11限目 1.エンタメ論 クトゥルー神話

 ちょっと先週はレジュメ的なものを上げる時間がなかったので、遅ればせながらいま貼っておきますね。今回はクトゥルー神話とH・P・ラヴクラフト、および彼の仲間と後続のクトゥルーものについてざっと見ておきましょう。


 クトゥルー、あるいはクトゥルフと呼ばれる一連の世界観および神話的系列が、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890-1937)によって創始されたことは多くの人がご存じだと思います。人付き合いが苦手で、自らの家系に流れる狂疾の血におびえ、熱に浮かされたような幻想と恐怖を書き続けた彼が作り出したのは、人間的な情念や呪い、あるいは怪物ではあっても地上の論理ではかることのできる妖怪などとは、まったく違ったパターンの物語でした。


 ラヴクラフトが書き続けた作品の主なモチーフを、ラヴクラフト自身は「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」と呼んでいます。

 この世界には実は、はるか太古から生き続ける、人間には全く理解の及ばない異質な知性群「旧支配者」が存在しており、いまもなおこの想像を絶するものは闇にうごめき、復活の時を待っている。もしそれらの一端にでも触れれば、脆弱な人間の精神はたちまち崩壊し、想像を絶する暗黒と狂気の淵へ突き落とされるしかないのだ……

 と、このような内容です。そこではこれまで恐怖の源であったはずの、人間の知性や感情などには一片の価値もなく、太古からひそかに伝えられてきた魔道書や堕落した蛮族たち、隠然と伝えられてきた邪教の徒などがうごめき、不用意に迷い込んだ人間は、破滅の道をたどるしかありません。

 

 クトゥルー神話が当時多くのファンや作家をひきつけ、いまも高い人気を保っているのは、こうした思想と世界観のもとに生み出されたさまざまな「旧支配者」と呼ばれる太古の存在、また「旧神」と呼ばれるもの、さらには遠い惑星や異次元からあらわれる、この世のものならぬなにかがあってこそでしょう。

 クトゥルー、もしくはクトゥルフ、というのは、表音文字である日本語のカナに直すために便宜的に書かれたもので、本来は「Cthulhu」と表記されます。「人間には発音できない異界の言語を無理に表記したもの」とされ、カナ表記の場合は「クトゥルー」のほかにも「クトゥルフ」「クスルウー」「カトゥルフ」「クルールー」「ク・リトル・リトル」など、翻訳者によってさまざまなものに分かれます。これらは神話群に登場する異界存在のおおかたに言えることで、奇妙な響きのこうした名前は、クトゥルー神話をファンにとって特別なものにするのに一役買っているといえましょう。


 ラヴクラフトが彼の作品を書く上で影響を受けたのは、まず怪奇小説の大家であるポオ、そして、ロード・ダンセイニによる幻想創作神話『ペガーナの神々』があげられます。ポオはそのゴシックで陰鬱な創作スタイル、そして、ダンセイニからは地上のどこにもない異国風の幻想趣味をそれぞれラヴクラフトに与えました。トログウル、ユン=イラーラ、キルウルウグング、フウドラザイなど、『ペガーナの神々』に登場する神格たちの命名を見ると、ラヴクラフトがいかにこの創作神話に影響されているかが見てとれます。アルヒレト=ホテップなんてのもいます。ニャルラトテップ、もしくはナイゥアルラトホテップと呼ばれる存在を思い出させますね。


 クトゥルーと名前がついていますが、べつにクトゥルーが神話体系の主神というわけではないのです。クトゥルー神はあくまで「旧支配者」のうちの一柱にすぎず、さまざまな生き物や旧支配者の種族、また「旧神」と呼ばれる別の種族などが、次元を越えた闘争と雌伏をくり広げているのがクトゥルー神話とよばれるものです。クトゥルー神のほかにも、水神ダゴン、火の神ツァトゥグア、狂える創造主アザトース、這い寄る混沌ナイアルラトホテップ(ニャルラトテップという呼び方はどうも慣れない)、千匹の子山羊の母シュブ=ニグラス、全にして一なるヨグ=ソトースなど、多くの神々が存在します。

 クトゥルーの名が冠せられているのは、ラヴクラフトが神話の基本体系を提示したのが短編『クトゥルーの呼び声』だったから、というのが理由のようです。のちにこのタイトルはクトゥルー神話をモチーフとしたTRPGシステムのタイトルにもなりました。


 クトゥルー神話はラヴクラフトによる創作に端を発していますが、神話体系全体がラヴクラフトによって書かれたわけではありません。上記のような旧支配者群、また最大の魔道書ネクロノミコン、無名祭祀書、エイボンの書、ナコト写本など隠された文献類、また輝くトラペゾヘドロンや黄の印、アルハザードのランプなどのアイテム類、さらにはアーカムやインスマス、ダンウィッチ、ルルイエ、夢幻境などの地名などを共有した、何人かの作家グループがラヴクラフトを中心に集合し、その単語や世界観を交換し合う形で作り上げたのが、クトゥルー神話体系です。


 ラヴクラフトは主に、当時隆盛をほこった大衆文芸雑誌の一つ「ウィアード・テールズ」に作品を発表していましたが、この雑誌に寄稿していた作家たちを中心に、「クトゥルー・サークル」とでも呼ぶべきものが作られ、彼らがそれぞれに創作し、さらに独自の設定を交換し共有していくことで、ラヴクラフトの創設した神話群は広がっていきました。 

