笑わないんだね」

「どうしてだよ。俺ら人間がそうだってことは、他のイキモノだってそうかもしれねえ。ネイチャードだって、嬉しければ笑うし、悲しけりゃ泣くだろうさ」

「うん……もっと早く、人類がそう思ってくれてたらよかったのに」


 もそもそと大きなパンを食べるハナヤに代わって、背後のオルトリンデが解説してくれた。無機質な冷たい声も、抑揚よくように欠けた中に今夜ばかりは穏やかな気遣いを感じさせる。


かつて繁栄の絶頂にあった人類は、唯一絶対の神に支配されていたのです」

「神? そりゃ……なんでだ? 神様なんざ、なにもしねえで見てるだけだぞ? 見られて恥ずかしいことはすんなって言われるけどな。それより、唯一だあ?」

「そうです。大自然の中に多くを見出し、その村ごとに信仰の異なるザジたちにはわからないでしょう。しかし……クスク村を思い出してください」

「ああ、なんつったっけ? ジュウってやつか?」

「その銃を生み出したものこそが……


 オルトリンデは滔々とうとううたう。

 巨大な星をまるまる支配し、宇宙と呼ばれる星の海へと漕ぎ出していった人類。その源は、科学文明だった。科学の発展が豊かさに繋がる、科学があらゆる問題を解決する……そういう価値観こそが、まさに科学を信奉する宗教だったのだ。

 そして、人類は銀河の果てまで己の思うままに攻めて滅ぼし、征服して簒奪さんだつした。

 オルトリンデも、そうした時代の遺産だと己を語った。


「私が造られた時代、人類は己の本質に気付き、それを受け入れていました。その本質とは……。人間はすべからくいやしい欲望の塊で、そのことに正直でいた方がいいとさとったのです。破壊と搾取さくしゅを美徳とする、の始まりでした」

「……難しい話だぜ、頭が痛くなってくらあ」

「その頃にはもう、科学という名の神は、力であり法則、そして手段でしかありませんでした。科学はそれ自体では貧困も飢餓も疫病も、戦争さえもなくせなかったのです。ザジの神は見ているだけですが、私たちの神は使われるままだったと言えますね」


 ハナヤも小さくうなずく。

 つまり、大昔の人類はこの星を出ていった。

 人間という動物の本質、本能がエゴだと定義し、それを発散することに躊躇ちゅうちょを感じなくなったのだ。宇宙の彼方かなたの彼方、最果ての最果てまで人類は広がっていったという。

 その時代、科学という神は絶対だった。

 科学で定める自然とは、一つのシステムと定義されていた。

 人ならざる者がつくった、完全に調和の取れた一つの生態系……それは、全く無駄のない世界。あらゆることに意味があり、意義があり、合理の元に理由があるとされたシステム。大自然では全てに無駄がなく、あらゆる生命がシステム維持のために調律されている。


「しかし、それが幻想だとわかったのは……人類が衰退してからでした」

「幻想? いや、大自然は凄えぞお前。そりゃ、しすてむ? というのかはわかんねーけどよ。ネイチャードを見ろ、完璧な……あっ! ああ、そうか」

「気付きましたか? ザジ。旧世紀の人類が知らなかったこと……それは、。全てのことに意味があると定義し、意味のないものを効率化の名のもとに切り捨て続けた人類は知りました……自らが最高のシステムと定義した大自然もまた、その全てが理屈と理論では片付けられないということを」


 例えば、レプンと呼ばれる海のネイチャードは……満腹の時でも狩りをする。自分より弱い動物を集団でなぶり、じわじわと時間をかけて残忍なまでに執拗に痛めつけるのだ。また、アントという虫のネイチャードは、無数で群れで女王をいただく。だが、完璧な統制で役割分担が徹底された蟻の中には、一定数全く働かない蟻が生まれると言う。

 大自然は、確かに完全なサイクルの中で調和の取れた円環ブラッドリングをなしている。

 食べられるだけに見える弱い生物でさえ、死ねば糞となって大地にかえる。

 しかし、生命は全て……システムの一部であるために生きているのではないのだ。

 最後にハナヤは、ようやくパンを完食して指をめながら言った。


「効率や損得とは別の次元で発生する、巨大な力……それが、感情。大昔の人間は、感情を元にして育まれる信仰やいたわり、いつくしみ、そして美を感じる心や芸術などを、人間だけのものだと勘違いしたの。でも」

「でも?」

「自分たちのエゴが本能だと、それが当たり前の変わらぬ人間性そのものだと開き直れたのに……大自然にもそれがあって、感情や喜怒哀楽があるとは思えなかった。想像力が欠如してたのは、人類に辛い時代が長過ぎたから、かな?」

「……なんだよお前、見てきたようなこと言いやがって。なんか偉そうだぞ!」


 ゴメンゴメンとハナヤは笑った。

 そして、さらりととんでもないことを言い出す。


「旧世紀の人類がそのことに気付いた時……すでにもう、全ての出発点だった母星は枯れ果てていた。そして、戻ってきた人たちも少なかった。嘗ては宇宙に満ち満ちていた地球人類は、ほんの一握りを残していなくなってしまったの。だから」


 ――だから、遅い遅い罪滅つみほろぼしを、本当の人間性を求めてはぐく贖罪しょくざいの旅に出た。

 それは、巨大な宇宙船も、時間と空間をも超える次元転移ディストーション・リープも必要ない。

 ただ『』と自分に言い聞かせる、再生の祈りを注ぐ旅だ。

 ザジには、ハナヤとオルトリンデの語る言葉が半分もわからない。大昔がとても栄えた時代だったのは、あちこちの民話や伝承にあるし、ザジも知っている。奇蹟の御業みわざで人類は、あの赤い月のその向こう、星の海の最果てまで行ったという。

 だが、あくまでそれはおとぎばなしだと思っていた。


「まあ、よくわからねえけどよ。ハナヤ、お前さ……」

「ん?」

「なんつーか、お前もそうなのか? 罪滅ぼしだって、そう思って連血の巫女をやってるのかよ」

「ボクは……」

「そういうの、自惚うぬぼれってんだぞ? 大体、その凄え昔の時代には、お前なんか生まれてねえだろ! 大昔の人間のために、今の人間が罪滅ぼしってのは、えーと、あれだ! あれだよ、あれ! おかしいあれだって言ってんだ」

「ま、そうだけどね。……でも、ボクはそう望まれて生まれたから」


 そう言ってハナヤは、寂しそうに笑って傍らの毛布を被る。

 星空には今も、天を覆わんばかりの赤い月が広がっていた。

 ザジは火の番をしながら、眠ろうと横になるハナヤを見やる。


「おやすみ、ザジ。……今日もありがと」

「おう、しっかり寝ろよ! 気合い入れて休めよ。明日はざされもりに多分つくからな」

「なにそれ……頑張ったら眠れないよ。でしょ?」

「そうか? 俺ぁいつも根性キメて寝んだよ。疲れよ取れろ、傷よ治れ! ってな」

「ふふ、おかしいの……でもなんか、ザジっぽ、い……バカっぽくて、いい……よね」


 やがて程なくして、ハナヤは静かな寝息を立て始めた。

 ザジはその寝顔を、揺れる炎の中に見て鼻の下を指で擦った。なんのかんの言って、生意気でムカつくことも多いが、ハナヤはかわいくて優しい。こういうのがよめだったら、そりゃもう毎日が賑やかで楽しいと思う。

 ふと自分の左手を見て、その手の平を赤い月にかざす。

 月よりも赤い指輪が、今日も薬指に光っていた。

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