7限目 2.ファンタジー論 ゲームとライトノベル発祥

 はいではファンタジー論いきますかー。

 先週、ヒロイック・ファンタジーのあれこれを紹介しましたが、今週はそれらがいかにゲームやアニメなどに吸収され、そこから新しいさまざまなスタイルが生まれてきたかの話をしましょうか。

 

 まず、ファンタジーの一般化と、小説を読まない人にも広くそのイメージと世界観を広げる上で大きな役割を果たしたものとして、やはりテーブルトークRPGの存在は避けて通れないでしょう。

 ご存じでもありましょうが、テーブルトークRPGというのは、一種のテーブルゲームです。それぞれサイコロなりなんなり、システムの従うところによって自分の分身であるPC(プレイヤーキャラクター)を作成し、ゲームマスターの指示に従って、ダイスを振ったりあらかじめ決めておいたポイントでどう行動するか選択したりして、『役割を演じ』(RolePlaying)るゲームです。日本でも一時は『ウォーロック』というTRPG専門誌が刊行されていて、かなり人気がありました。

 普通のゲームと違うところは、TRPGでは、プレイヤーは本人ではなく、あくまで仮想の人格であるプレイヤーキャラクターを通じてストーリーに参加し、そのキャラクターに合った演技(ロールプレイ)をすることが、ゲーム上の単純な勝敗よりも重く見られる、というのが普通のゲームとの大きな違いです。単純な勝ち負けを競うのではなく、「いかにその世界と物語に似合ったロールプレイを見せるか」という点が重んじられるということは、プレイヤーキャラクターの作成、また冒険の舞台である異世界の設定など、プレイヤーの没入を誘うあらゆる細部に関する設定が、細かく煮詰められることになったということです。


 ロールプレイングゲームの始祖と言われるのは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』ですが、このD&Dが打ち立てた「ゲームマスターが用意したシナリオを、プレイヤーキャラクターを演じるプレイヤーたちが体験する」というシステムはその後、TRPGの原点として続いています。人間、エルフ、ドワーフといった種族、ファイター、ウィザード、クレリック、ローグといった職業分け、さらに混沌と善のどちらに寄るかをきめるアライメントの概念は、まさにトールキンの指輪物語と、冒険ヒロイック・ファンタジーの融合したスタイルでした。


※ちなみに指輪物語の世界そのものを扱ったTRPGもあるにはありますが、D&Dほどの汎用性はなく、あくまで指輪物語好きの中の流行にとどまっています。同じことはエルリック・サーガと多元世界を扱ったシステム『ストームブリンガー』も、やはりD&Dのシンプルながら汎用性があり、自由度の高いシステムにはかなわなかったようです。


 D&Dシリーズは、基本的なシステムに加えてセッティングと呼ばれる背景世界の設定がいくつもサプリメントという形で存在し、上記のたとえば「指輪物語風の世界をやりたい」「スペースオペラ風の世界をやりたい」「蛮人コナンのような剣とサンダルものの冒険がやりたい」という欲求に答えています。

 もっとも標準的な異世界グレイホーク (Greyhawk)、野蛮で苛烈な世界で肉体を用いて戦い抜くダークサン (Dark Sun)、ゴシックホラー風の世界レイブンロフト (Ravenloft)、スチームパンクを思わせるエベロン (Eberron)、強力な魔法が生きているフォーゴトン・レルム (Forgotten Realms)、D&Dの小説『ドラゴンランス戦記』(マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン)の舞台クリンをゲームにしたドラゴンランス (Dragonlance)など、その種類は多岐にわたります。

 こうして見ると、小説やその他の作品からインスパイアされたと思われる世界観が、ゲームに逆輸入されているのもおもしろいところ。誰しもみんな、おもしろい小説や映画の世界を、自分も探検してみたいと思うものなのでしょうね。


 日本でファンタジーブーム、ライトノベルブームの立役者となったひとつ、水野良『ロードス島戦記』も、実はこのD&Dのリプレイ記事が大元です。

 日本へのテーブルトークRPG紹介において大きな役割を果たしたグループSNEが、パソコン雑誌『コンプティーク』に、さまざまなTRPGシステムを紹介する舞台として設定したのが「呪われた島ロードス」と言われるワールドでした。

