第4話 東海道の謎②

 第一京浜国道、第二京浜国道に続いて、さらに『第三京浜道路』が1964年(昭和39年)に一部開通し、翌年全線開通した。

 この第三京浜は、『第三京浜国道』とは呼ばずに『第三京浜道路』と呼ぶ。つまり『国道』ではなかったのだ。今でこそ第三京浜は『国道466号』となったが、実は二級国道に昇格したのは1993年(平成5年)になってからのことである。


 第三京浜の計画は、1929年(昭和4年)の鎌倉急行電気鉄道が渋谷から藤沢を経由して鎌倉までの鉄道事業免許を取得したことに始まる。

 その後1954年(昭和29年)に、東急が終点を江の島にして自動車専用道に計画変更したが、建設省による整備が決まったことから、東急の計画はさらに鉄道に戻して路線を修正し、田園都市線の敷設へと変更される。


 第三京浜は、1961年(昭和35年)に日本道路公団が事業許可を受けて建設が始まり、1964年(昭和39年)に玉川インターチェンジ⇔京浜川崎間が暫定開通すると、1965年(昭和40年)には全線開通した自動車専用の有料道路となっている。

 ではなぜ『国道』の指定を受けられなかったのか。

 建設省は二つの理由を挙げて国道の指定は出来ないとした。


 第一の理由として、第一京浜と第二京浜のバイパスとするには、

  ① 第一京浜および第二京浜とは、重要経由地が異なる

  ② バイパスの一部を専用道路とするものを国道指定するのは困難

  ③ 全線を専用道とすることは可能としても都内側の受け入れ態勢に難点がある

  ④ 首都高3号線を延長して結ぶとしても、3号線は都道である

 第二の理由は、二級国道に指定するにしても

  ① 事務手続きの問題

  ② 自動車専用道とするには都知事、神奈川県知事、横浜市長が共同して指定する必要がある

  ③ 二級国道の指定をするには、二級国道である246号(東京厚木線)に結ばなければならず、計画を変更しなければならない


と様々な理由を挙げて、法改正をしてまで国道の指定をしようとせず、都道・県道でスタートした。


 ところで第三京浜は、有料道路であるが、全線開通して既に50年が経ち、建設費の償還は既に終わっていることから、「無料化されてもいいのでは?」と思われる方も多いことと思う。

 しかし、第三京浜は横浜横須賀道路と建設費償還根拠が同一プールになっているため、今に至っても無料化されていない。

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