 クラーク・アシュトン・スミス、ロバート・E・ハワード、オーガスト・ダーレス、リン・カーターなどがその主要メンバーに当たります。クラーク・アシュトン・スミスはハイパーボリアと呼ばれる超古代の帝国を舞台にした幻想譚を書き、魔道師エイボンの書、火神ツァトゥグア、不定形の生命の源ウボ=サスラなどを創出。蛮人コナンシリーズが有名なロバート・E・ハワードは黒の碑と呼ばれるものと無名祭祀書を。

 そしてオーガスト・ダーレスは、生前ラヴクラフトには会ったことはありませんでしたが、友人リン・カーターとともに死後のラヴクラフトのノートやメモ、書きかけの作品などをもとに作品を書き、さらには出版社アーカム・ハウスをたててラヴクラフトの全集を出版し、それまで善悪の対立やきまった体系などが存在しなかったクトゥルー神話を条理の通った大系にまとめあげました。

 もともと幻想味が強く、善悪の意識を持っていなかったラヴクラフトによる神話に対して、ダーレスによるこのような一元的な神話体系の整理は、おおもとのラヴクラフトの考えとは別のものだとして、ダーレスによるものを区別する考え方もあります。しかし、ダーレスによる善悪二元の区別が、のちに、クトゥルーものを冒険小説やアクションもののギミックとして使用するときに役にたったのも確かです。


 現代でもクトゥルーの系譜に属する作品は延々と書き継がれていて、特に日本では、創土社の「クトゥルー・ミュトス・ファイルズ」という叢書から、日本の作家によるさまざまなクトゥルー譚が続々と出ています。

 SF作家やホラー作家、仮想戦記作家など、多彩な作家がさまざまな作品を展開していますので、実は海外よりも潤沢かもしれない日本のクトゥルー・シーンを見てみたい人はアマゾンなどで検索して、興味を引かれたものを手に取ってみるのもよいでしょう。

 最近になって出た海外のクトゥルー譚としては、ブライアン・ラムレイによるタイタス・クロウサーガ(全六巻)が刊行されました。これは最近完結したところなのでいまでも手に入ります。

 このタイタス・クロウを主人公とするシリーズは一巻目が「タイタス・クロウの事件簿」と題されているように、過去のクトゥルーもののようにただ狂気に追いやられるだけの人間と恐怖を描く作品とは趣を異にし、邪神と積極的に対決する姿勢を軸としていて、シリーズが進むにつれ、どんどん異世界アクションの方向に進んで、爽快なエンタテイメントに徹しています。

 第二世代作家と見なされているダーレス以降のクトゥルー作品を集めたアンソロジーとしてリン・カーターやコリン・ウィルソン(「魔道書ネクロノミコン」は奇書中の奇書)、ラムジー・キャンベル等の作品を集めた扶桑社ミステリー「クトゥルフ神話への招待」三巻本もあり。こちらは伝統的クトゥルーものの貴重な初訳作品が収録されています。

 珍しいところでは、平成ウルトラマン第一作「ウルトラマンティガ」最終三部作で、ティガに相対する最後の大怪獣として「魔神ガタノゾーア」が登場します。

 南太平洋に浮上した海底都市ルルイエに出現するガタノゾーアはまぎれもなくクトゥルーの系譜に属する存在で、おそらくモデルはユゴス星の生物があがめる魔神ガタノトゥア。従属する飛行怪獣ゾイガーも、「風に乗りて歩むもの」風の邪神ロイガーをモデルにしたものと思われ、光の巨人ウルトラマンvsクトゥルー邪神という、日本でしか実現しないであろうゴールデンマッチがくり広げられます。

 なおガタノゾーアは最近の作品「ウルトラマンオーブ」にも、名前およびカードのみの登場ですが、「マガタノゾーア」としてパワーアップ、再登場を果たしました。

 

 大元であるラヴクラフトの作品は創元推理文庫のラヴクラフト全集(全七巻)にて読めます。クトゥルー神話全体に関しては青心社「クトゥルー 暗黒神話大系」(全十三巻)が文庫で手頃でしょう。国書刊行会「真ク・リトル・リトル神話大系」(全十巻)も近頃新装版が出たようです。

 クラーク・アシュトン・スミスの著作は創元推理文庫の「ゾティーク幻妖怪異譚」「ヒュペルボレオス極北神怪譚」「アヴェロワーニュ妖魅浪漫譚」の三冊本が品切れになっていましたが、最近、以前一巻本ハードカバーで出ていた「魔術師の帝国」が書苑新社から三巻本ソフトカバーになって新装版として再刊されました。 

 ロバート・E・ハワードの作品に関しては創元推理文庫「黒の碑」がありますが、品切れ。まあアマゾンでかなり簡単に中古が手に入ります。

 クトゥルー世界を一望する解説書なども多く出ていますが、もっとも詳細でハンディなものは学研M文庫「クトゥルー神話事典」でしょう。クトゥルー神話に登場するすべての神格・土地・アイテムなどの単語を事典形式で網羅し、ラヴクラフトやクトゥルー・サークルの作家名簿、さらにクトゥルー神話に属する作品ひとつひとつのあらすじつきリストなど、非常に充実した内容です。

 ほかにはテーブルトークRPGなど用のグラフイック豊富な図鑑や事典などもあり、文字だけでは想像しづらい邪神のイメージをイラストでつかむのに役立ちます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る