レトロスペクション4

ずっと前から

 ミコトが幼い頃と打って変わってギラギラと誰にでも食ってかかるようになったのは小学校の高学年頃からだったろうか?

 それまではおとなしくて泣き虫な女の子で、今のミコトとはまるで別人と言っても過言ではないかもしれない。

 僕が初めてミコトと出会った、あの日から殆ど毎日のように一緒に遊ぶようになっていた。

 京華とも頻繁に会ってはいたけれど、彼女は両親が厳しく、家から出してもらえない日もあって、その度に僕はミコトと二人で遊んでいたものだ。

 僕もあまり友達作りは得意な方じゃなかったし、何となくミコトと遊んでいる方が楽しいという事もあって、同性の友達は居ないと言っても良かった。もちろん、近所に住んでいる同世代の子供が少なかったというのもあるけど……。


 あれはまだ小学校の三年生に上がったばかりの頃だったろうか?

 前日にミコトと川遊びをする約束をしていたので、僕は先に沢井川の土手で待っているミコトのもとへ遅れて行ったのだけど、着いてみればミコトがわんわん泣いていた。


「ミコトちゃん、どうしたの?」

「えぐっ……えぐっ……あたしの大事な……ヒック……お団子が……ヒック……流されちゃった……」


 はてな? お団子?

 けれど、それが食べ物の団子を指しているのでは無い事がすぐに分かった。

 ミコトは小さい頃から三色団子というものが食べるのみならず、その見た目でも好きだったようで、この頃はよく三色団子の飾りがついたヘアピンで前髪を留めていた。

 それが、この日はいつもしている筈の三色団子のヘアピンが無い。

 聞けば川の中に何匹も鯉が泳いでいたので、水面を覗き込んで観察しているうちにヘアピンを川に落としてしまったのだそうな。

 それにしても……ヘアピンなんてものが、そうそう流されるものなのだろうか? とも思うのだが、ミコトがいつも身につけていた三色団子のヘアピンは、飾りの部分が平べったいプラスチックで出来ていた為、浮力があり、ミコトがまごついているうちに流れの急な川の中ほどまで流されてしまい、あっという間に見失ってしまったようだ。


「探そう!」


 僕は迷うことなく、そう言っていた。


「でも……もう見つからないよぅ……」


 ミコトは既に諦めていて、ずっとベソをかいていたけれど、僕には諦められなかった。

 ミコトが大切にしているものを簡単に諦めたくはない。何としてでも見つけてやりたい。

 その一心で、


「僕が絶対に見つけてあげるから! だからきっと見つかるよ!」


 何の根拠も無いのにそう確約して彼女の手を引っ張った。

 そこからは二人で下流へと走りながら立ち止まっての繰り返し。

 けれど全体的に浅い瀨となっている沢井川の流れは急で、あれだけ軽いヘアピンが流されてしまったとなると、そうそう見つかるものじゃない。

 僕たちは下流へ、下流へと失ったヘアピンを求めて走りに走り……一時間ほど経って完全に足を止めた。

 ここまで来てしまうと全く見慣れない風景。少し先へ行けば、この川はより水量の多い相模川さがみがわへと合流している。


「八雲くん……もう無理だよ……」


 探している最中は泣かずにいたミコトだったのだけれど、もう戻らないと諦め切ってしまった彼女は顔をシワくちゃにして、目にいっぱいの涙を溜めていた。

 僕は……悔しかった……。

 無力な自分が……約束したのに、その約束さえ果たせなかった自分の情けなさが……。そして何よりミコトを悲しませてしまった事が……。


「ごめんね……ミコトちゃん……。僕……」


 不覚にも自分まで泣きそうになってしまった。

 でも……一番悲しんでいるミコトを目の前にして、僕が泣くわけにはいかないと必死に堪えていた。

 そんな時だ。

 太陽が丁度、真上に来ていて、川の向こう岸に陽光に照らされた何かがキラリと光るのを見た。

 それはとても小さく、何であるのかこちら側からはハッキリと見て取れない。

 けれど僕は何か予感めいたものがあった……と言えば格好も良いのかもしれないが、僅かな希望でも諦めたくはないという思いが強かったから、それが何であるのか確かめずにはいられなかった。


「ミコトちゃん、ちょっと待ってて!」


 泣き出しそうなミコトをその場に残し、少し上流に戻ったところにある橋を渡ると、向こう岸に光っていたものを探しに行く。

 川岸に群生した、自分の背丈よりも高いヨシを掻き分けて水辺を見て回る。

 足場が悪くヨタヨタしながらも目を凝らして行くうちに、それは見つかった。


「あった!」


 間違いない。

 僕にもよく見覚えのあるプラスチック製の三色団子。少し泥が付着していたけれど、僕はもう逃すものかとばかりに川の中に迷うことなく踏み込んで、それを拾い上げた。

 その瞬間、藻がびっしり生えた川底の石を踏みつけてしまったのだろう。僕は足を滑らせて川の中に倒れ込む。


「八雲くん!」


 向こう岸で見ていたミコトが悲鳴をあげる。


「だ、大丈夫だよ!」


 僕はずぶ濡れになって起き上がると笑って見せたが、ヘアピンを掴んでいる手と逆の左手首がピリピリと痛んだ。

 それでもヘアピンを見つけられた事が何より嬉しくて、僕は急いでミコトのもとに戻ると、


「あったよ! ほらっ!」


 興奮して、そのヘアピンをミコトに見せた。

 けれどパッと喜びの顔を見せたのも束の間、ミコトの視線はすぐに僕の左手首に向けられ、一瞬にして青ざめてしまった。


「八雲くん……血……」

「え……?」


 痛いとは思っていたけれど、それもその筈。僕の左手首からはポタポタと血が滴り落ちていたのだ。

 どうやら転んだ拍子に手首を切ってしまったらしい。

 さすがにトクトクと血が溢れている様を目の当たりにすると、先程まで大した事の無かった痛みが激痛に変わる。


「待って……」


 ミコトはすぐさまポケットからハンカチを取り出すと、僕の傷口にあてがい、そしてややきつめに縛ってくれた。


「早くお医者さんに行かなきゃ」

「あ……うん……」


 よく見ると、そのハンカチだって以前、ミコトがお気に入りだと言って大事そうにしていたハンカチだ。

 けれど、そのハンカチは僕の血でみるみるうちに赤く染まって行く。

 そんな事も躊躇わず、彼女は僕の傷口をお気に入りのハンカチで塞いでくれたのだ。

 そして歩きながら彼女はひと言……。


「ありがとう……」


 心の底から嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

 そのまばゆいまでの笑顔に僕はドキッとした事を今でも覚えている。


 思えば僕は、その時からミコトの事を異性のして意識していたのかもしれない。そして、彼女に対する想いはずっと変わらず、今でも僕の中にある。

 表面上の性格は変わってしまった彼女だけど、僕は今もミコトの事が好きである事に変わりはない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る