城塞

「なぜ流暢に中言語を操れるのか、という顔をしているな」


 クムランに心中を言い当てられ、ウィルは内心舌を巻いた。


(闘技場では私を油断させるため、片言で話していたとでも言うのか)


「お前は俺を蛮族と見て侮ることはしなかった。相手の力量を正確に測れるのは戦士に必要な資質だ」


 真顔に戻ると、クムランは居酒屋の扉を開け、中に入るよう促した。

 先に店の中に入ったクムランに続き、ウィルとオルバスも扉をくぐる。

 薄暗い店の中には四つほどテーブルが並べられていたが、客はカウンター席に腰掛けている者だけで、ウィル達が入ってくると首を回してじろりと睨みつけてきた。明らかに歓迎はされていない。


「この者達なら心配はいらない。昨日、奴隷を買い取ってその場で解放するところをその場で見たのだ」


 クムランが先客に説明すると、客たちの表情が急に和らいだ。


「へえ、そんな粋な真似をする奴がまだこの国にいたとはね。あんた、どれくらいの金を払ったんだい」


 小柄ではしこそうな男が訊いてきた。


「150ギルダスだ」

「150だと?よくそんな持ち合わせがあったな」


 ウィルとオルバスがカウンター席に腰掛けるのを見つつ、男は目を丸くした。


「この者は、闘技場で俺に勝利して資金を増やしたのだ。持ち分を自分自身に賭けてな」

「へえ、あんたより強い男がいたのかい、クムラン?」


 小男の隣のずんぐりとした男が甲高い声をあげた。顔の色艶がよく、頭頂に小さな帽子を載せた姿は商人風にみえる。


「蛇咬剣を防げる奴がいるとは思わなかったのでな。あの時は少々面食らったが、この世には強い者などいくらでもいるものだ」


 へえ、と関心したように先客二人は感嘆の声を漏らした。


「で、そのお隣さんは誰だい?」


 小男がそう訊くやいなや、オルバスは待ってましたとばかりに、


「おお、よくぞ訊いてくれた。この俺はかつてダインベルト将軍のもとで傭兵として働いていてな。ひとたびこの大剣を手に戦場へ出れば、あまりの剣閃の激しさに敵は蜘蛛の子を散らすように逃げ散ったものだ。ついた仇名が旋風のオルバス。この腕前をどうにかアスカトラで活かしたいと思っていたんだが、今このクロンダイトでは正規兵すら削減する有様。この様子ではとてもとても兵になることなど叶わん。日々不満を抱えてくすぶっていたんだが、そこにこのウィルが現れてだな──」

「オルバス、彼らは君と私とはどういう関係なのか、と訊きたいのだと思うぞ」

「おっと、こりゃあいけない」


 先客の訝しげな視線を見てとったウィルの言葉を聞き、オルバスは頭を掻きながら笑った。


「まあ、俺はこいつの相棒ってとこさ。このアスカトラを憂える志は同じだ。平和税なんぞというこの国をむしばむ病をどうにかしなけりゃこの国に未来はない、ってところで意気投合してるんだ」


 平和税、という言葉を聞いたところで二人の目が油断なく光るのをウィルは目に留めた。


「ほう、あんたらもやはり平和税には反対かい」


 商人風の男が小男と顔を見合わせた後、ウィルとオルバスを交互に見つめた。

 その目にはどこかこちらを値踏みするような、心の奥を射抜いてくるような光がある。


「ああ、そうとも。カイザンラッドのような虎狼の国に貴重な金を貢いでやるなど言語道断。これでは今は平和を買えてもカイザンラッドを肥え太らせているだけだ」


 ウィルが熱を込めて語ると、小男は身を乗り出してきた。


「へえ、話せるじゃないか。さすがわざわざ奴隷を買って解放するだけのことはある」

「平和税など廃止してしまえば、この国の娘達があんな目に遭うこともなくなるのだ。まったく、陛下も一体何を考えておられるのか」

「そうだそうだ!陛下はあまりにも腰抜けすぎる。トゥーラーン様が戦に負けたところで、まだこの国にはダインベルト様もアズラム様もおられるというのに。いつからこの国は狼の群れに怯える羊みたいな国になっちまったんだ」


