第16話 目覚めと無理解。




入学式の日の夜。

奏と一緒に植村家を訪ねた。



入学式中に戻ってきた奏は入学式が終わっても暗い顔で俯いているだけだった。

何度か舞以という名前らしいあの女子が慰めていたけど、それは火に油を注ぐ結果にしかならなかった。


入学式が終わったあとで奏の手を引きながら向かった植村家だった。


暗い顔をした由紀菜さんに出迎えられ、それぞれ今日起こったことを話した。


俺は朝の調子悪そうな顔をしていたことを知っていて気にかけてやれてなかったこと。メールで由紀菜さんに嘘をついたこと。奏は気づいていたにも関わらず、放置したこと。そして『結以』に対して「『彼方』」と呼ぶことで彼女を傷つけていたかもしれないことを一生懸命に謝った。


由紀菜さんは少し悔しそうな顔をしたあとに言った。

「こうなったのは貴方達のせいじゃない。それどころか貴方達のおかげで何とかなったんですよ。

まずは大和くん。登校する時に貴方が連れて行ってくれなかったらどこかで倒れて大変だったかも知れない。私が来ないように仕向けたって言ったけどね、私入学式を見ようと思って体育館に行ったんですよ。でも急遽仕事場から呼び出されたの。だからすぐに駆けつけられなかったのだって大和君のせいじゃないんですよ。

そして奏ちゃん。あの子が教室に入って笑顔でいられたのは奏ちゃんのおかげ。そして、『彼方』が見つかったのだって奏ちゃんが探しに行ってくれたからなんですよ。もし誰も見つけられないままだったらって考えると……。いえ、考えたくありません。でもそういうことなんです」



そして俺達を玄関に促し、

「貴方達は『彼方』の分まで高校生活を楽しんでくださいね。約束ですよ」


そう言って見送ってくれた。



「明日、綾辻さんと話をしようと思うの」

奏は細い声でそう言った。


俺も同意見だったので二人で約束をしてそれぞれの帰路についた。




次の日、綾辻舞以は学校を休んでいた。

綾辻舞以のことは心配だった。


でも、俺達は由紀菜さんとの約束を叶えるために高校生活に真剣に向き合った。授業で板書をして昼休みには奏と一緒にもう一冊ずつノートを作る。勉強が苦手な奏に綺麗なノートのまとめ方や公式の解き方。読解問題の注意する部分を教える。


そうして一日目を終え、それぞれに過ごす。



次の日、綾辻舞以はとても元気そうな笑顔で登校してきた。


『彼方』があんな状態なのにそんな元気で居ることが理解出来ず、苛立ちを覚えてしまう。昼休みに綾辻舞以を呼び出し、三人で話をした。


そこで聞いた。

由紀菜さんが綾辻悠真と寄りを戻し、席を入れ直したことを。


元々由紀菜さん側からは嫌っていなかったらしい。全部は綾辻の問題で、『彼方』の怒りは筋違いだったようだ。


手始めに奏は俺に「私より直接関わっていた貴方の方がいいと思った」と言って舞以に話がするように促した。


仕方がない、と思いながら俺は愛の話をした。包み隠さず全て。


話を終え、舞以の顔を見た。

おおよそ理解していたのだろうか。舞以はすんなり話を受け入れた。

今日、電車を使って愛の墓参りに行くつもりらしい。


昼休みを終え、午後の授業をこなす。

来週には実力考査が控えているために手は抜けない。

真面目に授業に臨み、その日の放課後、俺と奏は『彼方』の見舞いに行くことになった。


病院に向かう途中、奏は俺に「ノートが綺麗にまとまってて見やすくなった」「大和に教えてもらったとこを当てられて正解したのが嬉しかった」などなど話してくれた。褒められて悪い気はしなかったので素直に受け取っておく。


病院に着いて、窓口の女性に病室を尋ねる。

2階のエレベーターに近い場所に病室が設けられているらしい。


病院で患者が入院する時、ある程度軽度な病気の場合は上の階に割り当てられると聞いたことがある。

手術室が1階にあるこの病院でこのような配置で病室が設けられているということは結構な危険度の状態なのだろうか。


焦りを覚え、力強く奏の腕を引き軽く足早に病室へ向かう。


病室に着いて安心してしまう。

意識はないものの呼吸はしているように見えるし、元から少し白い肌も健康そうな色をしている。


ただし、目の下部から頭部に掛けて巻かれた包帯以外は、だ。



奏はベッドの上で目を覚まさないまま横になっている『彼方』に抱きつくようにして覆いかぶさり、悲観そうに辛そうに顔を歪めていた。


俺は一旦病室から出てナースセンターにいる看護師に聞ける限りの『彼方』の状態を聞く。


看護師は「手術に当たった医師がいらっしゃるので」と言って医師を呼んでくれた。


医師から告げられたのは「このまま目を覚まさない可能性もある」との診断。

意識が戻ったとしても損傷した左目は元には戻らないだろうこと。


そして由紀菜さんには時間の問題で話せなかった脳の精密検査の結果。

意識が戻った時に記憶障害が起きるかもしれないこと。


それを伝えられた。



いつからか隣で話を聞いていた奏も暗い顔で応じた。

医師に礼を言って『彼方』の病室に戻る。


「『彼方』の記憶障害のこと、由紀菜さんには内緒にしよう」

「うん、私もその方がいいと思う」

さっきと同じように『彼方』に覆い被さった奏とベッドの横に置かれた椅子に座った俺。



今朝、由紀菜さんが再婚したって話を聞いた時は「こんな時なのに何を……」なんて思って苛立ったけど、よく良く考えたら愛のことや『彼方』のことを一人で支え悩んで育ててきた由紀菜さんが凄かったんだ。