 水野良はこのリプレイのプレイヤーとゲームマスターどちらもこなし、やがてそのリプレイを元にして、ロードス島戦記第一作『灰色の魔女』を刊行しました(1988)。おそらく、日本でファンタジー小説というものに火がついた、最初のきっかけと呼べる作品でしょう。

 それまでにもファミリーコンピュータですでに『ドラゴンクエスト』(1986)が出ており、ファンタジー世界における冒険物語はある程度大衆化されていましたが、小説という形をとることによって、ゲームというプラットフォームに縛られないファンタジー享受者の数は一気に増えました。


 信じられないかもしれませんが当時、ファミコンおよびゲームを買ってもらえるのはほとんどお金持ちの子、または親が甘い子だけでした。多くの子供たちは親にすがったあげく断られて涙を呑むか、ファミコンを持っている友だちに頼み込んでやらせてもらうしかない、といった状況だったのです。私も大学に入るまでファミコンには触ったことがなく、大学のSF研の部室でようやくドラクエとファイナルファンタジーをやって、なるほどゲームとはこういうものか、と感心したほどでした。はじめてやった時はセーブという概念すら知らなくて、死ぬたびにしょっぱなからやり直してたなあ。

 しかし、こういうファミコンを持ってない人でも、小説ならば買って読めました。というか親も小説だったらわりと不承不承でも許してくれる確率ありました。やったー!

 というわけで、一気にファンタジーの原型としての「RPG風世界」がD&D、またそれが日本人の手でローカライズされた作品としての『ロードス島戦記』が、ファンタジーとはこういうもの、というイメージを、今に続くまでライトノベル界に確立したのです。


『ロードス島戦記』が日本の若い読者に熱狂的に受け入れられたのは、上記のごとく「ゲームは手に入らないけど本だったら買える」層に一気に受け入れられたのもそうですが、やはり今もライトノベル界の定番となっている「美麗なイラストと美少女」を持ってきたのも大きいでしょう。海外のファンタジーってあんま美少女とか萌えとか関係ないですもんね。

 出渕裕の描いたエルフの美少女ディードリットは、衝撃でした。当時、ちょっとオタ入ってる男の子たちはそろってディードリットに萌え狂っていたものです。エルフといえば長い耳というのがなんか日本では定説みたいになったのもあそこからで、本来、ちょっと上が尖ってるくらいでそんなウサギみたいにびよーんと長い耳っていう設定はトールキンにも、もちろんその根っこである民間伝承にもないんですけど、ディードリット以来、日本のエルフのほとんどは長ーい耳を持つのがお約束になりました。

 まあ当時はまだ「萌え」という言葉が存在してなかった……と思います(記憶では)。なんだっけ。もうなんか「萌え」っていうのが普通になっちゃって私自身よくは思い出せませんが、80年代、アニメ『くりぃむレモン』シリーズなどで生産されるようになった「美少女+エロ」の需要が、ディードリットにむかってまっしぐらに噴出してた記憶が。

 当時はまだ同人誌とかもいちいち為替買って封筒で送って通販頼まなきゃいけない時代でしたが、コミックボックスや上記のコンプティーク、各種アニメ雑誌、アニメショップなどには同人誌通販コーナーがあって、かわいいアニメ同人誌の間にディードリット陵辱本とかふっつーに混ざってたなあ(当時はレーティングなどという概念もないのでふっつーに一般向けのほのぼの本の隣にエグいエロマンガとかあった)


 アニメやコミカライズもされ、『ロードス島』シリーズの爆発的な一般化によって、ファンタジー(RPG的ファンタジー)のお約束が若い読み手の間で共通認識として定着しはじめたころ、また新たな神が出現します。

 神坂一『スレイヤーズ』。

 これがロードス島に迫るか越えるかって勢いで超爆発的ヒットになりました。ロードス島はまだ、ディードリットがいたとはいえそれなりに硬派な戦記物で、ストーリーも主人公の戦いと成長、国家と神の衝突などを取り扱ったオーソドックスなものでしたが、スレイヤーズは、そのロードス島戦記が一般化した「RPG風ファンタジー世界のお約束」を逆手にとっておもいっきりパロディ化した、ギャグ・バトル・ファンタジーでした。


