竜将ヴァルサス

「そうか、ハリドがしくじったか」


 鷹のように鋭い目つきで眼の前の褐色の肌の娘を眺めつつ、男はテュロス城の大広間に威圧的な声を響かせた。

 肩まで伸びるぐな黒髪と端正な目鼻立ちは貴公子然とした印象を与えるが、頬に斜めに走る傷跡はこの男が幾多の戦いをくぐり抜けてきた猛将であることを伺わせる。

 黒い甲冑の背に流れる豪奢な緋のマントも、男にただならぬ風格を付け加えていた。

 

 男が腰掛ける椅子は玉座にも匹敵する豪華な作りで、一面に金箔が貼られている。

 カイザンラッドの竜将にしてボエティア州の太守も兼ねているこの男の力は、一国の王にも等しい。

 七竜将の末席にあって、ファルギーズの野でトゥーラーンを大敗させた若き闘将──その名を聞けばアスカトラの誰もが震え上がる竜将ヴァルサスが、この男の名だ。


「ハリドは阿呆鳥アルバトロスの異名を取る詩人の策にかかり、その軍は壊滅しました。ハリドはこの詩人の前で自害して果てております」


 淡々とそう告げた娘は、すらりとした身体を無骨な軍装に包んでいる。

 銀色の美しい髪を後ろで束ねた姿は他の皇国兵と変わりがないが、ただ一点、わずかに尖った耳だけがこの娘が人とエルフの双方の血を引いていることを示していた。


「機密を漏らさぬ矜持だけはあったということか。まあよい。失った駒は補充すれば良い」


 ヴァルサスはハリドなど所詮捨て駒としか思っていない。

 豊かな者達への憎しみは人一倍だったためヘイルラント攻めには使えると思っていたが、その目論見は外れてしまった。


「……して、その戦場詩人なる者、紋章を斬ったというのは本当なのか」

「はっ、ハリドは確かに額の紋章の力を発動できなくなっておりました。もし紋章が健在なら、ヘイザムの木々をも味方につけてエルフにも対抗できたかと」


 眼の前の娘は、鷹に魂を乗せることができる。

 この娘は上空から、ハリドの軍が森エルフから針鼠のように矢を突き立てられる様をつぶさに見ていたのだろう。


「その詩人とやらは、今でもヘイルラントにとどまっているのか」

「それはしかとはわかりません。詩人ゆえ、アスカトラへと旅立つことも考えられます。しかしそうなった場合、さらに厄介な事態にも発展しかねません」

「うむ……その者がヘイルラントでの勝利を詩で煽り立てれば、アスカトラの者共が再び我等に牙を剥いてくるかも知れんな」


 ヴァルサスは詩の力を誰よりも恐れていた。

 カイザンラッドの悪名を一気に高めた「詩人狩り」は、この若き名将の発案によるものである。

 

 今を去ること十年前、皇国の最東方のボエティア地方で反乱が起こった。

 この地にはかつて優れた剣奴を輩出することで知られたボエティア王国が存在していたが、カイザンラッドの竜将ターリクが十二年前に攻め滅ぼしており、一時は王族の生き残りを通じて間接統治するという形態を取っていた。

 人心が安定するまではその地の支配者を仮王に立て、太守を監視役として付けるのがカイザンラッドのやり方である。

 太守の緩やかな監視のもと、ボエティアは滅びて後三年の間は一見平穏を保っているかのように思われた。


 しかし、カイザンラッドの下風に甘んじることを良しとしなかった仮王は皇国に反旗を翻すことを決めた。

 この時、反乱軍の愛国心を煽り立てたのが詩人たちだった。

 その本質が享楽的であり、日々酒色にふけっていた仮王は宴席に侍る詩人たちに陛下こそがボエティアを復興する英主だとおだてられ、己の力量も顧みず兵を挙げることを決意した。

 怯懦きょうだな仮王にさえかりそめの勇気を与える詩の力を、ヴァルサスはこの時はじめて脅威に思った。

 

 この反乱の鎮圧に功績を上げ、出世の糸口を掴んだのがヴァルサスだった。

 ヴァルサスはもともとはボエティアで一番の人気を誇る剣闘士で、剣の腕を買われてボエティア仮王の護衛隊長を務めていたが、その地位はヴァルサスの野心を満足させるに十分ではなかった。

 有能でありさえすれば身分を問わず、時に将軍にも取り立てるカイザンラッドの支配の方が、ヴァルサスにはより好ましかったのだ。

 

