5.血の繋がりは無くとも

 ミコト達が伊予のメッセージを受け取った頃——


「皆んな何も伝えて来なかったけど、善哉さんやキンツバちゃん達ならきっと……」


 伊予は一人、化け狸たちが根城にしている廃寺の階段を息を切らせながら上っていた。

 午前中に小雨がパラついていた事もあって、山林の中にあるここは空気そのものが湿り気を帯びていて、部分的にモヤがかかった状態になっていた。

 伊予がこの場所に足を踏み入れてから、何かいつもと違う妙な雰囲気を感じ取っていた。

 今日はヤケに気配が濃い。

 いつもなら善哉は必ず、この境内のどこかにいるから、化け狸が全く居ないという事は無い。が、善哉以外に居ても、いつもならせいぜいキンツバなど二、三匹程度のものだ。

 それが今日はその化け狸の気配が随分と多く感じられる。

 いわゆる妖気ではあるのだが、化け狸特有の匂いというものを伊予は昔から慣れて知っている。その化け狸特有の匂いがそこかしこに立ち込めて、空気が淀んでいると言って良かった。


「誰か……いますか?」


 階段を上り切り、境内に入ってはみたものの人影は無い。

 しかし、気配だけはする為、伊予は恐る恐る声をかけてみたのだ。

 それでも反応は無い。反応は無いが、確実に何者かがこちらを見てはいる。

 嫌な予感がした。


「善哉さ——」


 もう一度呼びかけようとして、ハッと息を飲んだ。

 お堂の傍に二メートルはあろうかという大きな杭。その杭に縛り付けられている人物がいて、さらにその両側——地べたに座っている二人の姿。

 地べたに座っている——というより、座らされているといった表現が正しいか。縄でぐるぐる巻きにされた善哉とキンツバである。

 そして磔の刑に処せられているかのように杭に縛り付けられている人物は……学校から忽然と姿を消した雲辺寺花蓮であった。

 花蓮は口に猿ぐつわをかけられて声も出せずにいるが、伊予の姿を認めるなり、何かを訴えかけるようにもがいていた。


「お姉ちゃん! ど、どうして……」


 伊予が駆け寄ろうとすると、花蓮は力強く首を振る。

 言葉を発する事が出来ないので、何を言っているのかは分からないが、どうやら「来るな」という事らしい。


「で、でも!」


 助けないわけには行かない。一歩踏み出そうとするが、今度は花蓮の傍らに縛り上げられているキンツバがそれを制した。


「お嬢! 逃げてくだせぇ! ここは——」


 キンツバの言葉が途中で切れた。

 彼はあたかも糸の切れた操り人形が如く、ガクリと首を垂れる。

 キンツバの背中には何やら長い棒のようなものが生えていた。


「ううっ! ううー!」


 キンツバの身に何が起こったのかを間近で見ていた花蓮が猿ぐつわの向こうから悲鳴をあげた。

 恐怖に慄き、カッと見開かれた目は血走り、今にも泣き出しそうである。


「キ、キンツバ……ちゃん……?」


 キンツバの腰の下にドロリとした赤黒い液溜まりが広がる。

 光が殆ど差し込まず、薄暗い境内であるがゆえに赤黒く見えるが、それが血溜まりである事は直ぐに分かった。

 伊予が一歩、また一歩とおぼつかない足取りで歩み寄る。キンツバまで、あと二、三歩という距離まで迫った時……ポンッと音を立て、キンツバは本来の狸の姿に戻ってしまった。

