8.暗躍者

 ミコトが化け狸たちを引きつけている中、八雲は密かに花蓮たちの背後へ近づいていた。

 ミコトと八雲はほぼ同じタイミングでお堂の裏手には回っていた。しかし、ミコトはともかく、戦う手段を持たない八雲に化け狸とやり合わせる事は無意味。そこで……というクズの発案だった。


「浅間……くん……?」

「シッ! ミコトが連中を引きつけてる間に僕らは逃げるよ。足場は悪いけど、公道まで抜けられるとこは有るから」


 とはいえ、抜けられると言っても道がある訳じゃない。

 傾斜した山林を抜けて行くのだから、滑落の恐れもあるし、その分、逃げ切るまでに時間もかかる。その間に居場所を発見されて数十匹単位の追っ手をかけられれば、山野に慣れている狸たちに有利だ。

 花蓮の体と手足を縛り付けていた縄を解くと続いて善哉の縄を解く。


「機を見て走るから、僕の後に着いて来て」


 八雲は身を屈めて善哉の背後で息を潜める。巨体の善哉は遮蔽物としては好都合だ。

 しかし、問題もあった。


「わしの体では逃げるのに足手纏いになりましょう。わしの事は構わず、お三方でお逃げなされ」


 善哉の穏やかな、それでいて諦め切ってしまったような言葉が八雲たちの胸を突いた。

 言われてみれば老体である事に加えて、この巨体である。仮に獣の形に戻ったところで、着いて来られるか分からないし、足場が悪い分、獣の姿になった善哉を抱き抱えてというのも難しい。


「でも……」

「機を逃せば全滅ですぞ? それではお二人が何をしにここまで来られたのか……それこそ本末転倒というものでございしょう?」


 年の功とでも言うのか……これには八雲も何も言い返す事が出来なかった。

 すると突然、


「だからと言って、ここで強硬派の餌食にされるつもりは無いんでござんしょ?」


 八雲の足元からニヒルな声が聞こえて来た。

 その声に善哉はニヤリと、ところどころ抜け落ちた歯を見せる。


「ったく……。旦那はとんだ食わせ者だ。タヌキジジイとは旦那みたいな奴を言うんでしょうなぁ」


 お堂の縁の下から、今し方、槍を突き立てられて殺された筈のキンツバが顔を覗かせた。


「キ、キンツバちゃん⁉︎ どうして……」

「おや? お嬢もあっしが死んだと思ってたんですかい? だったら作戦成功ってなもんだ」


 キンツバは何事も無かったかのようにヘラヘラと笑っている。

 よく見れば彼は縁の下に掘られた穴の中から上半身だけを出しているではないか。


「あっしも人に化けるほどの技量は持ってませんがね。化かす事に関しちゃ他の連中に引けを取らないつもりでさぁ。化かし合いこそ化け狸の真骨頂ってヤツですよ」


 そう言って適当な木の枝を拾い上げると、槍を突き立てられてグッタリとしているをつついた。

 つつかれたそれはまるで穴の空いた風船よろしく、見る間に萎んで行く。

 キンツバはキンツバで全員を逃す為に一芝居打っていたのだ。


「ただ、お二人が来るのは想定外だったんでね。あそこで大立ち回りしている嬢ちゃんを救う手立てまでは考えちゃいませんぜ?」


 キンツバが苦々しく見つめる先。

 ミコトが無数の化け狸相手に孤軍奮闘していた。

 傷つきながらも悪魔のような笑みを絶やさないその姿は八雲の中で、ただ一度だけ見覚えがあった。


「あの時もあんな顔してたな……」


 かつて暴走族相手に大立ち回りを演じて、ボロボロになりながらも十一人全員を病院送りにし、語り草となったあの場で八雲は彼女の戦いを見届けていた。

 自分もヒドい怪我を負っていたにも拘らず、満面の笑みで「してやった」とVサインをして見せた。


「多分……ミコトは大丈夫だよ……。彼女は自分で何とか出来る……」


 本音を言えば心配でならない。けれど、ミコトの顔が「生還して見せるから心配するな」と言っているように思えた。

 それに……ミコトはあちこちから血を流しながらも、相手の化け狸たちは確実に数が減っている。このまま全滅させるのではないかという勢いだ。


「僕らはミコトを信じよう。先に逃げ果せられなきゃミコトだって、あの場から離れられない」

「それじゃあ、お嬢達はボンの言ったルートで。善哉の旦那はあっしに任せてくだせぇ」

「それは困りますね」


 八雲たちがこの場を離れようと動き始めた時だった。

 冷ややかな……実に事務的で無感情な女の声が藪の中からした。

 同時にザワザワとあちらこちらで葉擦れが起こる。


「こんな事もあろうかと化け狸の全勢力を分けておいて正解でした」

「お、おまえ……素甘……。な、何故……」


 この場に不釣合いな、いつもの社長秘書のような出で立ちで現れた女性……関八州八百八狸の広報担当を名乗る素甘であった。

 彼女の背後には、まだ姿を見せはしないものの、明らかにミコトが相手にしているよりも数倍の数の化け狸が控えている事が分かる。

 ミコトも戦う手を止めて、荒い息をしながら境内の中央で素甘を睨みつけていた。


「本来であれば部外者である筑波ミコトさんと浅間八雲さんを傷つけたくは無いと配慮して、件のトンネルで細工をしたつもりだったのですけどね……」

「な……お、おまえ……まさか知ってて、あの時……」


 ミコトにとって忌まわしい記憶の残るトンネル……。ミコトと八雲がそこを通っていた最中に突如現れた暴走紛いの車両。あの車を運転していたのは確かに素甘であった。

 ミコトはもちろん、八雲もあの時に素甘の運転する車がすれ違ったのは単なる偶然だとばかり思っていた。

 けれど、それが意図してという事であれば、つまり……。


「筑波ミコトさんと葛の葉様の事は徹底的に調べさせて頂きましたよ。筑波ミコトさんがあの場で過去のトラウマを蘇らせてしまえば、しばらくは大人しくしていたでしょうし、葛の葉様も筑波ミコトさんの魂と同調する事が難しくなる。そう踏んで策を弄したのですが……まさかこれほど早く回復されるとは想定外でした」

「素甘さんよぉ……。アンタ……初めから強硬派と繋がっていやがったのか……」


 キンツバの口調に怒気が混じる。

 しかし、素甘は一切表情を変えず、淡々と答えた。


「もとより貴方たち穏健派に組したつもりはありませんよ。私はただ、善哉さんに頼まれていたから与えられた仕事をこなしただけの事です。穏健派か強硬派かで言われれば、私は寧ろ初めから強硬派でしたからね」

「おまえ……それでいて、何食わぬ顔で我らの手伝いをしていたというのか……」

「ええ……。その方が仕事はやり易いと考えまして。キンツバさんの言葉を借りれば、化かし合いこそ化け狸の真骨頂なのでしょう?」


 素甘はスッと片手を挙げる。

 その合図と共に数百を超える化け狸たちが藪の中から姿を現した。

 既に境内はネズミ一匹逃げる隙は無いほどに囲まれている。


「先程、斥候から得た情報では、もはやこの土地の所有者に考えを改める意思はありません。残念ですが、あなた方にはここで——」

「やめぇぇぇぇぇっ‼︎」


 刹那——

 陽も沈み、すっかり暗くなった境内に裂けんばかりの怒号が響き渡った。

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