何でも一人で気負いがちな由紀菜さんだからこそ、その由紀菜さんのことを支えてくれる誰かが必要だった。

二人が再婚したのだって「こんな時に」ではなく、「こんな時だからこそ」した事なんだ。




そう理解したら考え方も変わった。




由紀菜さんにこれ以上負担を与えちゃいけない。俺達も出来ることは精一杯しなきゃ。

奏も同意して二人でこれからの話をする。



とりあえずは昨日・今日と同じように昼休みに『彼方』のためのノートを作る。それで目を覚ました時には俺達が教えて挙げられるようにしっかりと理解しておく必要もある。

奏にとっては大きな課題だ。



そう決めてから一週間後の実力考査。


俺は一桁代には入り、奏は四十代。


互いに勉強の成果が出た。これからも頑張っていこうと思う。




ゴールデンウィークが終わり、約一ヶ月後に行われる体育祭の準備が始まる頃の事だった。

由紀菜さんが暗い声で『彼方』が目を覚ましたことを教えてくれた。


俺達はとても喜んだ。

喜んで由紀菜さんに現状を尋ねた時、彼女がそんな暗い声で話す理由を知った。


『彼方』は由紀菜さんや舞以、そしてその父親である綾辻悠真のことを忘れていた。


これが医師に言われ、今まで由紀菜さんに黙っていた記憶障害だろうとすぐに分かった。


負担を掛けないために隠したはずなのにそれが別の意味で負担をかけてしまった。



どうするのが良かったのだろうか。

今の俺には分からない。








意識が戻って女性と少し話をした。

彼女の名前は綾辻由紀菜。


今は数年前に亡くなった母の代わりにわたしの面倒を見てくれていたらしい。


でも覚えていない。

「ごめんなさい。やっぱり覚えていません」


そう言って返答したあと、由紀菜さんはわたしにこう問いかけた。


「なら、この二人のことは覚えていますか?」


そう言って病室の扉を開けた。

そこには大和くんと奏が辛そうな顔で立っていた。

それぞれを指さしながら「こっちが大和くん。そしてこっちが奏」と答えた。


こんなことを確認する理由はわたしが何かを忘れているからだろうか。

由紀菜さんに関しては本当に何も覚えていない。


少し前まで清香さんと綾姉さんと一緒に暮らしていたことは覚えている。


でもその後からの記憶が無い。

由紀菜さんに話をされるまでは一人暮らしをしていたのだろうか、なんて考えていたけど違ったみたい。



わたしは一週間簡単に脳の精密検査を行ってから退院出来ることになった。


検査期間が終わってやっと退院する日。

そもそも怪我した理由が分からないし、見えない目が不便だけど病院の中に縛られているよりは自由になれるからと、ひとまず退院を喜んだ。


しばらくは由紀菜さんと二人で暮らすらしい。病人(何の病気だったのか分からないけど)だったわたしが居候をすることで由紀菜さんに迷惑を掛けないようにしないと。

そう考えて日々を過ごす。


わたしが初めて高校に通ったのはそれから更に一週間後のことだった。


どうやら近々体育祭が行われるらしく、授業の日課がほぼほぼ体育祭の練習だった。


昼休みに大和くんや奏からノートを貰って勉強する。

なんだかスラスラと解ける問題で、「約一ヶ月分のノートだ」と言って貰ったノートの内容は四日も経たないうちに全て覚えた。


一週間後の昼休み、先週末に先生から貰った実力考査のコピーを解いて採点してもらい、返ってきた結果が満点だった時には奏がビックリした顔ような怖いようなものを見るような顔でわたしを睨んできたけど、わたしは見ない振りをして昼の弁当を食べた。


時折、「彼方」と呼ばれることに違和感を覚えてしまうけど、わたしの名前は間違いなく「植村彼方」のはずなので何の問題もない。


ただ、思ったのは

「そう言えば『植村』って苗字はどこから来たのだろう。」ってこと。


分かんないことだらけで頭がこんがらがっちゃう。


大和くんも奏も何か知ってるはずなんだけど、教えてくれないし、あんまり執拗いのもどうかと思うから敢えて詰め寄ったりはしないけど……。


弁当を食べ終わったあと、ひとつ思ったことがあった。


大和くんって呼びずらいなあ……、だ。


そう思ったわたしは大和くんの方を見て聞いてみた。

「んね、これから『大和』って呼び捨てしていい?」


突然の質問に不思議そうな顔をした後に「ああ、別に構わないけど」と普通に応じてくれた。


「ありがとう、大和」


よし、これで呼びやすくなったかな。


昼休み終了のチャイムがなり、食堂から教室へ。廊下で大和と別れ、奏と一緒に教室へ入る。



不自由なく送れる高校生活を楽しみながら、わたしの日々は充実していた。



体育祭が行われるということで、それぞれクラスTシャツを買うことになった。わたしは由紀菜さんから貰ったお小遣いの中からTシャツ代を出したけど、ほかの人たちは各々親御さんから出してもらう予定らしい。