 護衛隊長の地位を利用して反乱軍の行動計画を知ったヴァルサスは、ボエティア側の情報を逐一皇国へと漏らした。

 カイザンラッドと通じたヴァルサスは、年に一度の剣闘士トーナメントの授賞式に太守が出席することを仮王に報告した。虚栄心ばかりが先走る仮王は、授賞式でコロシアムの観客を前に自ら太守を血祭りにあげることを決意した。

 仮王は反乱軍の兵を観客席に紛れ込ませておき、太守を殺害するときには自分を手伝わせるつもりでいた。その中にはヴァルサスも混じっていたが、ヴァルサスは密かに客席から姿を消した。


 この日、トーナメントを破竹の勢いで勝ち上がってきたのは仮面で顔を覆った無名の剣士だった。恐るべき強さを発揮し優勝候補だった二刀使いのガルスを破った剣士は見事優勝し、太守は手ずから剣士に呪晶石を嵌め込んだ頭冠を与えようとした。

 そのとき、がら空きとなった背中を狙い短剣を突き立てようとした仮王に、突然仮面の剣闘士が体当たりを決めた。

 仮王を助けるべく観客席から駆けつけてきた反乱軍も、密かに大守が待機させていたカイザンラッド兵に斬り捨てられ、生き残ったボエティア兵もたちまち剣闘士の剣の餌食となった。


「お前ごときがこの国を再興しようなど、愚かしい限りだ」


 冷たい声が飛び、剣闘士の仮面が脱ぎ捨てられた。その下から現れたのは他ならぬヴァルサスの顔だった。

 仮王は脂汗を流しつつ身体を震わせ、助けを求めるような目で先ほど殺そうとした太守に目をむけた。ヴァルサスは太守の喉元に剣を突きつけたまま、微動だにしない。

 

「太守様、ひとつお願いを聞いていただけますか」


 太守の方を見ようともせず、ヴァルサスは言った。


「そなたは私の命を救ってくれた恩人だ。何なりと望みを言うがよい」

「この者との試合を所望します」


 太守は長い髭をしごきつつ、満足げな笑みをみせた。


「ほう、自ら謀反人に手を下したいと申すか。それもよかろう」


 ヴァルサスは仮王から剣を引くと、太守に一礼した。 

 すでに歯の根が合わなくなっている仮王は怯えた目で大守を見つめるが、しばらくしてようやく震える手で腰の剣を抜いた。


「始め!」


 審判の掛け声が飛ぶと、先に動いたのは仮王だった。

 なにやら奇声をあげながら大振りに斬りかかった仮王の一撃を難なくかわし、わずか三合だけ渡り合った後、ヴァルサスは仮王の剣を叩き落とした。

 客席から上がる歓呼の声に答え、ヴァルサスは客席を向きつつ剣を天に突き上げた。長年コロシアムで生きてきたヴァルサスには当然の振る舞いだった。


「ま、待て、殺さないでくれ!せめて命だけは助けてくれぬか」

「謀反を起こしておいて今さら命乞いか?俺が殺さなかったところで、どの道お前は死刑だ」

「私はお前を護衛隊長の地位にまで就けてやったではないか!それをこのような仕儀に及ぶとは、恩を仇で返すつもりか」

「お前に恩を感じたことなど、一度たりともない。お前は俺を奴隷としか見ていなかっただろうが」


 ヴァルサスは護衛隊長の地位を得てはいたものの、仮王は奴隷の身分からは解放してはくれなかった。あくまで剣奴のまま己のために力を振るえ、というのが仮王の命令だった。俸給も与えられず、奴隷の象徴である剃り上げた側頭もそのままだった。

 仮王は何の落ち度がなくとも気紛れにヴァルサスを犬と面罵し、酒が回れば鞭打つことさえあった。

 人としての尊厳は与えず、忠誠だけは求める。そのような男に一生を捧げる気などヴァルサスにはなかった。

 

「お前に生きる価値があるかどうかは、観衆の判断に委ねよう」


 ヴァルサスが声を張ると、観衆は右手を上げ、立てた親指を一斉に下に向けた。それは殺せ、という意思表示だった。誰もがこの哀れな敗者の死を望んでいた。


「お前が生きることなど誰も望んではいない。奴隷の手にかかって死ぬ気分はどうだ?お前が犬とまで蔑んだ男のためにこの国を滅ぼされたとあっては、黄泉の国の先祖にも申し開きができんだろうな」


