3.踊るイルカ

 イルカは絶滅した動物だ。

 いまでは架空の生き物とする説もある。海に住み、超音波を介して言葉を交わし、人間よりも優れた知性を持っていたという。

 老師はイルカを見たことがあると言っていたが、ジェフは到底そんな生物の存在を信じられずにいる。


 メリーが打ち合わせの場に選んだ店の名は、その滅びた生き物に因んだものだと思われた。

『踊るイルカ』亭という。

 王都の広場に面した店であり、それなりに繁盛しているらしい。夜にはバーになるような大衆向けの食堂で、入口に置かれた樽には白い塗料でイルカのシルエットが描かれていた。


「そうなんですよ」

 注文した華水キヴカを一息に飲み干すと、メリー・デイン・クラフセンは杯をテーブルに叩きつけるように置いた。

「私、嫌がらせを受けてるんです。入学試験すら受けさせてもらえないなんて、信じられますか? ひどいですよね?」

「確かに」

 ジェフは深くうなずくしかない。

「俺も同じ目に遭った」

 先ほど、彼も入学試験すら受けられずに追い返されたところだ。スノウはテーブルの上で羽を畳み、コーンの欠片をついばみながら、二人の会話を聞いていた。

 いくらスノウでも、食事の最中は多少なりとも静かになる。


「私の実家が邪魔してるんです」

 と、メリーは言った。

「絶対に入学させるなって、言われてるらしくて」

「名前からして、このお方、貴族のお嬢さんですな」

 スノウが控えめに口を挟む。

「大旦那様に教えられたでしょう、若」

「そういえば」

 ジェフにしてみれば、記憶の底にしまい込んでいた事柄だ。竜殺しに関すること以外は、優れた生徒だったとはいえない。

 彼の老師いわく――この大陸の貴族は、ミドルネームに九種類の祖先の名を持つ。例えば《光輝なる》ナーラン、《癒し手》クリッグ、《鉄塔》デイン。彼らはいずれも伝説の英雄である。


「だが」

 ジェフは彼自身の華水キヴカを少しずつ口に含む。

 果実類の葉を煮出して作られるこの飲み物は、土地によって大きく味が異なる。ジェフにすれば、王都の華水キヴカはやや甘すぎた。一度には飲めない。

「なぜ実家が邪魔を?」

「貴族の子女たる者、魔法の技を学ぶのは相応しくない――だ、そうです。特に魔女の学園は、危険すぎるって。納得できませんよね」

 ジェフにはよくわからない理屈だったが、貴族ならば貴重な子女を学園に入れるようなことはしない。王立ダルハナン学園は、戦う魔導士を育成する機関である。

 戦場に赴けば、命を落とす可能性があるのは当然のことだ。家系の安定を第一に考える貴族なればこそ、認められないこともある。


「貴族だからって、魔導士になれない理由はないでしょう」

 呟いて、メリーは爪を噛んだ。癖のようなものだろう。

「私には溢れんばかりの才能があるし、情熱も志も人一倍なんですから。それをあの愚物どもが、余計な手を回して……学園も学園です。私のような天才を入学させないなんて、深刻な損失なのに……!」

 彼女が虚空を睨みつけるようにすると、さらに暗い陰が周囲に満ちていくようだ。これもまた、メリーの性分のようなものに違いない。


「若、若」

 メリーの様子を観察して、スノウが小声でささやいた。

「あんまり関わらない方がいいと思いますけどね、このお嬢さんには。色々な意味で危なそうというか、ろくでもない予感がしますぜ」

「情熱も志もある、と本人で言っている。それは得難い資質だと、俺も思う」

 ジェフは手を伸ばし、スノウの嘴を閉じさせた。

「それに彼女は、俺の数少ない友人となった。あまり失礼なことを言うな」

「忠告はしましたからね」

 拗ねたのかもしれない。スノウは翼を羽ばたかせて、身軽にテーブルの上から飛び立った。天井の梁の上に止まり、静観を決め込むつもりだろう。


「きみには覚悟と決意がある」

 ジェフは正面からメリーを見据えた。

「それだけは、俺にもわかる。きみと友人になれてよかった」

「え、あ、あ。ああああ」

 メリーは、ひどく慌てた。自分の顔を覆って、何かを抑え込むように手を伸ばす。

「やめてください。す、すごい……他人から。しかも男の人から評価されるなんて……私、いま、顔から火が出そうな感じです」

「顔から火が」

 ジェフはその比喩を理解できず、ただ自己流に解釈した。

「ドラゴンにもない能力だ。やはりきみは得難い存在なのかもしれない」

「や、やや、いやいやいや。それはあの、まあ、そうかもしれないですけど! いまはそういうことじゃなくて!」

 メリーは激しく両手を振った。百度ほども往復させて振ったかもしれない。その間、ジェフはひたすら待った。スノウはつまらなさそうな鳴き声を、二度もあげた。


「――作戦があるんです」

 ひとしきり動揺して、冷静に戻ったらしい。メリーは机に身を乗り出して、声を低めた。

「学園教師陣との直談判です。かくなる上は、私の才能を強引にでも認めさせてやるしかありません……!」

「なるほど」

 ジェフは再びマントの内側の紹介状に触れてみる。

 そういえば、この紹介状にも宛先があった。タイウィン・シルバという名前の男。かつて老師が世話をしてやったという人物で、いまも学園にいるならば、教師になっているかもしれない。