 商人風の男は悲憤慷慨、と言った風に吐き捨てた。愛想の良さそうな外見に反して、意外な激情を内に秘めているらしい。


「それで、だ。もし、カイザンラッドにくれてやる銭を少しでも減らす方法がある、と言われたら、お前たちは知りたくはないか?」


 クムランがウィルの背中から低く囁きかけつつ、軽く肩を叩いた。


(──いよいよ来たか)


 ミネアの情報が正しければ、クムランはこれからウィル達を護国隊へと誘い込むつもりだろう。


「それは、どういうことなんだ」

「ウィルとやら、お前達は腕が立つ。そこのオルバスという男もそうだろう。もしお前達が望むなら、この国を根本から作り変え、カイザンラッドをはねのけるための仕事に携わることができる。これ以上にやりがいのある仕事もなかなかないと思うが、どうだ」


 クムランの言葉が熱を帯びてきた。少し間をおいた後、このナディールの戦士は再び語り始める。


「今、このアスカトラは危機に瀕している。王はカイザンラッドの顔色をうかがい怯懦きょうだに流れ、国力は平和税に搾り取られるばかり。白銀協定の期限が切れれば、カイザンラッドは弱りきったこの国に一気に攻めかかるだろう。もうこれ以上は待ってはいられないのだ。我々の手で、この国を強きはがねに鍛え直さなければならい」

「つまり、我々はどうすればいいんだ」


 ウィルの問いかけに、クムランは少しの間目を閉じてから答えた。


「平和税を奪い、我等の首領に捧げる」


 隣でオルバスが息を呑んだ。ウィルは深呼吸した後、言葉を継ぐ。


「奪った平和税を何に使う?」

「より強きアスカトラを作るために用いる。この国を中から変え、いずれ襲い来るカイザンラッドに対抗できる国にしなくてはならないのだ」

「ううむ、しかしだな」


 オルバスがクムランの言葉を遮った。


「しかしそれなら、まずは王に平和税をやめさせるように訴えるべきじゃないのか?」

「それでは白銀協定を破ることになる。あの腰抜けの王にそんな真似はできまい。奴はカイザンラッドの顔色をうかがうばかりで、その憂いを日々チェスに没頭して晴らす有様だ。奴が王である限り、平和税をなくすという選択肢はこの国にはないのだ」

「ううむ、そういうことか」


 オルバスは鎧のような筋肉をまとった太い腕を組むと、深く頷いた。


「平和税をなくすことができないのなら、奪ってでもより有効な目的に使う──というのはわかる。我々もできることなら、貴方方に協力したい。だが、貴方方の首領がどのような人物で、一体何を目指しているのか、もう少し詳しくお聞かせ願いたいのだが」


 ウィルは帽子の鍔を握り位置を直すと、そう問いを向けてみた。


「どうしてもこの先を知りたいか?」

「ああ、ぜひ聞かせていただきたい」

「それならば、ふたりとも瞑目し、天神アガトクレスに祈りを捧げよ。この国に仇なすカイザンラッドを打ち払うため志を立てる、とな」


 ウィルはオルバスと顔を見合わせたが、互いに短く頷いた後両手を組み、目を閉じた。


(これが、護国隊に入るための儀式だというのか──うっ)


 首筋に刺すような鋭い痛みを感じたが、痛みはすぐに快感に変わり、急に強烈な眠気が襲ってきた。ウィルは手の甲をつねり意識を覚まそうとするが、手に力が入らない。


「紋章武器、か……」


 薄れ行く意識の中で無理やり目をこじ開け、後ろを振り向くと、ウィルの視界の隅にかすかに翠玉色の針がクムランの拳の先から出ているのがみえた。目の前がぼんやりと霞み、蕩けるような心地良さが全身を包むと、ウィルの意識は闇に沈んだ。



