阿呆鳥と呼ばれた詩人

阿呆鳥アルバトロスですと?どうやらその名の通り、貴方は正真正銘の阿呆のようですね。我がカイザンラッド軍の前に詩人が名乗りを上げるなど、鼠が自ら鷹の口に飛び込むようなものではありませんか」


 ハリドは唇の端を吊り上げた。残忍な笑みが貧相なおもてを彩る。


「詩人狩りなどという無粋な真似をする国家の横暴を許すわけにはいかないのでね。私は伊達と酔狂で詩を紡ぐ者。劣勢にある者を勝利に導かなければ、心震わすサーガなど生まれようがないさ」

「ほう、では貴方は私が劣勢にあったら私を助けるとでも言うのですか?」

「それはまた別問題だ。貴公は助けたくなるような人徳に欠けているのでね」

「ほざくな!」


 ハリドはアレイドの身体からつたを離すと、今度はウィルへと蔦を伸ばしてきた。しかしウィルは微動だにせず、歌うように何やら詩句を唱え始めた。


 天空より来たれ、戦乙女の熾光

 我が剣に宿りて、災厄の鞭を打ち払わん──

 

「何をぶつぶつ言っている?我の紋章の力に怯え、神頼みでも始めたか?」


 ハリドが嘲弄ちょうろうの言葉を漏らすと、ウィルの剣の周りに細かい文字が浮かび上がり、渦を巻くように刀身の周囲を回転し始めた。

 ウィルの剣に蔦が巻き付き、強い力で絡め取ろうとするが、詩人が剣を握る腕に力を込めると刀身から黄金の光が放たれ、瞬時に蔦が焼ききれてしまった。


「ば、馬鹿な……まさか、吟唱呪ぎんしょうじゅだと?」

 

 はじめて紋章の力を打ち破られたことに驚愕し、ハリドは上擦った声をあげた。


「このような偽りの力で私に立ち向かうなど笑止。邪法で無理に紋章をその身に刻んだところで、その力はたかだか詩人の口遊びにも及ばないのだ」

「何を言うか!私の力を見くびる気か」


 そう言いつつも、明らかにハリドの顔には狼狽の色が浮かんでいた。

 その様子に応じてか、額の紋章が輝きを失いつつある。

 その機を見逃さず、ウィルは声を張り上げた。

 

「天地のことわりに逆らう邪紋、我が剣にて断ち切る!」


 ウィルは剣を頭上に振りかぶり、一気に振り下ろすと剣の先からは文字の奔流が黄金の光の束に乗って放たれ、ハリドの眉間に命中する。

 額の紋章が二つに断ち割られ、光を失い、ハリドは苦悶の呻き声を漏らしながら地にくずおれた。


「ぐっ……一体何をしてくれた、貴様」


 ハリドが額を抑えつつ、身体をわななかせる。


(紋章を斬った、ですって……?)


 コーデリアに絡みついていた蔦の力が弱まり、少しづつほどけてゆく。

 このままでは地に身体を打ち付けると見てとったウィルは急いで駆け寄ると、落下してきたコーデリアの身体をしっかりと抱きとめた。


「あ、ありがとう──ございます」


 コーデリアは驚きに何度も目をしばたくと、ようやく言葉を発した。


「いえ、私は戦場詩人として当然の勤めを果たしたまで。彼の者の紋章は魂への定着が浅かったため、無事斬ることができました。それより、まだ我々のサーガは終わってはいませんよ?」


 ウィルが顔を向けた方向からは、粗末な革鎧を着込んだ三十人ほどの男達が慌ただしく城門から駆け込んできた。コーデリアが「号令」の紋章の力で呼び寄せた自由騎士たちだ。


「お嬢さん、遅くなって申し訳ねえ!」

「カイル、貴方こそ無事で何よりです」


 額の汗を拭いながら叫ぶ先頭の四十絡みの男は浅黒く日焼けしており、実直な農夫といった顔立ちだ。平時には鍬を握るその手に剣を握るこの男は、自由騎士団総長という肩書きも持っている。