 その背中には朱塗りの槍が突き立てられており、彼は既に事切れていた。


「そんな……」


 伊予が手を差し伸べようとした、その時……背後から強烈な妖気が漂って来た。そして何か冷んやりとした物が首筋に当てられる。


「動くとためにならんぞ」


 ドスの効いた低い声。

 背後から発せられる濃い妖気は一体のものではない。無数の化け狸が発しているものだと伊予には分かっていた。

 けれど、首筋に当てられいる物は間違いなく刃物だ。殺意も感じられる。


「おまえたち……愚かな真似はよせ!」


 縛られた状態の善哉が伊予の背後にいる狸達に呼びかけるが……彼らが大人しく言う事を聞くような段階では既に無いようだ。

 伊予を人質に取ったまま、別の化け狸が花蓮の猿ぐつわを外してやる。


「おまえらの父親の返答次第では今生の別れになろう。語らいの時間くらいはくれてやる」


 連中は花蓮も伊予も殺す気でいるらしい。仲間である筈のキンツバまでも躊躇いなく始末したような者たちだ。恐らく善哉も無事では済まないかもしれない。


「申し訳ありません。我らの預かり知らぬところで強硬派の者たちが事を進めておったようで……。伊予お嬢の姉上まで巻き込み、この土地の所有者を脅迫しようと動いておるようです」

「そんな……」


 伊予は絶句した。

 当然、父は娘を助ける為に手を打つだろう。それが化け狸の要求に応じるか、或いは警察に頼むかは分からない。

 が、仮に警察が踏み込もうと、相手は人ではない。あやかしの存在を知らない警察に化け狸への対抗手段など用意がある訳でもなく、最終的に解決できたとしても、必ず始めのうちは失敗する事になろう。

 そうなれば花蓮や伊予の命は無い。

 強硬派の化け狸たちはその事を想定済みなのだ。


「伊予! 何で来たの⁉︎ どうせ危険と承知でノコノコやって来たんでしょう⁉︎」


 花蓮は開口一番、伊予にキツい言葉を浴びせる。けれど、それが恨み言や蔑みで言っている訳ではない事は伊予にも分かった。


「ごめんなさい……。でも……お姉ちゃんが居なくなったって聞いて……きっと化け狸の仕業だって思って……だから……何とかしたくて……」


 涙を溢れさせ、己れの弱さをこれほど呪った事はない。

 助けられると思っていた。

 自分に人望が無くとも、説得くらいなら出来るかと思っていた。

 けれど……廃寺のご本尊を守ろうという化け狸たちの思いは、伊予の想像を遥かに超えたものであった。

 所詮は人とあやかし。彼らにとって人の命など、自分達の崇めるものと比べれば、その辺の雑草も同然なのだろう。

 自分は彼らとは違う……。純粋な化け狸たちと、人同然に育てられて来た自分とは根本的に価値観が異なるのだと痛感した。

 そんな伊予に花蓮は「ふんっ……」と鼻を鳴らす。


「あんたが何者なのかは薄々気づいてたわ。それにお父さんが人ならざるモノから憎しみを買ってる事も……。だから、いつか純粋な人間である私が人ならざるモノの標的にされるかもしれないって……ずっと思ってた。あんたに辛く当たってたのも、純粋な人間じゃないあんたまでとばっちりを受けないで欲しかったから遠ざけようとしたのよ! それなのに……」


 これが……これこそが花蓮の本心だった。

 伊予に急に辛く当たるようになったのは、別に伊予の事で実の兄が父親から勘当されて出て行ってしまったからでは無い。

 花蓮は花蓮なりに事情を知っていて、か弱い妹に火の粉が被るのを避けられるよう努めていたのだ。純粋な人間ではなく、半人半妖の伊予が人間の家族から辛く当たられていれば、あやかし達はきっと伊予に味方するであろう……と。

 しかし、伊予はそれでも姉を嫌わなかった。それどころか関係を改善する為に、姉からも認められるよう自身が強く、しっかりした人間になろうと試行錯誤を繰り返していた。

 互いを想う気持ちは同じであった筈なのに生じてしまったすれ違い……ただ、それだけの事だったのだ。

 姉妹の想う気持ちは通じ合えた。しかし、状況は最悪である。


「おまえ達の処遇は、おまえ達の父親の返答次第って事だ」


 伊予に刃物を突きつけている化け狸が冷ややかに吐き捨てた。

 その直後——


「はぁ〜っはっはっはっ!」


 殺伐とした境内に高笑いが響き渡った。

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