 ◇



「──で、俺達はなんだってこんなことになっちまってるんだ?」


 手首に嵌められたかせを眼の前に突き出しながら、オルバスがぼやいた。

 ウィルとオルバスは両手の自由を奪われたまま馬車の荷台に揺られつつ、どことも知れない山道の中を進んでいる。道路脇の草花には朝露が降り、周囲のくさむらからは紫の濃い山葡萄がときおり顔をのぞかせている。どうやらここがクロノイアからかなり離れた土地のようだ。御者はこちらを振り向かないが、馬の尾のように束ねられた黒髪はクムランのものに他ならなかった。


「まだ、我々を信じる気にはなれないということだろうさ」


 ウィルはかぶりを振りつつ、どうにか眠気を振り払おうとしていた。周囲を見渡すと、辺りの森はまだ朝靄にけぶっている。一体、あの居酒屋で倒れてからどれくらいの時が経ったのだろう。


「まあ、そいつはそうか」


 オルバスは手枷を嵌めたまま乱雑に頭を掻いた。さすがに歴戦の傭兵らしく、この状況に陥っても慌てたりはしないようだ。


(この先、おそらく我々は試されることだろう)


 まだ自分達は信用されていない。それも当然のことだ。自分達が護国隊の首領を討つために潜入しようとしたのは事実なのだから。それならばなおさら、自分達を護国隊に信用させるよう振る舞わなくてはいけない。


 馬車は何度も山道を折れつつ、少しづつ山頂へと近づいていくようだった。この先に護国隊の山塞があるのだろう。アスカトラを作り変えるなどと言っていたが、やはり護国隊の実態は山賊のようなものなのだろうか。


(──おや、あれは)


 馬車が歩速を緩めると、前方に石壁が張り巡らされているのがみえてきた。壁の外周は相当に長く、山塞全体をぐるりと取り巻いているようだ。

 クムランがいったん馬車を止め、門前に立つ衛兵と二言三言言葉を交わすと、再び馬車が動き出した。門扉をくぐった馬車の荷台から辺りを見渡すと、左手には畑があり、右手には木造の家屋が建ち並んでいる。家並みの中には鍛冶屋もあり、前掛けを掛けた男が剣を磨いでいる姿もみえた。遠くには風車が回っており、井戸の周りでは水汲みに集まった女たちが愉しげに言葉を交わしている。


 馬車が進むと、前方には無骨な広い円塔が天へと突き立っている。これが主城なのだろう。塔にはいくつかの四角い穴が穿たれているだけだが、いざ戦争ともなればこの狭間から矢が放たれるに違いない。その脇には訓練場らしきものが設けられており、兵士の形の人形に斬りかかる者、的に向かって矢を射る者などがみえた。誰もが一心に訓練に打ち込んでいるように思える。


(これは、山塞どころではない。立派な一個の城塞だ)


 ウィルは内心舌を巻いていた。粗末な砦でも現れるのかと思っていたが、これはもはやひとつの街と言ってもいい。一体、何者がここを治めているというのか。護国隊とは何なのか。ただの賊などではありえないことはもはや明らかだ。


「よし、降りろ」


 主城がほど近くなると御者は馬車を止め、ぶっきらぼうに言った。

 ウィルが手枷をつけたまま荷台から降りると、主城のアーチ型の門からひょろ長い男が現れた。厚い胸甲に彫り込まれた立派な獅子の紋様が、茫洋とした表情とはどうにも不釣り合いだ。


「この者達が新入りか?」

「はっ、クロノイアの酒場より連れてまいりました」


 クムランが簡潔に答えると、長身の男はじろじろとウィルとオルバスを眺め回し、


「ふん、まあそれなりに使えそうだな。最近は妙に狼どもが増えているから、屈強そうな奴らは大歓迎だ。枷を外してやれ」


 クムランに手枷を外され、ようやく手が自由になると、オルバスは思い切り伸びをし、ウィルもまた肩を回した。


「さて、まずはお前たちの持ち場を決めねばならんな。その前に一通り施設の案内を──」

「隊長、敵襲です!アスカトラ軍が攻めてまいりました!」


 急いで走ってきたらしい伝令が、会話に割り込んできた。

 息を弾ませながら焦燥をおもてに滲ませる伝令を前に、ウィルはオルバスと顔を見合わせた。

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