「彼らはカイザンラッドの手の者です。先程は私を脅して、この城を譲渡せよと迫りました」

「ふざけやがって、俺達の城をこんな連中に渡せるかよ。おい野郎ども、さっさとこの邪魔な雑草を抜き取っちまえ!」


 カイルはそんな土臭い台詞を吐いた。 

 騎士と言っても自由騎士団は普段は農夫で、民兵に毛の生えたような者達ばかりだ。その声に従い、カイルの後ろの自由騎士たちは剣や棒を手にハリドに殺到した。


「どうやらここまでのようですね。引き揚げますよ」


 ハリドは緊張をおもてに滲ませ、部下に号令した。

 カイザンラッド兵が自由騎士の前に壁を作り、めいめいが手にした剣を真っ直ぐに前に突き出す。

 剣身に刻まれた紋様が光ると周囲の空気が震え、剣の林の先に古代ハイナム文字の散らばる円形の呪法陣が描かれた。

 空中の呪法陣が光を増し、絵画にも似たハイナム文字が不気味に明滅する。


「放て!」


 ハリドが一言叫ぶと呪法陣の中から突風が巻き起こり、自由騎士達に吹き付ける。

 カイル達は耐えきれずに次々と地へ転がされ、すかさず立てた爪もその身体を地に繋ぎ止めておくことはできず、強風に押されて長い線を地面に描いた。


「くそっ、紋章武器かよ。用意のいいこって」


 もうもうと巻き起こる土煙に巻かれながら、カイルは悔しそうに叫んだ。

 視界が晴れる頃には、すでにカイザンラッド兵の姿はどこにも見えなくなっていた。



「ああ、我ながら不甲斐なきこと。この老骨、危うくお嬢様をカイザンラッドの手に渡してしまうところであった。カイルよ、礼を申すぞ」


 アレイドが腰をさすりながら立ち上がると、その言葉をカイルは微笑で受け止めた。


「なあに、お嬢さんにはいつも世話になってますからね。それより、礼ならそっちのお兄さんに言ったほうがいいんじゃないんですかい?」


 カイルが顎をしゃくると、その先ではウィルが鍔に手をかけ、帽子の位置を直していた。詩人らしく常に身なりは気にしているようだ。


「し、しかしその者は勝手にお嬢様のお体に触れ……」


 聖紋を持つコーデリアの血筋を誇りに思っているアレイドは頭が固い。

 さばけた者の多いヘイルラントの中にあって、この老騎士だけが謹厳な側近として、いつも口やかましく周囲に礼儀作法を説いている。


「アレイド、またそんな古いしきたりを持ち出すんですか?私に触れなければ、助けることもできなかったでしょうに」


 コーデリアが呆れたように言うと、ウィルがアレイドの前に進み出て恭しく一礼した。


「これはこれは、つい身分もわきまえず不調法な真似をいたしました。非常時にてとっさにあのような対応をいたしましたが、本来私のような流れ者が尊き御身に触れるなど叶わぬこと。いつでも処断される覚悟はできております」


 詩人らしく、ウィルの口からは滑らかに言葉が流れ出る。涼やかな蒼い瞳は見るものを落ち着かせる静かな光をたたえ、口元にはどこか人好きのする笑みが浮かんでいる。


「ええい、ぺらぺらと心にもないことを口走りおって、これだから詩人は気に食わんのだ。お前ごとき、わしの剣の錆にするにも値せぬわ。褒美は後で取らせるから、二度とコーデリア様に近づくでないぞ」


「申し訳ありません、ウィル。これでも悪い人ではないんですよ。ただちょっと頑固すぎるのが玉に瑕で」


 二人の間に割って入るコーデリアに、アレイドは色をなした。


「私はただ、お嬢様を不埒者からお守りしているだけにございます!」


「はいはい、貴方の忠勤ぶりにはいつも感謝していますよ、アレイド。あまり頭に血を上らせると体に障りますから、少しは落ち着いてくださいね」


 コーデリアに年寄り扱いされなおも抗議しようとするアレイドの肩を、カイルが後ろから叩いた。


「まあ、その辺にしときましょうや。今夜はこの勝利を祝って祝勝会といきましょう。おい野郎ども、さっそくライサんとこの羊をつぶすぞ。大広間には麦酒もたっぷり運び込んどけ。今夜は祝宴だ!」


 自由騎士たちが得物を天に突き上げて歓声を上げると、コーデリアもようやく安堵の笑みをこぼした。



 やがて陽も落ち、ナヴァル城の大広間には楽人の奏でる陽気な音楽が鳴り響いていた。男女一組のペアが楽曲に合わせて踊るさまを、ウィルは満足げに見つめている。嫁入り前の娘が男達の前で堂々とスカートの裾を翻す姿は、開放的なヘイルラントでしか見られない光景だった。

 

 ここに集う民にはカイザンラッド兵の放火により焼け出され、一時期城に収容するため集められた者もいたが、そういう者ですら突如この地を襲った災厄を忘れて飲み騒いでいる。開拓民の子孫であるためか、ヘイルラントの民は今日を思い煩うより明日に希望をつなぐ性質の持ち主だった。


「どうです、楽しんでいますか、ウィル?」


 どこの馬の骨とも知らぬ詩人に気さくに声をかけてくるコーデリアもまた、ヘイルラントの民だった。祖先はアスカトラの領邦クロンダイトの貴族だったと言うが、当人はそんな血筋になど大したこだわりは持っていない。

 コーデリアの身につけている衣服はスカート丈が短く、膝にも届かない。脚には白いタイツを履いている。活動的なことを良しとするヘイルラントでは貴人も裳裾を引きずって歩いたりはしない。


「ええ、お陰様で。このような美味しいものまでいただけるとは、私も働いた甲斐があったというものです」


 皿から手に取った羊の骨付き肉を咀嚼すると、ウィルは顔をほころばせた。肉汁の滴る野趣溢れる料理を見ていると、食欲がとめどなくあふれ出てくる。


「遠慮せずにどんどん食べてくださいね。なんと言っても、今日の勝利の功労者は貴方なんですから。褒美は明日にでも用意させますが、何か希望の品はありませんか?できるだけ貴方の期待にお応えしたいのです」

「欲しいもの……ですか。そうですね」


 ウィルは首をひねると思案顔になった。しばらく間を置いた後、ウィルは何か思いついたようにはっと顔を上げると、


「では、ヘイルラントの誰もが羨むものを所望いたしましょう」

「誰もが羨むもの、ですか?」


 小首を傾げるコーデリアの前で、ウィルは帽子を脱ぎ、大袈裟に一礼してみせた。


「コーデリア様を独占する権利です」


 ウィルは呆気にとられているコーデリアの手を取ると、陽気に踊り続けるヘイルラントの民の輪の中へと連れ出した。口笛や歓声が大広間のあちこちから飛び、コーデリアもさすがに顔を赤らめた。


「コーデリア様、踊りながらでかまいません。少しの間、私の話を聞いて欲しいのです」


 ウィルはコーデリアに顔を寄せると、そっと耳打ちした。ウィルの真剣な様子に、コーデリアは無言で頷いた。

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