そうして一日が終わり、由紀菜さん家へ帰ってきた。

居間に上がると、机の上で突っ伏して寝てしまっている由紀菜さんを見つけた。


病室で目にした時も思ったけど、本当に綺麗な人だと思う。

わたしなんかが一緒に暮らしているのが勿体ないくらいに……。


ベランダに干してあった毛布を由紀菜さんに掛けて自室として与えられている部屋へ行き、荷物を片付けると今日の授業の復習を始める。


何のために勉強をしているのかは分からないけど、これが何かの役にたつと思って、これからも頑張らないといけない。




そして、早く本当のわたしを取り戻さないと。

これ以上、由紀菜さんに迷惑を掛けちゃいけない。











目を覚ますと私は机の上で潰れたようにして寝ていた。

慌てて傍に置いてある時計で時間を確認すると既に夜の9時を回っていた。


慌てて立って動こうとした時、「バサッ」と音を立てて体から毛布が落ちた。

この毛布がベランダに干していたものだと気づいたの同時に机の上に簡単に夜ご飯が用意されていた。


それだけの事のはずなのに凄く嬉しくて、でもなんだか悲しくて涙を流してしまう。


あの子の記憶から消えてしまったもの全てを早く取り戻してあげたいと思うけど、私にはその手段もそのために出来ることもないのだと思わされたようで辛くなる。




早く本当のあの子を取り戻してあげたい。

けれど、私が何かをすることでさらに記憶の齟齬が広がってしまえば、記憶が元に戻った時、あの子が辛いだろうから。


だから今は何も出来ない。何もしてあげられない。




私はこの苦しみを耐えるしかなかった。









次の日の体育の時間。


わたしは先生から「まだ激しい運動をしない方が良いだろう」とのことで体育の授業を見学していた。体育の授業といっても体育祭の練習なので特に差し支えはない。

わたしが遊び半分でクラスメイトを応援していた時、一人の女子生徒がわたしに話しかけてきた。

彼女は体操服を忘れたらしく、授業に参加出来なかったらしい。


先程からこの子がわたしのことを慮って何かを話そうとする度に口を開いては閉じてを繰り返していた。


なんだかこの子と向かい合ってると頭の中がピリピリする。

そのせいで少しイラついてしまう。


話の中で暑さにやられそうだって話をしたあと、彼女は急いで場を離れてはすぐに戻ってきた。

「それでね!これを貴方にあげるわ!どう?嬉しい……?」

彼女がくれたのはスポーツドリンク。


甘くて美味しくて喉にも簡単に入っていく。

わたしが彼女にお礼を述べようとした時だ。


「そこの見学二人!授業に参加する気がないのなら帰ってもいいぞ!」

体育担当の教師に怒られた。


あーあ、わたしは遊んでたワケじゃなきんだけどな……。


でも、そう思われたならそれは仕方のないことなので諦めよう。

そう思った時。


隣の彼女は立って先生の方へ歩いていった。

「暑くて倒れそうになっている人に水を与えることの何が悪いんですか!しかも私は体操服を忘れて見学をしているからまだしも、彼女は先日まで入院していてまだ体力も戻ってないんですよ。保体教師ならそういうことをもっと考えられないのですか!」


彼女はそう言って教師を叱っていた。


わたしは大丈夫だって言ってるのにそれで授業している人達に迷惑を掛けてしまった。

それがどうも頭にキテしまう。



「もう、いいから。ほら、戻るよ」


わたしは立って彼女を戻すべく手を引いた。

すると、彼女はわたしの手を弾いて大声で怒鳴る。

「貴方は悔しくないんですか!悪いこともしてないのに怒られることが悔しくないんですか!」


その言葉にカチンときてしまって、反論するより先に手が出てしまう。


「わたしがいつ、怒ってくれなんて頼んだの。貴方がしたことなんて皆から見たら授業の邪魔でしかない!」



そうしてその一言で彼女を傷つけてしまった。


本心では分かっている。

彼女がわたしのために飲み物を持ってきてくれたお陰で体の怠さは薄れた。彼女がわたしが言えなかったことを彼女が保体教師に言ってくれたから。だから少し救われた気もした。


本心では彼女に感謝しているのに。

どうしてこの子と喋るとこんなにむしゃくしゃするのだろうか。


彼女はわたしの頬に仕返しの一発を入れたあとに早退届を出して、そのまま学校から帰って言った。







自分が大嫌いになる。

そんな瞬間だった……。

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