 そう言い放った後、ヴァルサスはその場で躊躇なく仮王の首をねた。返り血がヴァルサスのおもてを紅く彩り、その唇に凄惨な笑みが浮かんだ。

 

  

 太守はヴァルサスの大胆な行動に目を見張ったが、その度胸と才知を買い、すぐに百騎長として軍に採用した。

 ボエティアの事態を重く見た時の皇帝はヴァルサスの進言を容れ、詩人は国を誤らせる害虫だとして根絶やしにすることを決めた。

 文芸に深く傾倒していた皇妃ソフィアと彼女の息子セリオン皇子は詩人狩りに強く反対したため皇帝アルティザードの怒りを買い、皇妃は獄死し、セリオン皇子は国外追放処分となった。

 二人のたどった運命には皇国民も密かに胸を痛めたが、すでにカイザンラッドにはこの親子の魂を鎮める詩人は存在しなくなっていたのだ。


 その後各地を転戦し抜群の功績を上げ、ヴァルサスは史上最年少で名誉あるカイザンラッド七竜将の末席に名を連ねることとなった。

 あまりに早い昇進を七竜将の一人ターリクなどは危ぶんでいたが、それが杞憂であることをヴァルサスはファルギーズの戦いで証明した。

 これ以上ないほどの完璧な勝利を収めたヴァルサスの戦いぶりはカイザンラッドの兵法書に新たな章を加えさせるほどだったが、彼の勝利を讃える詩人はもはや皇国には存在していなかった。


「ディリータよ、詩人などというものはこの世に存在してはならない連中だ」


 ヴァルサスは椅子から立ち上がると、褐色の斥候に歩み寄った。

 脳裏をかつて自分を非難したセリオン皇子の姿がかすめる。

 セリオンは、詩人狩りなど提案するヴァルサスは危険すぎる、このような者を登用してはならないと必死で皇帝に説いた。

 その言葉を皇帝がれることはなかったが、あの時はヴァルサスの心中を怒りの劫火が焼いていたものだった。剣奴として己を虐げたボエティアのくびきからようやく脱しようとしている時に、なぜこの皇子は邪魔をするのか。


 皇子は母である皇妃ソフィアに似て、文芸の保護者だった。

 当然、詩への造詣も深く、ヴァルサスの説いた詩人狩りにも反対した。

 剣のみで己の運命を切り開いてきたヴァルサスは、詩人のような言葉を飾りたがる者が嫌いだった。自身が優れた詩人でもあるセリオンは、その恵まれた弁舌の能力を活かしてヴァルサスの登用を止めさせようとした。

 

 この時から、ヴァルサスの詩人への怨みはよりいっそう深くなった。

 この先、ヴァルサスがアスカトラの地を征服したとしても、詩人は必ず根絶やしにするとこの若き将は心に決めている。

 かつてのボエティアのように、征服した土地で詩人に反乱など煽られたら面倒なことになる。人の心に火をつけるような者は、排除しなくてはならない。


「ディリータ、アスカトラがお前をどのような目に遭わせたかを思い出せ。お前の母パリサを死に追いやったのは、誰だ?」


 ヴァルサスの右手がひざまづいているディリータの頭頂に伸びる。

 ヴァルサスの額の紋章が毒々しく輝くと、ディリータの瞳が虚ろに瞬く。


「……国王、クロタール2世です」

「では、お前をアストレイアから追ったのは誰だ?」

「クロタール2世です」

「わかっているなら良い。では、そのクロタールを滅ぼすのに最もふさわしい者は誰だ?」

「ヴァルサス様です」


 ヴァルサスが問いを繰り返すたびに、ディリータの表情が怒りに引きつり、目が据わっていくのがありありとわかかる。やはりこの紋章の力は偉大だ。聖紋など持たなくとも、古代技師の力を借りれば生まれつき紋章を持つ者どもと同じ舞台に立てる──そう思うと、ヴァルサスは昏い喜びが湧いてくるのを抑えることができない。


「お前に塗炭の苦しみを舐めさせたアスカトラなど、この地上から消え去れば良い。これはお前のための戦いでもあるのだ。カイザンラッドならば、お前の働きも正当に報いられる。これからも皇国のため力を尽くせ」

「はっ」


 ディリータのいらえは迷いがなかった。

 もう完全に、この山岳エルフの娘の心中は復讐の一念で染め上げられている。

 この駒を手中にしている限り、アスカトラは我がたなごころの中にある──そう確信し、ヴァルサスは一人ほくそ笑んだ。

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