 メリーの案も、悪くないように思えた。


「具体的には、どうする?」

「強行突破、そして侵入です」

 メリーは真剣な顔で言い切った。

「先ほどは失敗しましたけど」

「そのようだな」

「ええ。白昼堂々、正面からというのが良くなかったです。迎撃への対策も足りなかった。今度は夜更けに挑みます。夜の闇に乗じた侵入計画……そして!」

 ジェフの鼻先へ、メリーの指が突き付けられる。

「ジェフさんに手伝ってもらいたいのは、そこです! 見てください、この箒を。私が作ってみました。天才なので!」

 それは、大きな箒だった。柄の部分に装飾が施されているところを見ると、それなりに高級品なのかもしれない。

 何より、魔法の《しるし》が刻まれていることが、ジェフにはわかった。


「『飛行』の契約コード

 単純なものだ。ジェフには触れずとも理解できる。

 この箒は、空を飛ぶためのものだ。魔導士にとって、こうした日用品に《しるし》を与え、便利な道具とすることはよくある。


 魔法とは、契約コードと《しるし》から成る。

 ある存在と契約コードを結び、《しるし》を与えることで力を付与する。契約書を作り、印章を押す。その関係と同じだ、と、ジェフは老師から聞いた。

 大地と契約すれば、山を作り出すこともできるだろう。

 海と契約すれば、津波を起こすこともできるだろう。


 ただし、それは真に強力な一部の魔導士に限られる。

 常日頃から関係の薄い存在に対して、契約を結ぶことは難しい。体内の魔力価を莫大に消費するか、契約内容を巧みに形成するか、己とその存在を強く関係させておく必要がある。

 通常は、もっと身近な存在と契約する。

 親しんだ品に予め《しるし》を与えておき、それを使う。ある者は杖と契約を交わし、そこから火を放つ。あるいは雷を放つ。あるいは竜巻を起こす。そうした契約を交わす。

 日用品である箒に『飛行』の契約コードを与えるのは、よくあることだ。


「まず、ジェフさんがこれを使って、空を飛ぶじゃないですか」

「ああ」

 ジェフは調子を合わせた。他に何を言えばいいかわからなかった。

「私がその後ろに乗って、迎撃魔法をさらに迎撃します! 私、天才なので!」

 堂々と胸を張る。やはり発育は良くない、と、ジェフは思った。コーデリア・マーレイの方が二つ、三つは年上に見える。

「どうですか? 完璧な作戦じゃないですか? 先程は私一人で箒の操縦と迎撃をやろうとしたので、ちょっと黒焦げになってしまったんです」


「俺が、箒担当か」

「はい。ジェフさんも魔法の心得がある様子! そのすごい使い魔と、立派な杖がその証拠! 私と同じくらいの天才とお見受けします!」

「そうだな」

 ジェフはメリーの箒を凝視する。

 空を飛ぶ訓練は、徹底的と言えるほど積んできた。問題はないだろう。唯一、懸念があるとすれば――


「まったく、本当に迷惑ですよね。こんな時期に対空警備を増強するなんて」

 メリーはまだ愚痴のような台詞を続けていた。

「あのグリフォンどもの襲来、《魔人》ダーニッシュのせいですよ。知ってます? 旧帝国のクソみたいな残党です。あいつが王都に軍勢を送り込んでいるんです。私、魔導士になって、絶対に血反吐を吐かせてやるんですから……!」

「ああ。だいたいわかった」

 ジェフはメリーの言葉をほとんど聞いていなかった。箒に手を伸ばす。

「要するに、俺はこの箒を」


 箒に触れた。その瞬間、ごおっ、と、激しい嵐のような風が、『踊るイルカ』店内に荒れ狂った。

「あ」

 店内にいた客も、店員も、誰もがジェフたちを振り返った。

 風と共に、箒が跳ね上がる。

 兎のように飛び、まっすぐ天井へと突き刺さる――その直前で、スノウが動いていた。白と黒の翼を翻し、鉤爪を閃かせ、跳ね上がった箒を捕まえている。


「しっかりしてくださいよ、若」

 スノウは疲弊したような声をあげた。

「ちゃんとセーブしないと、若の場合は触っただけでコレですから。もうちょい魔力が流れてれば、爆発とかしてましたよ」

「すまない」

 ジェフは素直に謝るしかなかった。スノウに対しても、メリーに対しても。

「本番ではうまくやる」

「え――あ、えっと。はい!」

 しばし呆然としていたが、メリーは勢いよく何度もうなずいた。

「頑張りましょう、ジェフさん! 私たちの入学のために! 名付けて――」

 どん、と、その手がテーブルを叩いた。


「復讐の亡霊作戦です! 学園のわからず屋どもをぎゃふんと言わせましょう!」

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