 ある意味、ロードス島戦記がなかったらスレイヤーズもなかったでしょう。パロディが受け入れられるのは、そのパロディ元のお約束がある程度世間に広く知られていないとなりません。ロードス島戦記が「ファンタジーという概念」をお約束として世に広め、行き渡ったところに、もっと気楽に読めて楽しい、肩の凝らない娯楽としてのパロディ・ファンタジーが降臨したのです。

 スレイヤーズのイラストは美少女コミックの作家あらいずみるいですが、スレイヤーズの内容自体の色気は、びっくりするほどありません。主人公のリナがそもそも色気のかけらもないドラまたリナの設定ですし。(胸ない胸ない連呼されているのにイラストではきっちり胸あるのはご愛敬である)

 しかし、ロードス島で一気に増加した「いわゆるファンタジーもの」に、すでに食傷気味だった読者層に(男女含めて)クリティカルヒットしたのがスレイヤーズです。その後の日本のライトノベルの一方向を作ったといっても過言ではありません。

 スレイヤーズが出る少し前に、深沢美潮『フォーチュンクエスト』シリーズも出始めていて、RPG的なレベルや職業、冒険者支援グループ、アイテムやクエストなどの概念を小説に持ち込んではいましたが、スレイヤーズほど大きく世界を戯画化するものではありませんでした。


 私はスレイヤーズ発刊直後、大旋風が吹き荒れるさなかの1991年にデビューしましたが、当時でさえ、編集さんが「もう『スレイヤーズ』は要らないよ!」と悲鳴をあげるほどの模倣作の山が新人賞に送りつけられてきてすごかったそうです。

 スレイヤーズの読みやすさを見て、「こんなのならオレでも書ける!」と思った人がいかに多かったかですが、いやいや、神坂さんの凄さというのは、その卓越したギャグセンスと痛快なキャラ造形にあったわけでしてですね。そんじょそこらの人間が真似できるようなものではなかったのですよ。まあしかし、いやもう当時はファンタジーバブルとか言われて、もうとにかくファンタジーであればなんでもいい! って、気の狂ったようにファンタジー作品が量産されてました。ほんとに。


 おそらく日本のライトノベル・ファンタジー界の二巨頭であろう『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ』が、海外のTRPGから発して、いかに現在のライトノベルの流れを作ったか、おわかりでしょうか。

 こうして見るとやはり、日本のファンタジー、特にライトノベル系の作品は、ゲームの大きな影響を受けて出てきていることがわかります。いま、なろうなどのサイトで異世界転生ものが大流行なのは、こうして見ると、ロードス島からスレイヤーズへと広がっていったライトノベルの、正統的後継者と言えるのかもしれません。主人公がとにかく強くてチートで、現代人の感覚でRPG風異世界を(ある意味)パロディしながら冒険するというのは、まさしくスレイヤーズの手法です。

 問題は、パロディはあくまで一発ネタなので、仕事として長く続けるストーリーを書くには、やはりセンスとストーリー、キャラ造形の工夫が必要になってくることですが……まあ、これも今も昔も変わりませんね。

 

 ライトノベルは日本でガラパゴス的な成長をとげたジャンルですが、海外におけるヤングアダルト小説とも違った位置にいる、かなり独特なジャンルでもあります。

 といって今、ファンタジーに分類される作品を書こうとすると、どうしても一般の窓口には出しづらい……もちろん一般向けの小説でファンタジーを募集している賞もありますが(新潮社ファンタジーノベル大賞、創元ファンタジィ大賞)ゲームやアニメの影響をうかがわせる作品は、どうしても「ライトノベルっぽい」「ラノベでやれ」と言われる傾向にあります。

 いろいろ制約もありますが、ライトノベルは基本的にとても自由なジャンルです。その「なんでもあり」なところが、過去に多くの作家を生み出す元にもなったのですが……


 次はもうちょっとライトノベルとファンタジーの話をしようかな。



 ……で、ええと、来週の授業は私、東京へ行って帰ってきた直後で、たぶんしゃべる元気がないのと、あと準備する暇もないと思われるので、ちょっとズルして、映画を一本見てもらいます。一時間半ちょっきりの映画なので、少し早く上映開始します。

『ダーククリスタル』。

 まあ私の趣味で申し訳ないんですけども、CGの存在しない時代、マペット(人形)とセットとかぶり物で、人間の存在しない完全な異世界を一から構築してみせた手腕は今見てもかなり素晴らしいと思われますので、よろしくお願いいたします。

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